(31)検証シリーズ5、社会、そして政治に理想を希求する教育を求めて。第2回ドイツの教育後編(未来への希望)。

競争原理の追求を求める潮流と従来の連帯を求める潮流の激突で、国民は後者を選択した。
事実1998年のシュレーダー連立政権の誕生では、すぐさま公約に従って、コール政権で企業が実質的に必要なときに自由に解雇出来るようにした「解雇制限法の緩和」を撤廃し、労働者の権利を守った。
また公約通り「原発撤退」を世界に宣言し、さらにエコロジー税制改革を実行し、ガソリンや電気などのエネルギー課税で、国民の年金や社会保障費を補おうとしたことから、多くの人が理想的な社会を期待した。
しかし一年後には、現在のギリシャアイルランド、スペインなどの弱者を生み出す原因となった競争原理を最優先する「リスボン戦略」の締結に向けて、先頭に立って動き出していた。
すなわち新自由主義の克服から、推進への180度転換であった。
したがって教育においても、徐々に新自由主義に支配されていった。

そのため私が2007年からベルリンで学び始めてから、毎月のようにドイツでは学生たちが教育の新自由主義への改悪を抗議して、ドイツ全土で10万人規模のデモやストライキを行っていた。

私の場合学ぶといっても、学者のように論文を書くためではなく、ガストヘラ‐(聴講生)としてベルリン自由大学の環境政治学を受講したり、毎週市民に無料で夕方に公開されているフンボルト大学の現代の問題に焦点をあて、海外から著名な講師を招喚している市民講座を受講することだった。
 ベルリン自由大学では一般学生のように週40時間くまなく学んだとしても、半年間の授業料は100ユーロほどであり、その場合学生カードがもらえ、オペラから定期券まで半額だった。
したがって日本人からみると、まだまだドイツの大学は天国であるが、2000年以前と比較すると恐ろしく悪化したことも事実である。
 これまでのドイツの学生は、志望する大学で卒業時までほとんど試験もなくゆとりを持って自由に学べた。
もっとも卒業時の国家試験は(人文学部社会学部ではマギスター試験、理工学部、経済学部、教育学部はディブローム試験)非常に難しく、論文作成などで少なくとも2年間の準備が必要であり、ドイツの学生は大学を卒業するまでに平均7年を要した。
 このような優れたドイツの長年にわたって培われてきた大学のシステムが、EUの競争原理を最優先するボロニアプロセスの合意で一変した。
すなわち1999年のボロニアプロセスの合意では、ヨーロッパの大学の国際競争力を高めるために、各国の様々な大学システムの垣根を取り払い、2010年までに共通した学習課程と学位構造を持つことで一致し、国際的なバチュラー(学士課程)マスター(修士課程)制度を導入した。
 そのため2000年以降の大学はマギスターなどの制度とバチュラー制度が混在する中で、大学間の競争もこれまでの大学間の格差を作らない教授採用の仕組みの改正などを通して推し進められていった。
しかもバチュラー制での学生は、これまでのように自由にゆとりを持って思考する時間もなく、厖大な単位認定試験に追われ、3年から4年で卒業するようになった。
 また中等教育においてもボロニアプロセスの実施を受けて競争原理が追求され、それまで大学への入学に必要な期間は13年あったが、12年に短くする決定が2004年からバーデン・ブルグ州やバイエルン州などから始まっていった。
 それはドイツのゆとりある教育が、アメリカや日本の競争原理を最優先する教育システムに呑みこまれていき、ターボ・アビィとしてドイツ教育を震撼させた。
これまでドイツの中等教育では授業が午前中に終了し、生徒の自主性を育むには恵まれた環境にあった。
しかし一年間の教育の短期化にも関わらず、カリキュラムの削減がなされなかったことから、学校は午後からの授業を実施するだけでなく、一週間に50時間の過酷な授業を行うところも生じ、ストレスから健康を損なう生徒が激増し、現在もドイツの大きな社会問題となっている。
またそれまで各高等学校の裁量に委ねられていたアビィトァ(卒業修了試験であるが大学入学の認定試験をかねている)が、2005年から順次各州で統一試験へ変更されていき、教育目標の理念を転換させた。
すなわち連帯を求める教育理念から、競争原理を最優先する教育理念への転換であった。
 もっともドイツでは、大学の授業料導入や大学自身の選抜試験には国民の抵抗が強いことから、授業料の徴収は16州のうち4州だけであり、その額も年間1000ユーロ以下である。
 しかし既にドイツの大学は、産業の要請する人材を育成する場に変えられ、ドイツの教育自体も産業に奉仕することが求められている。
しかも国際競争力を高めるために、大学自身の選抜試験と大学の授業料導入への要請も依然として燻っている。。
そのように新自由主義が教育を支配していくなかで、ドイツの学生たちは現在も毎月のように学生デモを絶やすことなく、社会に理想を求めて、抗議の怒りを拡大させている。

