(494)(3-3)グリホサート認可延長が意味する世界の危うさ

評価機関(BfR)が安全弁となる理由

 

最終回では、EUでのグリホサート使用認可を決めるベルリンのリスク評価機関(BfR)がロビー支配され、リスク評価機関自体が認可を審査するのではなく、お墨付きを与える機関となっている実態が描かれている。

リスク評価機関で働く職員が匿名で、評価審査では「申請者によって提出された研究書類だけが審査され、私たちはリスク評価機関の評価根拠を具現する独自の研究を持っていません」と述べている。しかもそれらの研究資料には執筆者の名前が載せておらず、問い合わせさえできないと訴えている。

そのような現実は緑の党連邦議員ハラルド・エベナーが強く批判するように、リスク評価機関がリスクに対して適正な評価を下すものではなく、リスクに対して安全であるというお墨付きを与える仕組が出来上がっていることである。

そこには、競争原理で経済成長を最優先する新自由主義の本質がある。

私自身も日本のバブルの頃、ゴルフ場開発反対運動で「環境アセスメント」に関与したことがあった。驚くことに環境アセスメントは、開発事業者によってなされ、「環境影響評価準備書」も開発事業者によって提出され、それに異議を申請しても全く機能しないことを知った。

具体的には反対したゴルフ場開発は子供の通う小学校や中学校の数百メートル上の開発であり、芝のグリーンを保つために多量の殺菌剤散布が欠かせず、暑くなって有毒の殺菌剤が気化することが問題になっていた。それ故リスクを指摘する文献を集め、県に異議申立書を提出した。しかしそれに対して、開発企業社員が直接私の家を訪れ、気化する濃度がリスク安全基準値より低いという企業側の文献を持参するだけで決着し、県の開発許可がなされるというあり方に憤慨したものであった。

話を戻せば、戦後のドイツ社会では官僚支配から官僚奉仕の転換で教育から産業に至るまで競争より連帯が求められ、万人の幸せが求められてきた。

企業においても、経営方針を決める監査役会議には役員の半数を従業員より選出する仕組が法で守られ(共同決定法)、従業員だけでなく地域住民の幸せが第一に掲げられ、不況下では労働の分かち合い(ワーク・シェアリング)で労働時間を短縮し、労働者の権利と幸せが求められてきた。

それが90年のドイツ統一旧東ドイツの莫大な遺産を求めて、アメリカから新自由主義の企業群が到来するとドイツ社会を大きく変化させ、新自由主義を推進したシュレーダー政権では「アジェンダ2010」によって競争原理によって国益最優先の仕組が築かれて行ったのであった。

そこではドイツに進出した企業は共同決定法をEU法優先で守らないばかりか、ドイツの企業自体も共同決定法が骨抜きにされ、企業利益最優先でドイツでタブーであったリストラさえ自由になされるようになって行った。

そのような背景のなかでリスク評価機関が2002年に設立され、最初からリスクを公正に評価審査する機関ではなく、経済成長のためリスクに対しお墨付きを与える機関であったと言えるだろう。

沈黙の毒グリホサートが認可延長される暴挙

『沈黙の毒』が放映されドイツ連邦リスク評価機関(BfR)への批判がドイツ中で高まるなかで、2015年2月BfRはEUの欧州食品安全機関(EFSA)の専門家会議で企業側の研究資料に基づいて作成された評価報告書を発表し、EU委員会はその報告書によって10年間の認可延長を図ろうとした。しかし各国でグリホサートに対する禁止を求める声が高まっていたことから、EU委員会では認可延長に賛成も反対も過半数に至らず、2017年11月まで難航した。

2017年の合意では10年の認可延長では決まらないことから、承認を5年間延長することでようやく合意した。そこでは世論の延長反対に配慮して常に棄権していたドイツも合意側に回り、18の加盟国がEU委員会の提案に同意した。しかし9か国(フランス、イタリア、ベルギー、オーストリアギリシャキプロス、マルタ、クロアチアルクセンブルク)は反対票を投じ、ポルトガルは投票を棄権するという薄氷を踏む合意で、2023年までの認可延長であった。

そのような薄氷を踏む認可延長であったのは、ドイツだけでなくEU各国でグリホサートの毒性を科学者やメディアが(企業側の研究資料に基ずく評価機関のお墨付き評価とは異なり)公正に評価し、EU市民の禁止を求める声が高まっていたからである。

ドイツの公共放送ARDやZDFはグリホサート禁止を求めて、生態系を壊し人体にも有害であることを絶えず訴えていた。それ故鉄道沿線の線路除草のため撒かれていたグリホサート散布は控えられ、2021年には禁止された。また市街地での散布も厳しく規制され控えられるようになって行った。

