(480)核なき世界の実現(8)欧州の見果てぬ夢(後編)

「欧州共通の家」という見果てぬ夢

 

 上の私の見た動画77(2022年10月1日放送したETV特集ゴルバチョフの警告~冷戦終結ウクライナ危機~」私の印象に残るシーンで3分の1ほどに短縮)は、2014年のロシアクリミア半島併合の直前ゴルバチョフが米ロ首脳に宛てた要望書(警告)から始まっている。(ETV特集「ゴルバチョフの警告~冷戦終結とウクライナ危機~」はデイリーモションで見られます

しかしその警告は功を奏せず、世界はその後の東ウクライナでの抗争を平和解決しようとする努力を怠り、2022年ロシアの侵攻によって今も続く悲惨なウクライナ戦争へと発展させている。

ゴルバチョフの切なる警告が無視された背景には、80年代末の世界が西も東も冷戦の終結と平和を願った時代と異なり、平和よりも成長発展が優先され、最早首脳外交で危機が回避されない時代になって来ていることにある。

すなわち冷戦下では経済も平和なくして繁栄はないとされてきたが、新自由主義が推し進めるグローバル資本主義では、戦争と言う惨事さえ利益追求に利用されている。

ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン・惨事便乗型資本主義の正体を暴く』では、「ところが今やそうではなくなった。2003年以降、戦闘機と高級自家用ジェット機の売上は、足並みをそろえて急速な伸びを示している。つまり、世界はますます平和から遠ざかると同時に、経済収益もどんどん拡大しているのだ。……今日、不安定な国際情勢で潤っているのは何も一握りの武器商人だけではない。ハイテク化したセキュリティー産業や建設業者、負傷した兵士を治療する民間医療企業、石油やガス会社、そして言うまでもなく軍事請合企業も巨額の利を得ている」(619ページ)と、事実を列挙して検証している。

しかしそのような惨事便乗型資本主義では、現在のウクライナ戦争が示すように核の限定使用さえ公言され、人類の滅亡も見えてきている。

それゆえに今こそ、ゴルバチョフの夢見た「欧州共通の家」平和構想を実現するときであり、それなくして世界の未来はないだろう。

ゴルバチョフの「欧州共通の家」平和構想は、1985年書記長に就任以来持っていた平和構想であり、1987年4月のプラハ演説では以下のように述べている(注1)。

「私たちは、大陸を互いに対峙する軍事ブロックに分割すること、ヨーロッパに軍事兵器を蓄えること、戦争の脅威の源であるすべてのものに断固として反対します。新しい考え方の精神で、私たちは「欧州共通の家」」の構想を導入します...これはとりわけ、全体承認が不可欠ですが、問題の国家は異なる社会システムに属し、互いに対立する軍事政治ブロックのメンバーです。この「欧州共通の家」の言い回しには、現在の問題とその解決策の現実的両方の可能性が含まれています」

そしてフイルムで見るように、1990年11月パリでの全欧安保首脳会議がゴルバチョフの強い要請で開かれ、パリ憲章を採択した。

このパリ憲章の採択こそ、ゴルバチョフの夢見た「欧州共通の家」の第一歩であったが、ゴルバチョフが失脚し、ソ連が崩壊することで見果てぬ夢となった。

「欧州共通の家」構想では、現在のNATO加盟国とワルシャワ条約機構加盟国の対立を、東ドイツ及び東欧諸国を中立国とすることで緩和し、将来的には大西洋からウラルに至る全ヨーロッパの国々を一つのヨーロッパ連合に統合し、平和で平等な発展を目指し、戦争のない、核なき世界を実現するものであった。

そのような構想にヨーロッパ諸国はフランスを先頭に支持し、東欧諸国も多くが平和主義者の反体制派支配に変わり、西側への編入よりも中立で非武装地帯を望んでいたことから、この構想の実現には賛成であった。

しかしアメリカのブッシュ政権新自由主義を通して、アメリカを既にコーポラティズム国家へと進化させていた。

確かにベーカー国務長官の書簡では、東独に対しては一定の妥協を示唆し、NATOの東方拡大は1インチもないと明言しているが、スコウクロフト補佐官のブッシュ発進書簡では、統一ドイツのNATO帰属とソ連に対して無用な妥協をすべきでないことが書かれている(注2)。

そこではNATOの東方拡大については全く触れず、ベーカーの東欧「拡大は1インチもない」を約束として文章化しなかったことは、その裏では東欧拡大を目論んでいたことを示唆している。

そのような目論見は、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』の11章に詳しく書かれてており、一つ一つ事実を挙げて検証している。

すなわち1991年7月の先進国首脳会議(G7)では、各国首脳の態度が一変し、ゴルバチョフが急進的な経済ショック療法をすぐに受入れなければ、ロープを切断して奈落に突き落とすというメッセージに変化していた。

しかもこのG7後ゴルバチョフは、融資を口約束していたIMF世界銀行からも、融資条件として新自由主義の急進的改革が要請され、融資が進まないなかでソ連は崩壊し、ゴルバチョフも失脚した。

その後狡猾なエリツィンが台頭し、西側の新自由主義経済学者たちの指導で急進的なショック療法を断行し、価格統制廃止、貿易自由化、国有企業約2万5000社を段階的に民営化して行った。

