(479)核なき世界の実現(7)欧州の見果てぬ夢(前編)

 平和で平等な発展の挫折

 

 

 欧州連合EUは、動画で見るように二度とヨーロッパで戦争を起こしたくないという強い思いから、1952年戦争に不可欠な鉄鋼と石炭を共同管理すれば戦争が起きないという考えから、連帯と分かち合いの理念で欧州石炭鉄鋼共同体を発足したことに始まっている。

さらに1957年には欧州経済共同体(EEC)、及び欧州原子力共同体(Euratom)を発足し、1967年に3つの共同体を合わせた欧州共同体(EC)を誕生させて、平等な豊かな発展を目指した。

それは、1997年の京都議定書でEUが二酸化炭素排出量を各国の経済発展指標と位置付け、その指標を同一にすることを明記し、ドイツなどの産業国は25%の削減、フランスなどの農業国は削減ゼロ、逆に経済発展が遅れているギリシャポルトガルでは30%から40%排出量増大を盛り込み、全体で2012年までに1990年比で8%の減少を確約したことからも明らかである。

しかし1990年のドイツ統合で、規制緩和、民営化、社会保障費削減をかかげる新自由主義がなだれ込み、競争原理を優先する環境に変わりつつあったことも事実である。

1998年に誕生したシュレーダー政権は、最初コール政権が推し進める新自由主義に反対して選挙で勝利し、解雇制限緩和法や病欠手当・年金減額法を撤回したが、1年後には新自由主義にからめとられ、逆に新自由主義を過激に推し進めて行った。

そのような転換はドイツを牽引する巨大企業の海外移転という脅しにあるとしても、ドイツを初めとしてヨーロッパ諸国が国際競争力低下で窮地に立たされていたからでもある。

それゆえ1992年の欧州連合条約(マーストリヒト条約)でECからEUに名称を変更して、欧州の単一市場が目指され、ヒト、モノ、カネ、サービスの移動の自由が明記された。そして2000年にリスボンで開催された欧州首脳会議では、「欧州連合(EU)は、2010年までに世界で最も競争力がありダイナミックな経済になり、より多くのより良い雇用とより大きな社会的結束を伴う持続可能な経済成長を達成する」というリスボン戦略が採択されたのであった。

このリスボン戦略は、まさに競争原理を優先する新自由主義であり、平和や平等な発展による市民の幸せより、自由競争優先による絶えず成長発展を求める欧州連合に変身させて行ったと言えるだろう。

しかし新自由主義が台頭した理由には、戦後四半世紀繁栄した欧米先進国の経済成長が急速に減速した背景がある。それは1972年にローマクラブが発表した「成長の限界」が示すように、将来の世界経済の成長には限界があり、既に行き詰まって来たからである。

もっともそのような欧州連合の人々の連帯から経済の競争への転換は、EU市民には支持されず、欧州連合の新しい包括的な制度的および法的枠組みとなる欧州憲法の批准では2005年のフランスやオランダの国民投票で否決された。それゆえ欧州連合は欧州、市民の承認を必要としない憲法に代わるリスボン条約(欧州憲法条約)を2009年に発行している。

それは、欧州内の公共性を求める憲法条約ではなく、市場や通貨圏の経済を目的とするものになっており、EU市民の願いとは相離れ、「ブリュッセルの官僚たちによる専制支配」であるという批判も根強い。

 

官僚専制支配による「民主主義の赤字」

 

 民主主義国家の仕組は立法、行政、司法の3権分立からなるが、欧州連合EUは、最高政治的決定機関の欧州理事会(加盟国の首脳会議)、立法機関の閣僚理事会(加盟国の閣僚会議)、行政機関の欧州委員会、立法の承認と民主的統制機関である欧州議会、そして司法機関である欧州司法裁判所の5権から成り立っている。

確かに立法行使では、EU市民が直接選ぶ751名の欧州議会議員の承認決議を必要とするが、欧州議会は単独では立法も提出をできず、EU市民の要望が民主的に反映できない。

それに比べ各国政府によって委員1名が選出される欧州委員会には、その下に全体で2万人を超える各国官僚が配置されており、実質的にこれらの官僚が欧州連合の行政を担っている。しかもドイツ国内のように市民が容易に行政裁判を起こせないことから、ブリュッセルの3万にを超えるロビーイストとの癒着が指摘批判されるなかでも、権限を強力に押し進めており、官僚専制支配とも批判されている。

戦後の平和と平等な豊かな発展を求めるなかでは、官僚主導が強力に機能したことも事実である。しかし欧州連合が競争原理最優先の新自由主義に呑み込まれていくなかで、EU市民の求めるものとかけ離れ、「EUの民主主義の赤字」や「EUの軍事化」が指摘されるように、経済成長を優先する官僚専制支配に陥っていることも確かである。

