(308)世界の官僚奉仕を求めて第18回官僚奉仕の切札は太陽(13)官僚支配モンスター克服への途 前編(私の見た動画10『匙が投げられた借金大国』)

上の私の見た動画10の中心をなすのは、2010年11月に放送されたNHKスペシャル『借金862兆円はこうして膨らんだ・元大蔵官僚100人の証言録』であり、1964年まで無借金健全財政で努力してきた日本の財政が、東京オリンピック後の不況で2000億円足りなくなり、1年限りの時限立法で再び国債発行に踏み切った当時の事務次官谷村裕の次のような苦渋証言から始まっています。
「いろいろ議論があって赤字国債はできれば出したくない。出したという前例も作りたくない。いっぺん麻薬を飲んだが、癖にならないようにしよう」
それは戦後1946年紙切れの山と化した赤字国債の贖罪から、二度と同じ過ちを繰り返さないために赤字国債発行が禁止されていたからです。
しかしその後の日本は、谷村の戒めに反して、1975年に2回目の赤字国債を発行し、赤字国債の累積が2兆円に上り、さらに76年には5兆円、77年には10兆円と倍増して行きました。
 当時、大蔵官僚であった1人は番組で、「こんなことを繰り返していけば、ますます慢性患者になっちゃうから、この際起死回生の策として思い切った景気対策をやろうという思い詰めた時期だった」と証言しています。
すなわち打ち出された対処方法は、借金による大規模な景気対策で、「高い経済成長を取り戻せば、税収が増え借金は返せる」という賭けに出たと公共放送も明言しています。
このようにして翌78年の福田内閣の予算では借金11兆円の大型予算が組まれ、以後同じ賭けが連続して繰り返されていきます。
そして大蔵官僚の最後に証言する尾原栄夫主税局長(平成10年から平成13年)は、「どうすればよかったのか、悪夢のようによみがえるときがあります」という、まるで匙を投げるかのような証言で結んでいます。
このような戦後日本を支配してきた大蔵省官僚たちの肉声には、明治の専制国家に向けた官僚支配によるエリート官僚たちの覇気はなく、(前々回述べた元外務事務次官の村田良平氏が怒りを持って正すように)自己保身と事なかれ主義に徹し、族議員たちに怒鳴られ、答弁書作成では徹夜も厭わない、官僚奉仕の実態が浮かび上がって来ます。
もっともそれは国民のための国民への官僚奉仕ではなく、国益のための政財界への官僚奉仕にほかなりません。
そして戦後大蔵省を率いて来た官僚たちが、「田中角栄日本列島改造論のように、政治を通して国民の豊かさを求める大合唱のなかでは、赤字国債を麻薬依存と認識してはいてもどうすることもできず、依存後は借金による経済成長という賭けに出るしかなかった」という言い訳を聞くとき、私のなかではホロコーストの責任者であったアイヒマンが最後の証言で、「ユダヤ人に対する虐殺や絶滅計画は歴史上他に類を見ないほど重大な犯罪です」と断言し、「私にとって不幸でした。あのような残虐行為の遂行は本意ではありません。収容所の指揮を任せられたら断ることはできません。そこでユダヤ人殺害を命令されたら実行するしかありませんでした」といった弁明(ハンナ・アーレントをして悪の凡庸さと指摘されるもの)がオーバーラップして来ます。

しかし遠近法で遠ざかって眺めると、それとは全く異なった官僚支配モンスターの実態が見えてくることも確かです。
すなわち瓦礫と化した戦後から官僚主導で産業復興が成し遂げられると、再び利権構造を産み出し、それが法律で禁止された国債発行を1年限りの時限立法で再開させ、国民の財を将来世代に渡って再び喰い尽くし始めたと言えるでしょう。
そこでは、現在のアベノミクスでも見られるように、絶えず経済成長のための借金による賭けが唱えられ、現在では1200兆円を超える国と地方の負債で将来世代の財が喰い尽くされて行きます。
それは大蔵省の当事者たちが匙を投げるほどに膨らみ続けているだけでなく、最早「負債ではなく投資だ」と居直って高速道路開発からリニア鉄道開発までが100兆円を超える財投債へと膨張し、さらに動画10後半の2016年11月6日放送のNHKスペシャル「廃炉への道・調査報告 膨らむコスト〜誰がどう負担していくか」では、電気料金や税で国民に押し付けられる実態が見えて来ます。
まさにそれは、明治にドイツから学んだ富国強兵を目的とした責任の所在のない官僚支配(大本営)が、将来世代の公共料金まで担保に、日本を喰い尽くそうとしているように私には見えます。