(227)ドイツメディアから考える今28・・ZDF『危機にある頭のよい生徒たち3−2』・日本の新自由主義教育(2)

フィルムでは才能と家庭に恵まれたヤコブは学校では集中力に欠け、“素晴らしく頭がよいが”のプロジェクトクラスで落第するか、ハウプトシューレへの転向への選択が求められる。
子供の頃秀才で将来が期待されていたフィリップは、母のない鍵っ子家庭環境もあり、急速に学業への意欲が失せ、虚構のヒーロ世界に入り浸る暮らしが語られる。
また落第の危機にあるヤネスも小さい頃優等生であったが、その頭のよさを伸ばしてやりたいと思う母親の努力が逆にプレシャーとなり、母親との衝突と同時に学校へ行かなくなった過去が語られる。
着目すべきは、ドイツでも2005年以降競争教育が加速され、一人一人の個性が無視されヤコブのようなに多動になったり、フィリプのように現実逃避、あるいはヤネスのように母親の競争教育支援拒否で、多くの若者が挫折している有様は日本同様である。
しかし挫折した若者を日本のように、そのままに見捨てないのがドイツの今である。
例えばヤネスの場合公的機関が介入し、母親の干渉過多が原因となっていることを見極め、学生寮での私立ギムナジウムへ転校させている。
もちろん授業料から学生寮費など一切は、ドイツでは当然のこととして公的支援である(ドイツでは最近は特別のカリキュラムをもつ私立學校が増えてきているが、多くは高校から大学まで公立で、大学授業料も再び全て無料となっている。私立は有料であるが、生活保護を受けていると思われるヤネスの家庭でも、必要と認定して公的支援がなされている。ドイツの国家予算は日本に較べ明らかに少ないにもかかわらず、教育へのウエイトは大きい。しかし他のEU諸国に較べ、突出しているわけではない)。
何故なら、子供たちはドイツの未来を創る貴重な資産であるからだ。

日本の新自由主義教育(2)

2014年8月文部科学省は国立大の組織改革案として、『人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した。
これは新自由主義教育では、とかく批判的な人文社会科学系は不要であり、実質的な廃止を意味している。
そうした通達の理由は、人文社会科学系の各学科は人間、社会、そして学問自体を考える学科であり、文明批判を通して社会に理想を求めること自体、新自由主義とは相反するからに他ならない。
すなわち教育、医療、社会福祉、環境と食糧生産と言った公共性の高い分野でも全て規制を取り払い、競争原理最優先で巨大資本の産業利益追求に邁進する新自由主義路線(アベノミクス)では、これらの学科はブレーキになるからだ。

私自身早くから大学の民営化が、どのような社会に導くかを警告してきた(注1)。
それは新自由主義の唱える自由とは、リベラルな自由ではなく、公共部門の規制さえ壊す自由であり、自由化が完了すれば巨大支配によって自らの規制をつくりだす自由であるからだ。
そのよい例がドイツの1998年の電力自由化であり、それまでドイツでは地域ごとに1つの電力会社との契約規制があり、1000企業近くの地域電力企業が地域電力自給に貢献していた。
しかし全ての規制が自由化されると4大巨大資本の独占支配へと転換され、電気料金は巧妙な市場操作で2倍に高騰し、4大巨大資本は政治を支配し、実質的原発推進原発運転期間28年延長を画策するだけでなく、様々な規約をつくり新規参入をできなくした。
さらにドイツでは官僚が退職後はボランティアで社会に貢献することが通例であるが、電力産業では癒着関係が生じ、日本の専売特許となっている天下りが一部に生じていることをドイツメディアは批判していた。

また新自由主義の教義であるトリクルダウン、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)する」とする経済理論が、金融工学の際のように真しなやかに語られているが、世界でそのようなトリクルダウンに成功した国がないことも事実である(1パーセントの資本層を益々富ませ、99パーセントの賃金等をボトム競争で下へ下へスパイラルさせて行くことが新自由主義の追求に他ならないことから、それを教義とするアベノミクスで15か月実質賃金連続低下は当然の帰結である)。
そこからも見えてくる新自由主義の連れて行く先は、ブレーキをかける人文社会科学系の廃止によって、単に産業戦士を育成するだけでなく、ハンメルンの笛吹のように人類文明自滅の道でないだろうか?

(注1)『よくなるドイツ・悪くなる日本(2)政治と社会』(2002年、地湧社)では、中曽根政権での1984に始まった(新自由主義)教育改革では、自由化と多様化で豊かな人間性と創造性を育むバラ色の教育目標が掲げられているが、自由化で設置基準などの規制を取り払い、企業目的に沿って学校を多様化し、競争原理追求によってますます格差が拡大することを述べている。
またこのブログでも、2004年の国立大学独立法人化で教授会は実質的に無力化し、天下り官僚による理事会支配が顕著になっていることを検証し、そのような民営化がジョージオーエルの描いた監視社会へ導くことを書いて来た

尚今回の文部省通達を東京新聞をはじめとして、以下のように一部のメディアも批判的に取扱っている。
ライブドア・コム http://news.livedoor.com/article/detail/9310435/
横浜国立大学教授室井尚のブログ「国立大学がいま大変なことになっている」(現在の大学を浮き彫りにしている)
http://tanshin.cocolog-nifty.com/tanshin/2014/05/post-054f.html