(316)官僚奉仕を求めて第25回(最終回) 自然エネルギーが創る富の蓄積のない社会7回(沖縄民意を守ることから始まる希望ある未来)

先週豪雪であった妙高の雪も徐々に治まって来たことから、最早初夏のように暖かい沖縄を訪れ(2月27日〜3月3日)、辺野古新基地建設反対の座り込みに参加して来ました。
そこでは私自身70歳を目前にして、上の動画で見るように機動隊にごぼう抜きで担がれるという、私にとっては予期せぬ初体験をしました(注1)。

何故今辺野古なのかと言えば、名護市長選挙沖縄県知事選挙で問われた沖縄の民意が全く無視されて、力と金で強引に辺野古新基地建設が粛々と推し進められており、戦後民主主義国民主権地域主権が踏み潰され、戦前の官僚支配による国家主権が露骨にそびえ立って来たからです。
それは現在の化石燃料社会が富の蓄積を集中激化させてきた故に限界に達し、それにもかかわらず益々利益追求の欲望が肥大しているからであり、それを露骨に推し進めているのは明治以来の富国強兵を掲げる官僚支配政府に他なりません。
さらに企業、そして前回のフィルムで見るようにドイツの労働組合さえ官僚化され、組織自体の官僚支配によって自らの利益を最優先していると言えるでしょう。
しかし消費者に奉仕しない官僚支配の利益追求には限界があり、三洋、シャープ、そして東芝に見るように自らの首を絞めることに他なりません。
すなわち最後は分社化によって生命線まで売却し、最終的に自ら命を絶っことになります。
日本の国について言えば、最早返済不可能にまで財政負債を肥大させているにもかかわらず、原発を含めた化石燃料産業支援に国民の血税をバラマキ、戦前の海外進出という戦争への道を再び歩もうとしています。

そうしたなかで何故今沖縄なのかと繰り返して言えば、沖縄民意が全く無視され続けて行くとすれば、沖縄は国際的に見れば少なくとも1879年の「琉球処分」(琉球併合)までは米国等との修好条約が示すように琉球王国という独立国であり、国連などを通して平和独立の選択肢もあり、それは日本本土を目覚めさせ、世界平和の創造と自然エネルギー社会の扉を開けることもできるからです。
すなわち沖縄が平和独立して中国と米国の平和緩衝地帯になれば、お互いの軍備強化競争が緩和されるだけでなく友好の架け橋となり、世界平和を創造する拠点にすることも可能だからです。
また沖縄は日本で一番風の強い地域にもかかわらず、「基地に風力発電の自立はいらないと言わんばかり」に殆ど化石燃料に依存させており、それが沖縄の希望ある未来を摘み取っています。
2000年頃まで途方に暮れる程貧しかった北ドイツの農村がその強い風で電力自給(100%から700%)を実現し、豊かな農村へ変貌しているように、沖縄も各地域(地区)において陸上風力発電による電力自給を実現して行けば、平和で豊かな沖縄の希望ある未来が必ず開かれます。
また本土の私たちも民主主義の根幹である沖縄の民意を支援して行くことは、現在の戦争への道を再び歩もうとしている国家主権の官僚支配政府を国民主権の官僚奉仕政府に変える糸口でもあり、希望ある未来の扉を開くことでもあります。
それを実現するためには官僚支配政府をガラス張りに開き、責任が問えるドイツのような官僚奉仕政府にして行かなくてはなりません。
しかし既に述べて来たように、司法が法務省を通して人事から違憲立法審査に至るまで行政支配する仕組のままでは不可能です。
もっともそれを変えることは決して難しいことではなく、議員立法憲法に明記された司法の独立が100%担保されるように仕組みを変えて行けば可能です。
すなわち法務省が司法(裁判官)を統括するのではなく、行政に全く関与しない第三者機関が統括するように、変えて行けばよいでしょう。
また第三者機関を運営する委員は衆議院選挙での各党の得票数に応じて、ドイツのように各党の推薦する専門家から選出される仕組にすれば自ずと民意が反映され、ガラス張りに開かれる筈です。
すなわちそこでは行政訴訟申請もドイツのように無料で審査され、申請受理によって行政は全ての資料を裁判所への提出しなくてはならないことから、ドイツのように数ヶ月で行政の責任が問える筈です(官僚奉仕政府のドイツでは、毎年約50万件の行政訴訟がなされており、違憲審査も厳しい受理審査がなされているにもかかわらず5000件にも及んでいます)。
もっともそのような司法の第三者機関統括を決議できたとしても、「5年以内には実施できるように努力します」と先送りで実施しない官僚支配のなかでは、すべての市民が公開の国民議論を通して政党の枠組みを超えて参加し、あらゆる抵抗を崩して行かなくてはなりません。
それさえ実現できれば、現在の官僚支配も自ずと官僚奉仕に変化し、国民利益(幸せ)が最優先され、希望ある未来の扉が開かれます。

