(293)世界の官僚奉仕を求めて第三回思考欠如を求める官僚支配(『ロシアのドーピング秘密6−3』)

今回のフィルムではロシアの国家ぐるみのドーピングが、選手や関与する人たちの内部告発で明らかになっているにも関わらず、スポーツ省の大臣のように取材を拒否したり、ロシアのアンチドーピング機関RUSADA総裁のように取材に応じてもドーピング検体のすり替えだけでなく、選手たちのドーピングはないと、まるでマニュアルに沿うかのように全否定しています。
(実際は今回のフィルムのラストでの女子800メートル世界最速走者サビノアの携帯隠し撮りビデオの証言を見れば、国家ぐるみの組織ドーピングであることは明白です)
それは目的達成を最優先してつくられた官僚制組織を象徴しており、ドイツの社会学マックス・ウェーバーの言うように合法的合理性の体現に他なりません。
すなわち官僚制組織の下では、業務が正確さや書類の知識、慎重さ、統一、厳格な上下関係、軋轢の排除を通して慣習的に遂行され、しかも思考欠如が求められることから(遂行に対して自ら考えることがタブー視されていることから)、目的達成への最短距離と言えるでしょう。
そのような思考の欠如した官僚を、自らもナチズム迫害によってフランス、さらにアメリカに亡命した世界的に著名なハンナ・アーレントは、ホロコーストの実質的責任者アイヒマン裁判のレーポートで「アイヒマンは、怪物的な悪の権化では決してなく、思考の欠如した官僚でした」と述べ、「悪の凡庸」と呼んでいます。
そしてアイヒマンは、裁判最後の弁明で「ユダヤ人に対する虐殺や絶滅計画は歴史上他に類を見ないほど重大な犯罪です」と断言し、「私にとって不幸でした。あのような残虐行為の遂行は本意ではありません。収容所の指揮を任せられたら断ることはできません。そこでユダヤ人殺害を命令されたら実行するしかありませんでした」と述べています。
ホロコーストの最終決定は、1942年のベルリン郊外のヴァンゼー湖畔の「ヴァンゼー会議」で、アイヒマンも含めた15人の各省庁担当官僚によって絶滅計画の政令として決められており、議事録の合意文章では、強制収容所へ輸送されたユダヤ人は過酷な強制労働に課し、最後まで生き抜いた者は適切な処置がなされなくてはならないことが記述されています(適切な処置とはガス室での大量ホロコーストに他なりません)。
この絶滅計画の政令は敗戦直前の1945年にアイヒマンの上官ヒムラーによって中止命令がだされたと言われていますが、一旦動き出した政令は個人的決断で止めることは不可能だったと言えるでしょう。
何故なら政令は政府(内閣)が出す命令であり、実質的には各省庁部局の官僚が必要な命令を各部局間の根回を通して時間をかけて合意形成したものであり、しかも必要な命令とは絶滅計画で言えば、各強制収容所の不可欠な必要性という下からの積み上げでつくられたものであるからです。
すなわち一旦政令が出されれば、政令によって下への組織肥大と利権が生じることから、政令を生み出した政府さえ止めることができないからです。
そうしたホロコーストの反省からドイツの戦後は司法を行政から完全に独立させ、基本法第19条4項で、「何人も、公権力によってその権利を侵害されたときは、出訴することができる」と明言し、国民の権利侵害保証を通して行政の責任を追求しました。
具体的には全く行政に依存しない行政裁判所が行政の過ちを裁くようになり、しかも行政訴訟の場合行政裁判所法99条で、行政が審理に必要な書類、文章などすべての証拠資料の提出を求めています。
さらに行政訴訟申請はファックスや葉書の殴り書きでも成立し、文字の書けない人でも裁判所に出向いて口頭で申し立てれば無料で書いてくれます。
その上執行された行政に関わる手紙や面談記録などすべての証拠書類が提出されるため、弁護士の必要性さえないと言われています。
それは責任が問われることのない仕組から、徹底的に責任を求める革命的変化と言えるでしょう。
すなわちこの責任が問われる革命的変化で、ドイツは官僚支配から官僚奉仕への転換を実現しました。
それゆえにロシアの国家ぐるみのドーピング、さらには「パナマ文章」も、官僚奉仕の国ドイツだからガラス張りに公表できたと言えるでしょう。

これに対して日本は、太平洋戦争に導いた官僚支配(大本営)の本質的反省ができなかったことから、実質的に日本の司法は人事や裁判官の法務省出向で行政に支配されており、一旦開始された政令は政府さえ止めることができません。
例えばそれは八ッ場ダム中止の政府宣言が、いとも容易く取り下げられていった経過を見れば一目瞭然です。
そのような不死鳥の政令が、致命的ともなりかねない高速増殖炉核燃料サイクル計画から海外経済進出の要としている原発輸出や石炭火力発電輸出を推し進め、再び戦前の大本営を繰り返そうとしています。

ロシアのドーピングに戻れば、ドイツ公共放送ARDが検証した国家ぐるみのドーピング不正に全く反省もなく、クリミアやシリア問題でも思考の欠如した悪の凡庸が官僚支配を増していると言えるでしょう。

新刊のお知らせ
8月末に『ドイツから学ぶ「官僚支配から官僚奉仕」・・日本の民主的革命』が地湧社から発行されます。

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