(218)ドイツメディアから考える今19・・医療の理想を求めて7・『自宅で亡くなること4−1』(人生の最期を生きる権利)

日本では凡そ9割の人が病院で亡くなっており、最終的には全身にチューブが付けられ胃婁や人工呼吸器による延命の末亡くなることが当り前となっている。
そこでは最早ドイツのように人生の最期を悔いなく生きる権利が希求されていないだけでなく、医療産業による患者工場という病院で全身にチューブが付けられ、治癒することのない継続措置で長期の苦しみ末、葬られている見方さえできる。
ドイツでも急速に病院で亡くなることが増加するなかで、2001年の医療改革でホスピス施設で亡くなることが制度化された(注1)。
すなわち治癒見込みのない患者が、お金の負担なくホスピス施設で人生の最期を生きる権利を全うすることができるようになった。
そして2007年の医療改革では、さらに進めて自宅で亡くなることを権利として認めた。
しかし法律だけが先行し実践が伴わない状況を、ドイツのもう一つの公共放送ARD(ZDFと張り合っている)は、2013年3月に放映したフィルム『自宅で亡くなること』で厳しく追及すると同時に、家族の看取りで人生の最期を悔いなく生きる権利をドイツ市民に投げかけた(注2)。

フィルムのファーストシーンでは、最早治癒することのない少女アンナ・マリアが最後の時を自宅で悔いなく生きれるように、緩和ケア医師や母親の配慮から始まる。
しかし・・・。

(注1)ドイツのホスピスは治療なしに看取る施設であることから、日本のように医師は居らず(医師はあくまでも外からの往診)、看護師、介護士およぶ多くのボランティアスタッフから成り立っている。
鎮痛剤やモルヒネ使用などの緩和ケーアは看護師によってなされている。すなわち往診する医師の処方箋に基いているのであるが、最後は看護師が診ると言ってもよい(全ての医行為を医師法で排除する日本との違いでもある)。
患者負担はほとんどなく(1日0,4ユーロ)、支払は保険(疾病金庫)及び寄付からなされている。
2001年以前数百であったドイツのホスピスは2001年の医療改革以降急速に増加し、現在では数千に増加しているが、フィルムでのマークの母親のように欠員がなく入居できない場合も多く聞かれている。

(注2)このフィルムもドイツ語字幕がないことから、翻訳はしばしば勘に頼ているので悪しからず。