(318)時代の終わりに・危機と希望(2)・沖縄からの叫びと希望(2)

危機と希望(2)トランプ弾劾裁判はあるのか?

今回の討論では英国大使やアメリカ大使を歴任したヴォルフガング・イシンガーは、最初トランプ大統領誕生を大いなる心配と語り始めますが、現在見るようにチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)が機能して行くと見ています。
これに対してアメリカ批判で著名なヨセフ・ブラメルは、司法と議会の健全なトランプを封じ込める抑制と均衡機能を認めた上で、共和制ローマ末期の政治家であり哲学者のキケロの名言「武器が語り出せば、法は沈黙する」を引用して、いずれその機能が破られると予告しています。
そして今回の終わりでは、サンダース支持者の女流作家フェルトマンが、ニクソンの時のように(実際には実施段階で辞任)、トランプ弾劾裁判の可能性について言及しています。

極右的トランプ政権の誕生で明白になったことは、アメリカ司法が日本のように実質的に政府法務省に従属しているのと異なり、健全に独立して機能していることです。
それ故トランプが大統領令で人権や人間の尊厳を最優先する民主主義を脅かしかねない行動は、討論でも誰もが認めるように司法によって抑制されていると言えるでしょう。
もしトランプが現在それを無視して踏み越えれば、議会はすぐさま弾劾裁判を申請し、大統領権限を剥奪すると言っても過言ではないでしょう。
しかしそれでもトランプ時代への突乳が益々危機感を強めていくのは何故でしょうか?
それはプーチンもトランプも空爆で挑発を繰り返しており、シリア、北朝鮮イスラエル、イラン、南スーダンなどで世界を巻き込む戦争が始まれば、哲学者キケロの名言を引用するまでもなく、暴走が止められなくなることを予感するからに他なりません。
また昨年パリ会議でようやく世界が一丸となって気候変動に取り組むことを約束したにもかかわらず、トランプの条約離脱宣言で世界に失望感が拡がっているからでもあります。
(このような「出口なし」の状況から世界が、そして日本が抜け出すためには、繰り返し述べているように、競争原理が支配するグローバルな集中型化石燃料産業社会から、競争原理が抑制される地域中心の分散型自然エネルギー社会への転換が必要であり、それをあらゆる角度から私のブログでは検証し、「ドイツから学ぼう」と提言していると言えるでしょう)。

沖縄からの叫びと希望(2)沖縄独立を考える

前回のブログを書いた時は、沖縄での実際の見聞で民意無視の強権的やり方に驚愕と怒りを覚え、出来うる限り支援して行かなくてはならないと、無意識的に上から目線で思っていた。
しかし本土では、森友学園問題や南スーダン駆付け警護の日報が有耶無耶に葬られようとしているだけでなく、民意を無視する伊方原発仮処分申し立て却下、農水産省の震災復興での組織的天下りと談合、復興相の自己責任むき出しの分断発言、特定秘密法一年での国民の知る権利無視の強権的運用、そして今まさに市民を監視に利用されかねない共謀罪が強引に決議されようとしているなかで、最早宿命として諦める大衆像さえ浮かび上がって来る。
そこでは、かつてヌーベルバーグの映画監督たちが「ベトナムから遠く離れて」の映画制作で連帯支援したような状況ではなく、むしろ問われているのは日本本土の民主主義であり、これ以上容認して行けば戦前の帝国主義を掲げた軍事国家になり兼ねない危機感すら感じないではいられない。
そのような視点から見れば、本土から相も変わらない札束攻勢にもかかわらず、オール沖縄で“本当の”平和を求めて叫ぶ沖縄の人たちは、むしろ私にとって道しるべであり、希望でもある。
そうした沖縄のエネルギーをもらって、自給自足を目指す農的暮らしのなかで、耕すことと書くことで時代を突き破り、時には座り込みなどで自らも参加したいと思っている(肉体的には既に限界達しているが、精神的に益々リフレシュすることで)。

上に載せた私の見た動画19『沖縄から主権を問う』では、自ら右翼と称する佐藤允氏の温かい沖縄への思いやりが印象的であり、日本本土が沖縄の民意を強権で無視続けるなら、沖縄独立も現実化する状況が垣間見られる。
尚オリジナルな動画は下のアドレスで見られます。
http://ryukyushimpo.jp/movie/prentry-205889.html