(89)脱原発を求めて。最終回(19)絶望的な無責任社会からも見えてくる責任ある社会の未来

福島原発事故後に起きたことは、原発が絶対安全であると断言していた原子力ムラの人たちは全く責任を取らず、メルトダウンの際は最悪のシナリオを想定して撤退だけを考えていたことだ。
そのような人たちは放射線量の高い現場で直接指揮にあたることもなく、フクシマから遠く離れて今、原発再稼動をあらゆる手段で強行しようとしている。
しかもそれらの人たちに支配される政府は、被災で家や仕事を失った人たち、原発事故で避難を余儀なくされた人たちを全く救済しようとはせず、法を盾に棄民を容認していると言っても過言ではない。
支援に積極的なのは、全国に放射能をばら撒く瓦礫処理事業や除洗してもすぐに降り積もるセシウム除去事業といった利権支配構造の事業ばかりである。
本来ならば政府は、原発事故の被害で苦しんでいる人たちが100パーセント保証されるだけでなく、精神的苦痛に対しても前払いで保証されるように指導すべきであるが、法を盾に企業に任せ、進まない保証で幾人も自殺に追い込んでいる。
また食物などの放射能汚染もまるで何も起きなかったように進行しており、私の住む新潟県や長野県のスパーでは、レタス、ネギ、サツマイモなどの日常の野菜の大部分が茨城、千葉、群馬産で全く選択肢がない。
都会周辺では競争が激しく原発事故周辺地域の野菜が売れないことから、周辺地域の危機にある農業を守る苦肉の策なのであろう。
しかし食物による放射能被害は、チェルノブイリに学べば10年後から始まるのであって、経済を最優先する現状は恐ろしい限りである。
チェルノブイリから真摯に学ぶのであれば、原発周辺のセシウム汚染されている地域の農業は助成金付の菜種栽培に転換し、ほとんど放射能が取り込まれないエコディーゼル油の生産をすべきである(菜種本体やカスは放射能が高いことから廃棄処分とし、半減期で激減する数十年継続することが、起きてしまった地域の農業政策だと思う)。
しかしそのような検討もせず、全国での瓦礫処理、原発再稼動、そしてそのために消費税大幅値上や電気料金の値上などを強行しようとする無責任社会には絶望を感ぜずにはいられない。

もっともポジティブな視点から見れば、マスメディアから御用学者を追い出し、東京新聞のような脱原発を求める新聞を生み出し、NHKや朝日新聞さえも脱原発へ目覚めている。
またこれまで原発推進政策の先頭に立っていた東芝でさえ、既に述べたようにスイスの世界的スマートフォン企業を買収し、韓国の優れた風力発電機企業を手中にすることで再生可能エネルギー推進の方針転換を全面に打ち出している(注1)。
このような日本の地殻変動は氷山のように全体像が見えていないが、これまで日本を牽引していた企業、パナソニックソニー、シャープなどが時代の大きな波に飲み込まれていくように確実に進行している。
同時にそれは、大本営指令下の護送船団方式で甘い汁を吸い合う利権支配構造が機能不全に陥っていることを意味している。
機能不全に陥っているからこそ、これまでの利権支配を継続するために大幅な消費税値上を断行しようとしているのである。
日本が坂を下り始め、国民の負担も限界に達しているなかで、そのような愚かな政策を断行すれば、益々消費が冷え込み、自らの首を絞めることになるのは火を見るより明らかである。
既に日本社会はそのような時代の流れを漠然ではあるとしても気付き始めており、原発の配管破断などを含めて事故の全体像が検証されずに、従来の利権支配構造の求めに従って原発再稼動すれば、日本が終わりになる思いが支配し始めている(注2)。
それが、玄海原発から大飯原発の再稼動を強く求める大本営の意志にもかかわらず、「原発ゼロ」を実現させた理由である。
とは言え、このまま大本営がドイツの戦後のように解体することは有り得ないだろう。
追い詰められれば追い詰められるほど、魔女狩り(3)を含めてあらゆる手段で脱原発を求める動きや周辺自治体首長の反対を切り崩し、原発の再稼動に命運をかけてくることは必至である。
しかしたとえ再稼動しても、最早安全神話が失われている中で原発再稼動を持ちこたえることはできない。
何故なら原発は事故が付き物であり、ガラス張りの公表が求められているドイツでは、古くなった原発では年間数百回の故障を起こしていたことが明らかにされており、既に老朽化が進む日本の原発では炉心隔壁のひび割れだけでなくあらゆる部分がリスクを持っており、最早どのように隠しても次から次へと生じる故障が明るみに出てくるからである。
それは大本営指令を厳守していた側にも、日本の終わりを避けたいブレーキが掛かるからである。
しかも大局的な観点に立てば、日本にとって大量生産、大量廃棄の無責任な繁栄時代は過ぎ去っており、原子炉の巨人シーメンスが完全撤退するように、原発ルネッサンスのような無責任なやり方は最早許されないからだ。
そうした中で日本が選択すべき途は、これまで培ってきた技術を生かして世界の人々の幸せに貢献することである。
それはまさに脱原発であり、必然的に小さな格差と平和を生み出す地域分散型社会への移行でもあり、自然エネルギーへの転換である。
すなわち原発を含めた化石エネルギーこそが、独占支配を求める現在の世界の桎梏であり、太陽に起因する自然エネルギーへの転換が命運を握っている。
そしてその命運は、フクシマ市民の視点に立って無責任社会を問い正し、責任ある社会を構築することに掛かっている。

構築された責任ある社会、責任ある世界から見れば、原発は平和利用を目的に開始された時から犯罪行為である。
何故ならチェルノブイリ事故や福島事故が起きるのは時間の問題であり、米国では原発事故が当初から想定されていたからである。
すなわち原発は、利潤を最優先する無責任社会でのみ合法に過ぎないからだ。
しかしフクシマ以後は決して許されるものではない。
もしそれを無責任に許していけば、再び原発事故が繰り返されるだけでなく、ロケット砲による原発テロ攻撃だけでなく、プルトニウムが世界に溢れることで核ゲリラ攻撃も必至であり、世界の終わりを意味するからだ。
また原発放射線廃棄物の最終処分場についても、現在の世界の技術では将来世代に責任を持って処分することは不可能であり(注4)、たとえどのように莫大な費用を必要するとしても、放射線廃棄物を責任を持って処理できる時代まで安全に保管しなくてはならないことが、責任ある社会から見えてくるだろう。

(注1)ブログ参照
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20120408/1333893256

(注2)再稼動強行の圧力が強まるなかで、深夜とは言えNHKがその危うさを放映する理由でもある。
サイエンスZERO「冷温停止状態 浮かび上がる課題」(5月13日23.30−)
http://www.dailymotion.com/video/xqsx70_20120513-yyyyyy-yyyyyyyy_news
BS世界ドキュメンタリー「インサイド フクシマ」(5月14日24.00−)
http://www.dailymotion.com/video/xqtw19_20120514-yyyyyyyyyyyyyy-yyyyyyyyy_news?start=1380

(注3)例えば「脱原発」というキヨキココロ は、魔女狩りの典型。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120513-00000306-agora-soci


(注4)ブログ参照
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20110901/1314827466
http://d.hatena.ne.jp/msehi/20120325/1332707378