もちろん希望ある未来とは、富の蓄積さえ殆ど必要しない自然エネルギー社会に他なりません。
それは現在の産業社会が描くいかなる欲望も享受できる社会ではなく、自然エネルギーの特性でもある分散型である故に地域単位で産み出されことから、自主決定権のある地域での100%地産地消を目標とした理想的な生き方(例えば週20時間の労働で、精神的により自由で意義ある生き方)ができる社会です。
そのような社会はIPCCのような政府間機構のイニシアチブで、下に見るようなインダストリー4.0(第4次産業革命・動画1)利用して実現でき、世界の全ての地域が自然エネルギーを住民及び地域の消費する以上に製造して行くことは十分可能です。
しかも過剰エネルギーは水素として備蓄されるだけでなく、地域自治体が過剰なエネルギーを利用して、地域に欠かせない必需品からその地域の工芸や特産の注文品までを自治体工房で(3Dプリンターやレーザーカッターを利用したファブラボ市民工房は既に途上国で活躍しており、簡易トイレなどの生活必需品から義足などの医療用品製造に至るまで欠かせないものとなっているように)、必要な量だけで少量生産することも可能でしょう。
また家庭においても既に述べたように(動画2)、各自の消費電力に応じて太陽光発電パネルを自宅屋根やベランダなどに設置し、過剰となる夏などの電力は水素として地下室に備蓄し、家庭電力から燃料自動車に至るまで自ら自給できる社会は、私たちが望みさえすれば数十年で手に入る時代に到達しています。
そのような希望ある富の蓄積を必要としない未来を実現するためには、ドイツのように官僚奉仕の社会に変えて行かなくてはなりません。
その実現は沖縄民意を守り、地域主権(自己決定権)を確立することで、第一歩が始まると思います。

(注1)
動画は3月2日正午近くの映像であり(終わりに載せた歌だけ28日)、私がごぼう抜きを初体験したのは2月28日の正午近くであり、その日は先ず自己紹介で思いを述べてから、これまで辛苦に耐えて座り込み抗議を続けて来た人たちの話、そして本土から参加した学生さんや若い人たちの沖縄と本土の橋渡しをしたいという思いを拍手しながら聞き、また沖縄の不条理を力に変えて歌うシンガーのミナツナガッテイルと訴える歌「いのちの環」を(動画後半)、今自分がここに座っていることに運命的ツナガリを感じて聞いていました。
そのような私にとって意義ある時間に、正午近く突然装甲車が来て(いつも座り込んでいる人たちには日常茶飯事なのですが)、多数の機動隊が降りて来てあっという間に担がれ、胸の激しい鼓動を覚えました。
しかも担がれる際は、映像で見るようにまるで舐め回されるように機動隊の撮影カメラに撮され、不快感と怒りは言い表し難いものでした。
それ故翌日嘉手納基地や普天間飛行場を見に出かけた際も残り、翌日予定を変更して2つの提言するために、再び座り込みに参加しました(但しごぼう抜きの際は、座り込みから自発的に抜けて撮影)。
提言の一つは、本土から誰でも支援できるように原則的には機動隊が降りてきた際は座り込みを解き(もちろんごぼう抜きされることも自由ですが)、撮影するなどで抗議の意思を示すことです。
もう一つは機動隊に撮された顔の映像はどのように使われるかわからないため、社會的に支障のある人たちや将来のある若い人たちアノニマス(匿名集団)のような仮面(例えばピースをシンボルとした沖縄シーサーの仮面)を附ける配慮も、より抗議を拡げていくためにも必要じゃないかというものです。
もっともそれ以外は、座り込みは非暴力を貫いており、話だけでなく歌や踊りもあり、私のような組織嫌いな人間にも参加しやすく、意義あるものと感じるだけでなく、機会を見つけてこれからも参加したいと思っています。

動画1

動画2