それ故2023年の認可延長では、ドイツは始め禁止を求める予定であった。それは現在の赤(社会民主党SDP)・緑(緑の党)・黄(自由民主党FDP)のシュルツ政権誕生の際連立合意協定で、グリホサート使用の禁止が決められていたからだった。

しかし直前になり自由民主党が禁止に反対し、ドイツはEU委員会の認可延長投票では棄権するしかなく、2033年までの認可延長が決まった。

10年間の延長を押し通した論理は、FDPの主張するように「世界的な食料危機を考えると、持続可能な農業を維持するには、代替案のない禁止ではなく、策略の余地が必要である」という経済優先の論理であった。

欧州連合の共存発展から競争発展への大転換

欧州連合EUは二度とヨーロッパで戦争を起こしたくないという強い思いから、1952年戦争に不可欠な鉄鋼と石炭を共同管理すれば戦争が起きないという考えから、連帯と分かち合いの理念で欧州石炭鉄鋼共同体を発足したことに始まり、欧州共同体(EC)設立で平等な豊かな発展を目指した。

それは農業であれば設立当初EC加盟国の食物自給率は70%ほどでしかなく、安いヨーロッパ域外から入ってくる農産物に危機感を抱いたからであり、域外からの輸入農産物には共通関税に加えて課徴金をかけ、域内の農産物ECからの補助金によって共通の支持価格で買い上げる仕組で域内農家を手厚く保護した。

そこでは農業の集約化によって多く生産すればするほど利益が出たことから、各国の農家の生産意欲が高まり飛躍的に生産が増加し、EC加盟国の食料自給率は80年代には100%を超えた。それはドイツのような工業国でも穀物、牛肉などを世界に輸出するほどであった。

しかし農業の集約化で農産物が大幅に過剰になるだけでなく、集約化による農薬と化学肥料によって環境が汚染され、さらに集約化できない山岳地域の村では農業存続の危機に陥った。

そのため80年代末には共通農業政策改革に踏み切り、支持価格を市場価格に近づけ、環境保護型の農業に補償金を支払う直接農家補償制度へ移行し、環境保護型農業を通して量から質への転換がなされた。したがって90年代のヨーロッパの山岳地域の農業条件不利地では、何処へ行っても美しい豊かな農村が見られたものだった。

そのような素晴らしい環境保護型農業を打ち壊したのは、競争原理最優先の新自由主義の到来であった。すなわち1992年の欧州連合条約(マーストリヒト条約)でECからEUに名称を変更して、欧州の単一市場が目指された。

そこではヒト、モノ、カネ、サービスの移動の自由が明記され、2000年に締結されたリスボン戦略で「欧州連合(EU)は、2010年までに世界で最も競争力がありダイナミックな経済になり、より多くのより良い雇用とより大きな社会的結束を伴う持続可能な経済成長を達成する」競争原理最優先となり、これまでの「平和や平等な発展を通して、域内市民の一人一人を幸せする」目標からの大転換であった。

事実それまでの欧州連合は、1997年の京都議定書二酸化炭素排出量をEU加盟各国の経済発展指標と位置付け、その指標を同一にすることを明記し、ドイツなどの産業国は25%の削減、フランスなどの農業国は削減ゼロ、逆に経済発展が遅れているギリシャポルトガルでは30%から40%排出量増大を盛り込み、全体で2012年までに1990年比で8%の減少を確約するほど平等の発展を目指していた。

しかしEUの競争原理最優先への転換によって、ドイツのような強国が復活すると同時に、ギリシアのような多くの弱国を生み出し、地球温暖化の激化や紛争が絶え間なく拡がる世界へと急速に変貌させて行った。

EUの農業に話を戻せば、2004年の東欧10か国が加盟によって安い東欧の農産物が押し寄せるなかで、小農家では経営が成り立たなくなり、ドイツでは90年代初めから農家数が半減するまでに追い込まれている。

そうしたなかで集約化で生き残っている農家も除草剤散布と耐性品種のモンサント方式を既に採っており、グリホサート散布が人や生態系に有毒と認識していても、代替案と補償なくしての禁止はあり得ないというのが現状であり、それが2033年までのグリホサート認可延長の理由であった。

しかし本質的には資本主義の成長肥大で行き詰った世界が更なる肥大を続けるために、規制なき自由競争によって再編成を企ていると言えるだろう。それは新たなコロニアリズムの復活であり、世界の崩壊につながるものである。

EUの競争発展を担う官僚支配

EUが戦後の民主主義に基ずく共存発展から競争発展へ転換する理由は、グローバル資本主義新自由主義)の襲来があるにしても、関税を強固にすれば共存発展は可能であった。しかし逆に1992年のマーストリヒト条約で関税を撤廃して、ヒト、モノ、カネ、サービスの自由な移動を可能にしたことは、競争発展への転換であり、強者の世界支配への欲望に他ならない。