「民主主義の赤字」に対しては、欧州議会の立法の理事会との共同提出や欧州委員の承認などで議会の権限を強めてきているが、欧州連合の発展と共に全ての分野でEU法案が各国の法案より優先され、5億にも上るEU市民の暮らしが、民主主義で選ばれていない人たちによって規制され、決められていることも確かである。

 

欧州連合の軍事化

 

 欧州連合は戦後の平和と平等な豊かな発展を求めるなかでは、1954年の欧州防衛共同体という軍隊設立の構想も失敗に終わり、西ヨーロッパの防衛はNATO(1949年結ばれた西欧諸国の軍事同盟組織)の枠組でなされていた。

しかし冷戦が終わり、ドイツ統一を転機に新自由主義が拡がって行き、欧州連合の東方拡大の機運が高まってくるとボスニア紛争で見られるように各地で紛争が生じ、軍事化が欠かせない課題となってきた。

具体的には1999年のヘルシンキ欧州理事会で軍事化が決められ、2003年までに加盟国は欧州連合が主導する作戦に、兵力5万から6万人を展開できるようにすることに合意した。

2009年の欧州憲法条約では、第I-41条において連合の軍事的な統制を求め、防衛能力、研究、調達、軍備の分野における発展のための軍事機関の構築を定め、さらに軍事力の向上についての加盟国の義務と連合の軍事的使命の拡張、軍事行動の要件緩和を求めている。

このようにして欧州連合の軍事化急速に進んできており、現在のウクライナ戦争を通して対ロシアという視点で見れば、ロシアと戦うために軍事化を拡大していると言えるだろう。

それは、戦後のヨーロッパ大陸から戦争をなくすという理念とはかけ離れたものである。もっともそれは、ロシアの無法な侵略があり、平和を築くためには戦わなければならないという論理も成り立つだろうが、それでは戦争はなくならない。

 

ゴルバチョフが希求した「欧州共通の家」

 

 昨年8月に亡くなったミハエル・ゴルバチョフは、「欧州共通の家」という平和構想を掲げ、戦争のない欧州、そして核のない世界を求め続けた。

ゴルバチョフのような平和主義者がいなかったら、東西の中距離核基地撤収、東西の壁崩壊、そして冷戦の終結もなかっただろう。

もしゴルバチョフが「欧州共通の家」という遠大な平和構想を持っていなければ、東ベルリンに駐留していた50万人の精鋭ソ連軍を動かして、ベルリンの壁崩壊はなかったろう。たとえ東欧諸国に民主主義を求める声が高まったとしても、強力な軍事介入で冷戦終結はなかっただろう。

確かにソ連市場経済から見れば破綻寸前であったが、もしゴルバチョフのような平和主義者でなく従来の共産帝国主義者であれば、北朝鮮に見られるように経済的に困窮すればするほど軍事化を強化したであろう。

現在の恐ろしく悲惨なウクライナ戦争を引き起した直接的原因は、KGB旧ソ連国家保安委員会)が造り出した独裁者プーチンにあるとしても、ロシアのクリミア併合以来8年間も本質的な平和解決への努力を怠ってきた欧州連合の責任は決して軽くないだろう。

さらに遡れば、冷戦終結ゴルバチョフに迫り、NATOは東方へ一歩さえ踏み越えないと口約束して、ゴルバチョフを見捨てた欧州連合の政治家たちの責任は決して軽くない。

確かにその際は経済のベクトルは東方を目指しており、その際の欧州連合の政治家たちがゴルバチョフの「欧州共通の家」建設を本心から望んでいたとしても、東方への経済進出を目論む3万を超えるロビーイストに現実的に支配されているなかでは最初から見果てぬ夢であったろう。

しかしそれこそが、現在のウクライナ戦争の本質的な原因であり、それに取組まなくては、たとえ停戦条約が実現してもすぐさま戦争が再発し、より核戦争の危機は深まって行くだろう。

現在は冷戦終結時のような発展への希望はなく、前回まで述べてきたように禍を力としてエネルギー自立がヨーロッパに高まっており、現実的にそれを実現するためには、地域での市民による再生可能エネルギーへのエネルギー転換しかなく、政治も危機に際して巨大企業離れも採らざるを得ない状況にある。

それは冷戦後経済が新植民地主義主義と言われるように、グロバルな利益獲得求めた時代とは異なり、危機という禍が押し寄せてくる時代には地域でのエネルギー自立、食料や生活必需品の自給が求められ、ゴルバチョフの「欧州共通の家」という見果てぬ夢が実現する時でもある。