(340)時代の終わりに(24)・ソ連崩壊以来の最大の危機(1)・官僚支配が辿るいつか来た道(1)

ソ連崩壊以来の最大の危機(1)

アメリカ第一主義を掲げるトランプはダボス会議で見せた柔軟な姿勢とは裏腹に、アメリカより遥かに安い製品には輸入関税を強硬に決め、核拡散禁止条約に後ろ向きであるばかりか、2月2日には「核戦略見直し」の恐るべき政策指針を世界に公表した。
小型核開発推進での核抑止を掲げているが、明らかに北朝鮮の核開発基地への攻撃を意図しており、万一そのような戦略が実際に行われれば、北の報復は避けられず、既に述べた「核の冬」にまでエスカレートする危機は極めて高いように思われる。
上に載せたマイブリット・イルナーの1月25日公開討論では、ミュンヘン安全保障機構代表のヴォルフガング・イシンガーは、「現在はソ連崩壊以来の最大の危機である」と主張し、メルケル首相の戦前の保護主義への回帰だと明言するトランプ大統領への挑戦状を支持し、世界が目覚めることを呼びかけている。
トランプ支持のアメリカ政治評論家ピター・ラオは当然ではあるが、「トランプ大統領グローバル化と平均的アメリカ人の願望の間の落差を調整し、両方の利益を守ることができる人です」と弁護している。
26日のダボス会議での「But America first does not mean America alone. When the United States grows, so does the world」と述べる終始柔軟姿勢の彼の演説からは、ラオの弁護も的を得ているようにさえ思えるが、これまでの激しい対決姿勢から際立つ柔軟姿勢に豹変したこと自体信用できるものではない。

官僚支配が辿るいつか来た道(1)
2月6日のネット設置工事で、ようやくPCが使えるようになった。
前回は書かなかったが、地方の地域ではかつての電々公社や独占電力企業が電話線や電線を所有していることから業界を支配し、公正な競争を妨げている。
具体的には2月22日の設置工事では、工事が1時から3時と指定されていたが、2時を過ぎても全く連絡なく、2時半頃ようやくこれから行くとNTT工事業者から電話連絡があり、3時近くに5人ほどの所員を要する工事業者が到着したが、午後から降り出した雪のため屋根の瓦が濡れており、NTT社則により工事ができないと問答無用で工事が延期された。
その際苦情を報告すると言うと、「NTTの光であればその場で最短に工事ができるのですが、・・・、苦情を報告すれば益々遅くなりますよ」と、暗に脅とも聞こえる文言を工事責任者から言われ、驚きを感じ得なかった。
しかもソフトバンクの工事電話相談者に苦情を言っても、全く拉致が明かず、実際に工事も半月ほど延期されてしまった。
そして2月6日はまだ屋根の雪が溶けていないことから、更に延期される事を覚悟したが、今度は異なる2人だけの設置業者が工夫に工夫をこらして開通してくれた。
そこで見えて来たものは電話線を所有しているNTT支配であり、電力にしても電線を所有する独占電力会社の支配構造である(それが電力や電信が自由化されても公正な市民利便を妨げ、強いては原発ムラ社会を支えているといえるだろう)。
しかし電話線は国民の購入した電話債権で引かれ、電線も国税によって引かれた筈であるにもかかわらず、利権支配の切札として使われていることである。
そのような利権支配構造を容認、と言うより意図的に造り出しているのは、戦前、戦後と殆ど変わらない日本の官僚支配である。
そうした悪しき官僚支配に物を申すかのように、1月30日旧優生保護法下で知的障害を理由に不妊手術を強制された女性が「重大な人権侵害なのに、立法による救済措置を怠った」として、国に損害賠償を求る訴訟を起こした(NHKハートネット『54年目の証言』参照)。
優生保護法は戦争直後の人口過剰を受けて人口問題研究会が、「(障害者の不妊手術の)実績が上がらないないのは任意だから」の提言を受けて1948年(1996年まで続く)に制定された優生学的な法律である。
この旧優生保護法は1940年の国民優生法に源を発し、富国強兵を掲げて国民の遺伝子を高める優勢思想の意図があり、そこでは障害者の断種が国家の選別でなされていた。
そのような国家選別は戦後憲法の人権侵害にあたるにもかかわらず、日本では形を変えて継続されたのは明白である。
その原因は日本では誰が戦争を引き起こしたかが真剣に反省されず(ドイツのようにナチズムを引き起こした官僚支配が官僚奉仕に180度転換されず)、明治初期にドイツから学んだ官僚支配が国民審議のベールを被ってそのまま継続されているからである。
すなわち旧優生保護保護法は厚生省と関係のある人口問題研究会の提言で決議されており、新たな法案の作成では国民による審議会でなされているが、実質的には官僚支配のシナリオ通りに作られ、責任も回避できる仕組みが作られていると言えるだろう。
そのような官僚支配は一旦作った法案や組織をなくすことが困難であるだけでなく、民間へと天下りで肥大な利権構造を生み出して行くのである。
ドイツではそのような悪しき官僚制度をこれまでに何度も述べたように、裁量権を現場の下級官僚にまで下げ、これまで稟議制で誰も責任を負わない無責任体制を官僚一人ひとりが責任を負う制度に刷新した。
そして全ての審議会の委員は連邦であれ州政府であれ、選挙投票率の割合で各政党推薦の専門家からなることから、必然的に審議会がガラス張りに開かれている。
またドイツの司法は、戦前の法務省統括から完全に独立し、市民からの行政に対する訴えがあれば検証し、事実であれば行政から強制的に資料や証拠書類を提出させ、無料でしかも短期に行政訴訟を決着させている。
それはまさに、ドイツの官僚を国民奉仕に徹しさせていると言えるだろう。
そのような社会であるから脱原発を可能にしただけでなく、年間の財政黒字も定着し、エネルギー転換を掲げて未来産業も輝いており、例えば市民が太陽光発電を設置する場合も日本の半分以下と遥かに安い。
それに比べ日本はどの分野も利権構造が肥大し、天文学的に解消できない巨額な財政負債を益々未来に肥大させているだけでなく、目先利益にとらわれた原発輸出や石炭火力発電を未だに未来に掲げ、皆で渡れば怖くない式の不正が大企業で横行しており、このままでは誰が見ても未来がないとしか言えない。
その上2月2日のアメリカの北朝鮮核基地攻撃に繋がる「核戦略見直し」では、河野外相が「高く評価する」と明言し、トランプ核軍拡の追従を鮮明にした。
それは被爆国日本にはあってはならないことであるだけでなく、現在の日本こそが最大の危機であることを示唆していると言わざるを得ない。