それはドイツのように戦後官僚支配から官僚奉仕を目指した国においても、産業の発展で強い企業が頭角を表すと、利権構造が築かれ更なる発展を目指すからである。

一旦築かれた利権構造はコントロールすることができず、益々利権構造を肥大させていく。そのためロビー活動を通して政治を支配しようとする。

それはEUが2014年アメリカとの自由貿易協定(TTIP)を求めた際、ZDFズームが制作した『自由貿易の機密』がその仕組を見事に描いている。

すなわち企業が政治に献金し、政治が献金の代償として産業の要請する法案を決議する仕組みを浮き彫りにしている。この仕組みは以前であれば汚職犯罪であり、EUの根幹をなす政策が献金の代償によるものであれば、世界的汚職スキャンダル事件である

しかしグリホサートが認可延長が求められる2014年においては、既に法案EU議会で議論する前にEU委員会の委員も参加する会合が学習の場として開催され、賄賂が献金として公然と合法化され、産業の要請がEU委員会の提言として実現する仕組みが出来上がってい

そこでは戦後のヨーロッパの平和と共存発展のために尽くしてきた官僚奉仕が官僚支配に転じ、世界支配のためヨーロッパの強国、巨大企業に尽くしている姿しか見えてこない(EUの官僚支配は、加盟国1名の27名の官僚からなるEU委員会によって為されているが、実際はその下で働く約2万5000名の職員及び3万人を超えるロビーイスト達によって統率されている)。

私にとってのグリホサート

私は大学さらには製薬会社の研究室で長年有機溶媒を扱ってきたことから、体質的に過敏となり退職を余儀なくされた。その時から無農薬の出来得る限り自然農法で、土を耕す農的暮らしを始めた。

それが40年も続いたのは、土を耕して汗を流すことが快眠、快便につながり、何時しか過敏症もなくなっていたからである。同時に汗を流した後の食事は粗食であっても格別に美味しく、私の歳になっても夜眠れないことで悩むことがないからである。

したがって草との戦いは私にとっては有難いものであり、グリホサート成分の除草剤は無縁であり、忌むべきものである。しかし私が稲を栽培し始めた1990年には、既に周りの田んぼでは除草剤の散布がなされていた。

もっとも現在のように大型機械で散布されるのではなく、農業従事者が粒剤を自ら撒くものであり、稲の成長と供に草も生え、除草機をかけるのがあたり前であった。除草機がかけれたのは米価や補助金が高く、1町(1ヘクタール)ほどの稲栽培で食べて行けたからである。

それ故周辺の田んぼでもオタマジャクシが溢れ、ゲンゴロウなどの水生昆虫がどこの田にも見られ、秋の田が黄金色に輝く時にはイナゴが溢れ、私もつくだ煮して食べたものである。

しかし除草剤使用の稲づくりが10年、20年と続く中で、最早周辺の田んぼには生きものが見られなくなり、農業の大規模化で専業農家は10町ほどの営農に変わり、大型機械のグリホサート散布で白煙をあげいる。

その光景は私には痛ましく、目に微かな違和感と鼻水が出てくることから、その日はすぐ家に帰ることにしている。もっともそのような白煙のなかで作業する人たちのことを考えると悲しくなる。

息が苦しくなるためマスクも付けず、10町という規模をこなすため何日も作業が続けており、そうした作業を長年続けるなかで、その恐ろしさを一番よくわかっている筈である。それでも続けるのは、『沈黙の毒』で見るマスクも付けずにひたすら撒き続けるアルゼンチンの農夫のように、10町を超えて営農しなければ食べていけないからである。

私が鈴鹿山麓の麓で稲を育てていた時は、鹿の害から2メートルの鉄柵で数町ほどが囲われた中の田でコシヒカリを作っていたが、形式的に農協に属していた。

そこでは畦道に除草剤が撒かれたこともあったが、そこを去る頃には田で使用される以外まったく撒かれなくなり、人で不足のなかで何日もかけて除草機で草を刈るようになって行った。

それは恐らく農協自体もうすうすグリホサート散布の危険性を認識しているからであり、私より若い人が癌や心臓の問題で亡くなり、精神障害から自殺する人の話を屡々聞いたことからも、頷けることであった。

そのような農業には、世界が容認する地球温暖化同様に、未来はない。

競争発展最優先の世界には、益々災害や争いによる禍が襲ってくるのは目に見えており、私たちはその禍を力として生き延び、善なる世界に変えて行かなくてはならないと思っている。

善なる世界では、世界のあらゆる地域が太陽を原資とする自然エネルギーでエネルギー自立し、地域での生態系に配慮した小規模の農業が地域市民によって担われる環境保護型農業であり、地域食料自給率100%の自律地域社会から成り立っている。

詳しくは今年4月に出した私の大作『核のない善なる世界~禍を力とする懐かしい未来への復活』を見て欲しい。