(463)理想を追求するドイツの医療(1)何故、理想を追求するドイツの医療が燃え尽きるのか

ラウターバッハ保健大臣の医療革命

 

 ドイツの医療はコロナ禍で証明されたように世界に秀でており、国内で毎日20万人を超える感染者が出るなかでも、集中治療室にはゆとりがあり、限界に達していたイタリアやフランスだけでなく、ハンガリーポーランドなどの東欧から救急ヘリで重症者を運び、多くの命を救った。

世界に報道されたそのような素晴らしいドイツの医療は、鴎外がコッホ研究所に学んだように、19世紀から医療に理想を追求し、患者に奉仕する医療従事者の教育、そして技術を磨き上げて来たからだと言えるだろう。

しかしその裏側では(既にこのブログ212から217の「医療に理想を求めて」でも書いているが)、看護師などの医療従事者だけでなく、医師も夜間交代勤務だけでなく、30時間連続勤務さえ珍しくなく、ドイツの医療現場が燃え尽きていることを、ドイツのメディアは頻繁に描き訴えている。

私が屡々紹介するドイツ第二公共放送ZDFでも、最近のものでは10月25日フロンタール報道する「病院医師は限界」や12月19日WISOスぺシアルが描く「病院の大いなる危機」が、これらの窮状をリアルに訴えていた(新年に字幕を付けて徐々に載せて行く予定)。

このように理想を求めるドイツの医療が現場で燃え尽き、危機に陥っている原因は2004年から始まった(診断別)包括支払い制度Fallpauschalensystemであり、医療における利益追求が肥大し、最優先されてきたからである。

もっともこの制度が導入された時点では、薬が投与されればされるほど利益が出る薬害を生み出す仕組が是正され、診断された様々な傷病別の包括支払いで、その間の治療内容(投薬量)や期間に依ることなく、治療する側の創意工夫の努力と患者側の要望が報われる制度とも唱えられていた。

それは今から思えば、ハルツ労働法同様に競争原理最優先の新自由主義構造改革であり、利益追求によって得られた豊かさが滴り落ちるといった類の似非であった。

病院では利益追求が徐々に最優先され、利益が出る手術へと向かい、ドイツの手厚い患者奉仕の医療が、必ずしも必要ない早期手術で、早期退院を強いる利益奉仕の医療に転換されて行った。

すなわちベッド数が倍増し、それによって医師の労働も倍増し、経済優先が強いられ、良心ある医師たちはそのようなベルトコンベアの上で悲鳴を上げ、燃え尽きようとしていると語られている。

そのような状況下で、上に載せた12月6日のZDFheuteが伝えるように、ラウターバッハ保健大臣は医療革命を唱え、現在の医療構造を抜本的の変えることを約束した。

しかしこの十数年で自治体や都市の公営の病院、さらには経営基盤の弱い慈善団体などの多くの病院が投機目的で買収され、株式会社として既に深く根ずくなかでは、公共に取戻すことは恐ろしく難しことも確かである。

しかしラウターバッハは本気であり、25日にはそのような病院への投機をできなくすることを明言し、2023年の第一四半期には法案化を約束している。

それはたとえ法案化に成功しても、利益優先の資本主義社会で一旦生じた民営化の流れを変えることは不可能に近いことであり、それ故にラウターバッハは医療改革と呼ばずに、医療革命と敢えて宣言するのだろう。

そのような医療革命は、私にとっても関心が深く、新しい年の始まりから追跡して、詳しく述べて行きたい。

何故なら、現在の経済優先の医療を患者優先の医療へ変えて行くことは、現在の資本主義の経済成長優先の世界を、人の幸せ優先の世界に変えて行くことでもあるからだ。

事実ドイツでは利益追求最優先の新自由主義の雪解けが各方面で起きており、悪魔のハルツ第四法は既に「市民のお金」に変わり、新年から実施される。

 

尚下には、具体的にドイツの医療の問題点が理解できるように、8年前ZDFがドイツの医療危機を世に問うた『蚊帳の外の患者』を字幕を付けて載せて置きます(当時はフィルムが入手できず、セリフと解説だけで書いています)。

 

 

 

なぜドイツ医師の半数が自殺を考えるのか

(『蚊帳の外の患者3-1)』

 

