(226)ドイツメディアから考える今27・・ZDF『危機にある頭のよい生徒たち3−1』・日本の新自由主義教育(1)

今回のZDFフィルムの主人公は、才能があるにもかかわらず新自由主義教育の中で挫折を余儀なくされた3人の生徒たちである。
フィルムでもわかるようにドイツの教育は挫折した生徒を絶対に放置せず、落第させるにしろ、ハウプトシューレ(職業学校)に転校させるにしろ、より少数クラスで教師が親身になって再び軌道に乗せようと努めている。
まさにドイツの教育は日本の教育とは異なり、セーフティーネットが機能していると言えるだろう。
今回の終わりでは、ハウプトシューレの最終テストで教師はフィリップを古き友と呼んでおり、如何に親身になって指導しているかが窺えた。

日本の新自由主義教育(1)

既に新自由主義教育についてはブログで述べているが、新しい視点でドイツと対比的に言及したい。
上のフィルムでもわかるように、新自由主義に一旦は絡めとられとは言え、ドイツの教育は徹底した教育の機会均等が根付いているといえよう。
ナチズムを許した戦前のドイツのエリート教育は、健全な市民育成を目標に教育の機会均等を徹底して実践した。
そこでは誰でも意欲さえあれば学べるように、大学に至るまで全ての学校授業料を無料化しただけでなく、教科書は難しいゲーテなどの文章を外し平易にし、難しいラテン語も選択科目とした。
さらに大学ではエリート大学をつくらないため大学入試試験のないアビィトゥア制度を採るだけでなく、教授採用では他大学卒業者を優先する制度を設け、優秀な人材を地方に分散した。
もっとも戦後の日本でも、このような徹底的な民主教育を目指していた。
事実1949年に文部省が出した新制高等学校の運営方針では、「新制高等学校では、入学選抜はそれ自体望ましいものであるという考えを、いつまでももっていてはならない。・・・選抜しなければならない場合も、これはそれ自体として望ましいことではなく、やむを得ない害悪であって、経済が復興して、新制高等学校で学びたい者に適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきものであると考えなければならない」と断言していた。
この文部省運営方針の文章こそは、戦後の教育機会均等を約束した憲法の精神であり、健全な市民育成を目標とした教育基本法の柱であった筈だ。
それが現在では誰が見ても180度転換しており、最早国民さえ選抜試験をかつての文部省のように害悪と見なす者は殆どいないだろう。
むしろ現在では競争教育が、まるで沈みゆく日本の救世主のように絶対的善として求められていると言っても過言ではない。

例えば全国学力テストは2013年から小学校6年生と中学3年生全員に実施されるようになり(それまでは30%ほどの抽出校のみ)、文部科学省は今年2014年からテスト成績を自治体ごとに学校別に公表することを認めている(公表が禁止されていた2013年でも、静岡県は税金使用上不可欠として優秀校を公表)。
そうした背景を受けてごく最近では、鹿児島県の県立高校が「難関大学に合格したら100万円」支給を全国に発信するまでにエスカーレトしている。
また財務省は2011年に導入された公立小学校35人学級を、明確な教育効果が見られないとして、財源創出のために40人に戻すことを求めている
そこでは家庭の事情から学べない子供や、ドイツのように競争教育から脱落した多くの子供たちに救いの手を差し伸べようとする姿勢が全く見えてこない。
2004年にNHKスペシャルが放映した『フリーター人口417万人の衝撃』は、統計操作で改善されているかのように錯覚されているが、明らかに益々悪化しており、競争教育から脱落する者は新自由主義の教義である自己責任を厳しく問われ、棄民されていると言えよう。