(264)地球温暖化から見えてくる世界危機・・第二回バングラの貧困拡大から大洪水加速、そして集団自衛権強行は同じ構図だ!前編

第二回のZDFフィルムでは2007年当時において、既にグリンランドの冬はこの15年間で5度も温度が上昇し、地球温暖化が加速している実態が第一人者のコンラド・ステファン教授を通して語られる。
ステファン教授によればCOP報告書では氷河の融解した水が川を形成し、氷河融解を加速することが無視されており、2100年までの海面上昇は0,5メートルとされているが、少なくとも1メートルを超えると断言している(2015年の現在においてはその信憑性が確かなものとなってきている)。
それはこのフィルムが指摘するように、たとえ世界がこの数十年でCO2排出量を激減させることに成功したとしても、気候変動のカタストロフィは過酷であり、次回フィルムで描かれようにバングラディシュでは既に「ノアの洪水」が始まっており、2032年には数千万のバングラディシュの貧しい人たちを避難民とさせる(もしこのまま激減を不履行にするなら、グリンランド、南極の氷河は近い将来確実に全て融解し、海面上昇は少なくとも7メートルに達し、予想もできないカタストロフィが待ち受けている)。

支援すればするほど途上国の人たちが貧しくなる理由
前回「40年後のバングラディシュは、数字の上では一人あたりの国民総所得(GDP)は100ドルから500ドルへと増加しているが」と私の凡そで書いたたが、正確には世銀資料で1978年170USドル、2000年406USドル、2007年までは500USドル台であるも、2010年808USドル、2014年1172USドルと、ここ数年急増している。
しかし夕方ダッカの街を数時間探索しただけで、貧しい人たちの困窮は激しくなってきており、絶えず自動車の警笛が鳴り続ける中で悲壮感さえ感じられた。
それは鉄道駅で次々と物乞いに來るストリートチルドレン(頻繁に起こる大洪水で増える)にも感じられ、さらにチッタゴンでは悪臭と治安の悪さのなかで貧困さが増していた。
何故なら市場(バザール)での食料品の値段は年々高騰しており、貧しい人たちにはとても手がでない価格になっている(40年前の1タカは約0,1USドルほどで、バケツ一杯の魚が買え、私の炊事用においしそうな一匹だけを取り、通りの子供たちに分けてやれたが、現在の10タカでは一匹の魚も買えないほど食料品が高騰しているからだ)。
ここ数年で急激にGDPが増大しているのは、先進国の裕福層が新自由主義の競争原理最優先で益々利益を得ているように、この国の裕福層がボトム競争での外国資本流入で巨額の利益をくすめているからに他ならない(すなわち最近の中国労働者賃金の高騰や公害規制強化で、驚くほど安い賃金や工場規制の緩さから、世界の縫製産業などがなだれ込で来たからである)。

しかしながら40年前もそうであったが、日本を含め先進国の世界はこの40年間貧しい人たちの救済を掲げ、巨額の途上国支援をしてきた。
それにも関わらず、貧しい人たちが益々貧しくなっていくのは何故であろうか?

そのような疑問には、途上国支援の本当の目的は途上国の貧しい人たちを救うことではないからだという答えが返ってくる。
特に戦後教育に社会の理想を求めてきたドイツでは強く、1985年には頂点に達していた。

1985年シュピーゲル誌の12号では(注1)、社会民主党議員で途上国支援省担当官を辞職して強く抗議するブリギッテ・エルラーの「途上国支援は殆ど犯罪だ」との断言や、「飢餓と貧困撲滅に貢献するという幻想を抱いていたが、いかに金持ちを益々裕福にし、貧しい人たちを益々貧しくしたかを凝視しなければならない」との主張を通して、厳しく批判していた。
ブリギッテ・エルラーが1985年に世に出した本『死を招く援助』(注2)では、彼女が「飢えと窮乏から救うため」という幻想を抱いて献身した全てのプロジェクトが、実際は逆に飢餓と窮乏を増大させた事実が具体的に述べられている。
例えば人間存在に必要なポンプ供給のベーシックヒューマニーズプロジェクトは、貧しい人のために小型手押しポンプや中型が考えられていたが、地域有力者の役人や零細農民協同組合の買収などの巧みなやり方で深井戸動力ポンプに変えられ、それらの深井戸動力ポンプは必ず地域有力者の所有地に設置されるようになっている。
いったん深井戸動力ポンプが設置されると有力者に私物化され、灌漑のための使用料は言いなりであり、収穫収入の4分の1から3分の1という法外な額が搾取されている。
そのような実態は現場のドイツ人技術者だけでなく、彼女の上司の官僚も十分把握しているが、技術者には設置されたポンプを技術的に機能させる使命しかなく、上司にとっては設置実績の使命が優先され、プロジェクトによって貧しい人々が益々貧しくなっていく実態が無視されている。