 フイルムの前半ではゲッチンゲン大学医学部の卒業式が描かれ、医師として旅立つ卒業生たちは全員で、ピポクラテスの誓い「私の生涯を人の奉仕に捧げます。・・・私の患者の健康が、私の治療の最上の規律となるようにします」と一緒に誓っているが、日本ではあり得ないことである。

しかも卒業生のインタビューでは、「誓約は、人がいかに務めるべきかの確かな原理です。私は絶えずそのことを思い出したいと思います」、「人のために献身的に身を捧げる職業であり、そのための医師になります」と恥じらいもなく、真摯に語っているのである。

それは、競争教育で育った日本人には考えられないことである。 

ドイツの医師たちは、戦後60年代からの「競争よりも連帯を優先する」教育の民主化の流れで育ち、しかも幼少から自立と批判力の育成が求められきたからこそ、そのように胸を張って理想が語れるのである。

しかしこうして旅立った医師たちが、医師のアンケート調査によれば、ドイツ医師の3分の1が“燃え尽き症候群”にかかっており、凡そ半数が自殺を考えたことがあると答えている。

フイルムは、何故そのような驚愕する数を生み出しいるのかを追求することで、ドイツの現在の医療が患者より利益追求が優先される実態を浮き彫りにしている。

最初に訪ねた集中治療室の救急医であるパウル医師は、病院の一般病棟では医師は利益を求める経済圧力に抗することができず、自らも必要のない後悔の残る手術をしたことを語っている。

パウル医師が医長を辞して救急医になった理由は、このフィルムでは語られていないが、昨年ZDFが制作放映した『医師は限界・患者の幸せよりも利益優先の圧力 Ärzte am Limit - Kostendruck statt Patientenwohl』では、救急医のフリーデリケ女医が「私が救急医として働くとき、それは医者としての私にとって大きな自由です。救急医として、私は車の中で持っているすべてのものを、私が適切だと思うように、機器、薬の面で使うことができます。また、患者にとって適切だと思うだけ時間をかけることができます」と語っており、集中治療室では患者の命が優先されるからである(コロナ禍で集中治療室が秀でて機能したのは、唯一経済圧力下にないからだろう)。

そしてパウル医師は、過去にそのような手術をしたことを遺憾に思うと同時に、医長として若い医師に強いたことを深く反省している。

そしてそのような驚くべき話を様々な病院の医師取材で聞き、経済圧力が増し、ベルトコンベアのように処するなかで、燃え尽きている実態が見えて来たと語っている。

何故ならベッド数が倍増することで、医師を含め全ての医療従事者の労働時間が倍増され、1週間で60時間から80時間働いているからだと語られている。

それ故取材班は、燃え尽きた医師が入院治療している黒い森の小都市ホルンベルクにあるオバーベルク病院を取材している。

そこでは、毎年数百人の“燃え尽き症候群”の医師たちが治療を受けていた。

取材では、病める女医は「患者に出来うる限り公正で、私個人の要求に公正で、上司の要請に公正であろうとする強い圧力がありました。ベルトコンベヤー同様で、患者一人あたり数分の診療は最後に限界に達しました。何故なら、ハムスターの糸車から脱出する逃道が見つからないからです」と語っていた。

また生と死の過酷な心臓手術の連続するなかで、その重圧に耐えかね絶えず自殺を考え、薬に浸ってしまった男性医師は、それによって患者を危険に晒していたことを真摯に悔いていた。

そして治療にあたっている院長のゲエツ・ムンドル教授は、ドイツの医師の3分の1が“燃え尽き症候群”にかり、半数が自殺を考えたことがあることに対し、そうした医師たちは「患者に奉仕したい」という非常に高い理想を持っているからだと語っていた。

すなわち裏返して言えば、ドイツの医師たちは「患者に奉仕する」ピポクラテスの高い理想が息づいているからこそ、燃え尽きていると言えるだろう。

 

今年も早いもので、明日で一年が終わろうとしている。75歳の私も、新しい年からは一歩一歩平均年齢の80歳へと近づいて行く。いろいろと老いを感じる日々ではあるが、今できることを少しづつする境地である。

新しい年も医療の理想から始め、ドイツの医療の民主化、経済の民主化について私自身学ぼうと思っている。なぜなら、それしか世界の未来はない、日本の未来はないと切に思うからでもある。