(339)時代の終わりに(23)・人類が生き残るための気候変動という転轍(5未来への責任)・未来を葬ろうとしている国

最終回の『気候が壊れるとき 5−5』では、コロラド地球温暖化による洪水で目覚めた若者の気候を守るための戦い、そして石炭輸出超大国オーストラリアの頻繁に起きる干魃や広範囲な森林火災にも関わらず、国民の大部分が気候変動を信じないようにさせられている国で、老婦人牧場主の未来に責任を果たす戦いが描かれている。
このフィルムで気候を守るために登場するのは、何れも老人と若者であり、競争原理優先の現代社会では大部分の成人層は利益追求の巨大な機構(利権構造)に絡め取られているからだろう。
それは最近の日本の大企業の不正を見ても明らかであり、利益最優先のなかで社会に不正も容認しなくてはならない仕組みが生まれて来ているように思える。
例えば自動車産業の他社との競争のなかでは、リッターあたりの燃費30キロが必要であれば、それは絶対命令となって一人歩きし、誰もがその現場に立たされれば、不正の捏造も辞せない社会に生きていると言っても過言ではないだろう。
しかも日本では国策に石炭電力と原発維持及び原発輸出が掲げられており(既に40もの石炭発電所建設計画が動き出しており、原発輸出では政府支援で英国での原発建設が始まろうとしている)、脱石炭や脱原発を求る世界の潮流に逆行している。
原発はCO2を排出しないことから、地球温暖化防止に貢献するかのように未だに日本ではは語られているが、原発は恐ろしい事故や廃棄物の問題だけでなく、再生可能エネルギー創出を妨げる大きな要因となっている。
2011年に脱原発を決めたドイツでは太陽光発電風力発電の急増だけでなく、何処へ行っても汚水処理施設や養豚施設のビオガス発電などで地域の電力を製造し、廃熱を利用し温水を供給する仕組みが出来上がっている。
しかし日本では福島原発事故後も相変わらず原発を基幹電源と位置づけ早期再稼働推進政策を採っていることから、湧き上がる再生可能エネルギーも逆にブレーキがかけられている。
何故なら原発が再起動すれば、例えば100万キロワットの原発であれば運転中は絶えず100万キロワットの電力を製造し、過剰電力を捨てることになるから、現在も実質的に独占企業の巨大電力企業は再生可能エネルギーは未来へのかけ声だけで、本格的に取組んでいない。
それ故まだ原発再稼働されていない地域でも、ガス発電からコストの安いCO2排出の多い石炭発電建設が目白押しなのである。
そのように日本でなるのは、目先の利益追求を要求する仕組(利権構造)が官僚支配で出来上がっているからであり、長期的視点に立てば失速は避けられない。
すなわちそれは日本の未来を葬るだけでなく、気候変動の崩壊点越えを後押し、世界を葬ることにもなりかねない。

追伸
今年の始めからインターネットが使用できなくなっている。
理由は昨年11月末京都でエコフェミニズムを学ぶ娘が、精神的行き詰まりとフィールドワーク実践として過疎地域で一緒に暮らす提案があり、急転直下妙高から鈴鹿山系の麓に移転することになったからだ。
そこに既に1月18日から住み始めているが、未だにネットが接続出来ていない。
初めの工事開通予定は1月22日であったが、僅かに降り始めていた雨で瓦に登れないとNTT工事業者が言い、2月6日に開通工事が延びたからである。
もっとも天気次第ではまだまだ延びそうであり、その場合ブログを載せることも遅れることになる。
今回のブログも近くにネットカフェのようなものがないため、京都から二日遅れてようやく載せることができた。