それは全てのプロジェクトで益々貧しくさせていると断言しており、その構図については次回に詳しく述べるが、現在のCOP会議の無力化、貧困の拡大や暴力の連鎖のなかでの国連の機能不全化、そして日本の平和憲法を葬る集団自衛権強行は同じ源、同じ構図であることを考えて見て欲しい。

(注1)http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-13512752.html
下に翻訳。

(注2)『(Tödliche Hilfe)死を招く援助 』(伊藤明子訳)、1987年亜紀書房


ENTWICKLUNGSHILFE途上国支援 
Beinahe kriminell殆ど犯罪
"Überall, wo wir helfen, richten wir Unheil an", behauptet Brigitte Erler, SPD-Politikerin und Aussteigerin aus dem Entwicklungshilfe-Ministerium. *「私たちが支援する至るところで、害悪を引き起こしている」と、SPDの政治家で発展途上国支援省を辞職したブリギッテ・エルラーは主張している。
Entwicklungshilfe war für sie stets eine Herzensangelegenheit. Fast ein Jahrzehnt lang, von 1974 bis 1983, arbeitete die junge SPD-Politikerin im Bonner Ministerium für wirtschaftliche Zusammenarbeit. Für die SPD-Minister Erhard Eppler und Egon Bahr schrieb sie flammende Reden. Als Bundestagsabgeordnete setzte sie sich zwischen 1976 und 1980 für Entwicklungshilfe ein. Im Auftrag des SPD-Ministers Rainer Offergeld und seines CSU-Nachfolgers Jürgen Warnke jettete sie nach Asien und Afrika, um nachzuschauen, wie deutsche Experten die Dritte Welt beglücken.
彼女にとって開発支援は心にかかる業務であった。1974年から1983年までの10年間若いSPD女性政治家は経済協力のためのボンの省庁で働いた。SPD大臣エアハルト・エッペラーやエゴン・バールのために燃え上がる演説草稿を書いた。連邦議会議員として1976年から1980年の間開発支援に取り組んだ。SPD大臣ライナー・オファーゲルトとCSU後任者ユルゲン・ワルンケの指令で彼女はアジアやアフリカに、ドイツの専門家たちが第三世界をどのように幸せにしているか視察するために飛んだ。
Doch vom Segen der Entwicklungshilfe ist Brigitte Erler heute nicht mehr überzeugt. Von ihrer letzten Dienstreise nach Bangladesch im Herbst 1983 brachte sie nicht nur die Erkenntnis mit, daß dort die Entwicklungshilfe "beinahe kriminell" sei, sondern sie reichte auch gleich ihre fristlose Kündigung ein. "Allzulange", so Frau Erler, 41, "habe ich noch die Illusion gehegt, daß wenigstens ''meine'' Projekte zur Beseitigung von Hunger und Elend beitrugen. Aber ich mußte mitansehen, wie sie die Reichen reicher und die Armen ärmer machten."
しかしながら開発支援の収穫を最早現在信じていない。1983年秋のバングラディシュへの最後の業務旅行で彼女は、開発支援は殆ど犯罪であるという認識に至るだけでなく、同時に即刻の辞表を提出した。41歳のエルラー女史は「皆さん同様に私は、少なくとも飢餓と貧困撲滅の私のプロジェクトは貢献するという幻想を抱いていた。しかしながらプロジェクトがいかに金持ちを益々裕福にし、貧しい人たちを益々貧しくしたかを凝視しなければならない」と述べている。(以下省略)