エリツィンは1991年10月28日のロシア人民代議員大会でそれを演説し、「半年ほどは事態が悪化するが、その後は回復に向かい、近い将来ロシアは世界で四本の指に入る経済大国になる」と約束している。しかしわずか一年後、ショック療法の打撃は壊滅的なものになっていた。それは民衆の著しい困窮によって国民の支持を失うだけでなく、議会からも支持が得られなくなったことから、1993年9月21日に憲法を停止し、議会解散を命じた。

この暴挙に議会はエリツィン弾劾を決議したが、エリツィンは10月4日世界が見守るなかで議会砲撃という攻撃に出たのであった。

それは既に載せた私の見た動画76『ショック・ドクトリン3-2』では、「議会砲撃という巨大ショックで国中が騒然となった隙に、エリツィンとロシア版シカゴボーイズたちは、過激な民営化計画を強行して行きます。ロシアの石油企業などが10分の1の値段で海外企業に売られ、国有資産の大セールが行われました。その中でシカゴボーイズたちと手を組んだ新興財閥オルガルヒが莫大な利益を手に入れた」と語っている。

しかしそのような事態への移行は、エリツィンゴルバチョフを裏切り、硬骨な欲望の深い人間であったからではなく、ソ連崩壊後のロシアがフリードマン新自由主義に絡め取られて行ったからに他ならない。

それは再統一されたドイツでも同じであり、ベルリンの壁崩壊直後に過激に新自由主義を推し進めるアメリカ企業が雪崩込み、莫大な東ドイツの財を根こそぎに奪って行ったことから見ても計画的だったと言えるだろう(注3)。

具体的にはコンサルタント企業マッキンジー、経営診断企業プリンスウォーター・ハウス・クーパー、法律事務所ホワイトアンドケースなどの多くの弁護士を抱えた専門企業が襲来し、常套手段のやり方で信託公社の役人や政治家を買収し、タダ同然で強奪して行った。例えば東ドイツの4万企業の全体の売値はタダどころか、非解雇を条件に2560億マルクの助成金が付けられた。

そして1994年には厳格に政治汚職を禁じた刑法104e条項が改正され、議決に対する便宜のみ有罪に書き換えられ、大半の政治汚職が合法化された。

しかもコール政権では国益を最優先するという名目で、300人にも上る大企業社長が相談役として政府内への出入りを許されるだけでなく、3000人を超えるロビーイストがフリーパスで連邦議会に出入りできるようになり、政治と企業の癒着が深まって行ったのである。

しかしドイツでは、国家より国民のためを優先する基本法が国民の権利を多数決では変えられない第1条から第20条で守っていることから、新自由主義を克服しつつあり(注4)、禍を力として気候正義実現に向かっていると言えるだろう。

 

ゴルバチョフの夢を実現するとき

 

 確かにゴルバチョフが「欧州共通の家」を夢見た時代はヨーロッパに新自由主義が襲来した時代であり、ブッシュ大統領やスコウクロフト補佐官(注5)の新自由主義推進の目論見がなかったとしても、ヨーロッパ自体が2000年に新自由主義推進のリスボン戦略を採択したことからも、西と東の衝突による戦争は避けられなかったろう。

現在のグローバル資本主義は、化石燃料資本が築いた絶えず肥大するモンスターが限界に達し、公共資本の民営化で国民国家さえ喰い尽くしており、アフガニスタン、シリア、ウクライナと絶えず戦争を継続させ、核兵器の限定使用さえ公然と唱えられる時代になって来ている。

世界がそのような肥大渇望で突き進むなら、必ずや核戦争が生じ、「核の冬」によって世界は滅び、人類は絶滅するだろう。

しかし人類が危機という禍を通して手に入れつつある再生可能エネルギーは、太陽光発電風力発電にしても地球に降り注ぐ太陽を源としており、地球上のどこであれ、地域で必要とするエネルギーの数千倍が降り注いでいると言われている。

そして今ヨーロッパではエネルギー危機、気候変動危機を通して、必然的に地域市民の自然エネルギーへのエネルギー転換で各々の地域がエネルギー自立に踏み出さなくてはならない時代を迎えている。

それはグローバルに外に向かって貪り取る競争の風ではなく、ローカルに内に向かって創り出す連帯の風であることから、ゴルバチョフの「欧州共通の家」を上からではなく下から実現する時であり、それを踏み台として「核なき世界」を実現する時でもある。

 

(注1)Common European Homeより翻訳

https://en.wikipedia.org/wiki/Common_European_Home

「We are resolutely against the division of the continent into military blocs facing each other, against the accumulation of military arsenals in Europe, against everything that is the source of the threat of war. In the spirit of the new thinking we introduced the idea of the "all-European house"... [which] signifies, above all, the acknowledgment of a certain integral whole, although the states in question belong to different social systems and are members of opposing military-political blocs standing against each other. This term includes both current problems and real possibilities for their solution」

(注2)吉留公太研究論文「ドイツ統一交渉とアメリカ外交(上)」参照。

(注3)自著『ドイツから学ぶ希望ある未来』(地湧社)58ページ参照

(注4)自著『永久革命としての民主主義(ドイツから学ぶ戦う民主主義)』

Amazon)参照

(注5)ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は1953年にザバタ石油会社を設立し、共産圏石油情報の収取でCIAと関係を持ち、1976年にはCIA長官を歴任し、1981年にはレイガン政権の副大統領に就任している。ブレント・スコウクロフト補佐官は陸軍士官学校の軍人であるが(最終階級は空軍中将)、コロンビア大学政治学の博士号を受けている。キッシンジャーが設立した国際コンサルティング会社の副代表を1982年から1988年まで務め、自らもコンサルタント企業を設立している。