(267)地球温暖化から見えてくる世界危機第五回 『2032年のバングラディシュ』・・不正が生み出す危機(1)

2032年から見えて來る東京、ニューヨーク壊滅
第五回「2032年のバングラディシュ」フィルム(最終回)では、全く気候変動に責任のないバングラディシュの何百万人もの人たちが避難難民となって背をわなくてならないことに、世界の不正義を感ぜずにはいられない。
しかもポツダム気象研究所の気候変動研究では第一人者であるハンス・ヨアヒム・シェルンフバー教授は、それをノアの洪水の再来と呼び、2100年には世界の海面上昇が最悪の場合2メートルに達すると明言している。
そのような恐ろしい明言さえ目先の経済利益に支配される現在の世界では、2100年が遠い、遠い未来であることから殆ど無視されている(世界のCO2排出量はまるでリオの気候変動克服の誓いを免罪符にしたかのように増え続け、1990年のCO2排出量227億トンに比して2013年には351億トンに増大している)。
しかし現在までに明らかにされている事実に耳を傾ければ、気候変動に責任がある先進国も壊滅的カタストロフィを避けられない。
明らかに東京やニューヨークは壊滅する。
何故なら2メートルも海面が上昇すれば、例えどのような巨大な防潮堤を築いたとしても、巨大化する台風の前には一溜りもないからである(第二回フィルムで専門家が述べているように、一℃の気温上昇で大気の水分は約7%増加し、それが台風の巨大化を引き起こし、将来的には最大風速100メートルを超える台風が予想されるからだ)。
本来ならば世界は今年11月末にパリで開かれるCOP21で形振り構わず、2014年に報告された政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書に沿い、最悪のケースを避けるために各国の国益より優先して取り組むべきである。
報告書の要請では、「今後数十年間にわたり大幅に排出を削減し、21世紀末までにCO2排出量をほぼゼロにすることを要する」と明記し、最早抜き差しならない危機を訴えている。
しかし各国のCO2排出削減量が免責義務を失ったことから、1992年のリオ会議や1997年の京都会議(COP3)のような期待も緊張感もなく、日本においては2030年に2013年度比で26%削減という目標であるが、危機感もなければ、率先して削減を求めるイニシアチブもない(日本の1990年CO2排出量は11億4100万トンであり、2013年の地球温暖化ガス排出量は13億9500万トンであり、単純に見れば22,3%の増大であり、目標さえ1990年の排出量に過ぎない)。

不正が生み出す危機(1)
フォルクスワーゲンの排出ガス不正は、ドイツ社会が脱原発によってエネルギー転換に向かうことで、一部の利益が大部分の犠牲によって成立つ競争原理優先社会にブレーキが踏まれることで、暴かれるのは時間の問題であった。
何故ならドイツ社会では、2008年の世界金融危機以降利益至上主義の競争原理がネガティブなものとして批判されるようになったからだ。
例えばシュレーダー政権誕生の際、「ドイツに必要なものは競争原理である」と絶えず主張し続けてきたシュピーゲル誌さえ、金融危機後は利益最優先の競争原理追求を欲望(Gier)の追求として、絶えず厳しく批判している。

しかし日本社会では政府から企業に至るまで、本質的には不正が求められていると言っても過言ではない。
それは、今や世界一の原子力巨大企業である東芝の不正を見れば明らかである(同時に原発事故の危なさをも意味している)。

東芝の不正が幕を引かれようとしていた今年の夏の終わりに、日経ビジネスの「東芝 腐食の原点、告発が暴いた病巣」記事では、当事者社員(課長)の内部告発レコーダーに基づき、「試されているのは日本の正義だ」と読者に投げかけていた(この記事は無料登録すれば、現在もネットで見れることから是非見て欲しい)。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO90984310W5A820C1000000/

そこでは無理な業務目標を強要することが、「チャレンジ」として常態化し、以下のように不正が求められていたことが暴かれている。
すなわち「やるって言っただろ」と、3人の上司たちが罵詈雑言でこの課長を脅し、業務目標達成を強要している。
そして実質的な不正である、検収シフト(コスト計上先送りで、目標額達成偽装)、利益水増し(赤字も黒字へと修正)、不都合なデータ隠蔽(会計処理だけでなく不都合な技術データの握り潰し)があからさまに強要されている実態が、記事から伝わってくる。

そのような強要は企業だけでなく、国においても同じであり、水俣病犯罪、エイズ犯罪を振り返れば一目瞭然である(2002年の東京電力福島原発柏崎刈羽原発の29件にもわたる炉心融壁のひび割れ隠しでは、担当官僚の「異常ありきという報告書など受け取れない」というのが、長年培われてきた慣習であったことが、検査企業の技師への新聞取材で明らかにされている)。

それ故に偽装不正は犯罪であるが、本質的には求めらているのである。

そして東芝や3度も繰り返される東洋ゴムの不正が覚め止まぬのに、先週は旭化成の横浜マンション傾きで杭70本の不正偽装が明るみ出て、日本列島を今も駆け回っている。
そこでは旭化成建材社長が住民に平身低頭で謝っているが、「くいが強固な地盤に届いていなかったものやセメントの量が改ざんされたものを合わせると、データが偽装されたくいは、合わせて70本に上り、いずれも同じ機械のオペレーターと現場の施工管理者が担当していた」と述べ、外部第三者機関調査で関与社員だけの不正で幕を引く、企業の目論見が見えてくる。
現場の施工管理者は15年間もこの業務に携わっているベテラン社員ということであるが、同じ管理担当社員一人に携わらせること自体が不自然であり、この社員に任せれば工期内に済ませれるという、不正を強要する同じ構図を感ぜずにはいられない。
争点は、固い地下地盤のおうとつが周知の事実として認識されていたことから、杭が地下地盤に届かない場合のマニュアルが作られていたか、届かない場合の工期の余裕が配慮されていたかである。
マニュアルがなく、工期の余裕が配慮されていないとするなら、企業の強要は明白であり、杭の偽装は住民の生命に関わることであることから厳しく裁かれなくてはならない。

また本来化学会社の旭化成が(旭化成建材として)、「日立ハイテクノロジーズ」介し「三井住友建設」の孫請けとして杭打ち業務だけを請け負っていることも、不正の根深い問題が感じられる。

そのような不正の求められる現在の競争原理最優先の社会とは、地球温暖化による世界危機と決して無関係ではなく、危機を生み出す社会と言えよう。