またドイツ社会も、かつての連帯を育む教育を模索する動きが湧き上がってきている。
すなわち2006年の公のドイツ教育コンテストで、連帯を育む教育を実践しているイェーナプラン高等学校が、ドイツの教育最優秀賞であるドイツ学校賞を受賞した。
 それはドイツで競争教育が激化するなかで、イェーナプラン高等学校が競争とは対立する連帯を育む教育を実践し、統一アビィトア試験においても素晴らしい成果をだしたからだ。
 具体的にはイェーナプラン高等学校の授業は、学年枠のない20人ほどの混合クラスからなり、グループによる生徒同志の学び合いによってなされている。
 授業では、教師の与えたテーマや問題に対して、能力のある生徒が理解できない生徒や理解力の遅い生徒を教えることで、グループ全員が理解できることを求めている。
 これはまさに、60年代の格差の小さな健全な市民を育成するヘルムート・ベッカー教授の提唱する「競争より連帯を育む教育」である。
 この学校の授業は、2008年のZDFの「37度」という現場ドキュメントフィルム「細い肩への重荷(ターボアビでの高校生の酷しい日常)」(2008年9月30日)で描かれていた。
フィルムでは、一般の高等学校の生徒が教育期間の短縮で週あたりの授業時間の大幅増加、競争の激化、そしてエリート選抜教育によって頭痛や腹痛、さらに脅迫観念から心と体が蝕まれている現状を映し出していた。
 イェーナプラン高校で学ぶリカルドは、そのような症状から一般の高校に通えなくなり、転校してきた。
リカルドは転校によってすべてが一変し、相互に学び合うグループ授業の素晴らしさを感動的に述べていた。
リカルドの話す表情には、言葉だけでなく学ぶことの楽しさや喜びが溢れていた。
一方対照的に、落伍しないように必死に学ぶエリート生徒たちの表情には、楽しさや喜びがないだけでなく、苦痛に溢れ、さらに彼らのインタビューからは学業への関心など全く失われ、痛ましさが感じられた。
 これは現在の新自由主義を象徴しており、競争原理が最優先される社会のなかで、あらゆる人々の笑顔や喜びが奪われているだけでなく、希望も失われている。

そのようななかで、ギリシャ金融危機に見られるように強者のルールなき強奪が繰り返される世界、北朝鮮、インド、パキスタだけでなくイランやイスラエルといった国々に核兵器が拡散される世界、自国利益を最優先して地球温暖化に対処できない世界、安い、クリーン、安全という嘘で原発バブルを推進する世界、自爆テロの連鎖が拡がり続ける世界、といった絶望的な世界危機が差し迫ってきている。
 そこには、将来の原発の大事故や水没する大都市だけでなく、人類を滅亡に導く愚かな核世界戦争さえ垣間見える。
 悲劇が垣間見える原因は、現在の新自由主義が支配する世界では、競争原理が最優先されることで、人々の連帯、強者と弱者の連帯、強国と弱国の連帯が失われているからに他ならない。

そのような絶望的な世界を希望へと本質的に変えていくためには、「競争より連帯を育む教育」がドイツで復活するだけでなく、日本やアメリカでも見直されなくてはならない。