(301)世界の官僚奉仕を求めて第11回官僚奉仕の切札は太陽(6)官僚支配の起源(『私の見た動画シリーズ3』)

フィルムで見るように鳩山政権の掲げた“コンクリートから人”への脱官僚支配は、国民の意思である民意を貫けば官僚支配も崩れるという信念に基づいて推し進められて行きましたが、殆どすべてにおいて民意が達成されませんでした。
その理由はフィルムを見れば明らかなように、大久保利通をリーダーとする富国強兵を目指した明治の実権者たちが、民意による議会制民主国家を拒み、エリート(官僚)による専制国家を望んだからに他なりません。
すなわち大久保利通らは欧米視察でドイツの官僚制度を鉄血宰相ビスマルクから学び、明治6年欧米視察から帰国すると策略を持って西郷らを政府から追い出し、巨大な権力を持つ内務省創設によって西南戦争を鎮圧し、日本の官僚支配を築きました。
それは、(視察でのアメリカ共和制に見るような)国民の幸福優先の民意による議会制民主主義国家の道が葬られ、富国強兵優先の官僚組織による専制主義国家の道が選択されたと言えるでしょう。
そこでは創設される国会での決議も、政令や勅令で無視できる仕組みが施されており、最初から民主主義は形式としてのみ利用されて来たと言っても過言ではありません。
日本の戦後は天皇を利用する勅令こそなくなりましたが、国民発議の政令による官僚支配が継続されています。
すなわち政策は国民の代表による審議会が発議し、一旦動き出した政策は止めることが出来ない仕組みが設けられています。
上のフィルムで見る脱ダム宣言では、特定ダム法4条4項の「国土大臣は計画を廃止する時関係知事の意見を聞かなければならない(さらに関係する県の議会決議を経なければならない)」という政令が盛り込まれており、法を変えてまで官僚支配と徹底的に闘う意志のない鳩山政権では、脱ダム宣言の廃止へと追い込まれて行ったのも時間の問題だったと言えるでしょう。
具体的には国土交通省の筋書きで県知事たちの意向を踏まえた有識者会議が立ち上げられ、決議された「ダム検証ルール」によって八ッ場ダム再建へと導かれて行きました。
それは単に脱ダム宣言だけでなく、殆ど全ての公約も同じように政令によって葬られたと言えるでしょう。

それゆえ現在の豊洲移転問題においても、官僚支配の起源に立ち返らなくては本質的には変わりません。
本質的な解決をするためには太陽にかざし(ガラス張りに開き)、民意を結集することで司法を行政から独立させ、司法によって官僚奉仕社会を創り出して行かなくてはなりません。