(294)世界の官僚奉仕を求めて第4回官僚奉仕への切札は太陽(1)(『ロシアのドーピング秘密6−4』)

スーパースターの検査値が抉り出す国際関与

ロシアのドーピング問題の背景には世界ドーピング機関WADAの不正があると、WADA科学部局長オリバー・ラビンの示唆から始まっています。
それを検証するためドイツ公共放送RADのハヨー・ゼッペルトは、モスクワのドーピング検査室の指導者グレゴリー・ロチェンコフやロシア競技連盟総裁バレンティン・バラフニーチャーに困難を乗り越えて面談しますが、彼らは前面否定や、全く関与していないと紋切り型の答弁しかしません。
しかし一旦内部告発で顕にされた国家ぐるみのドーピング不正は、どのように否定しても、融け出した氷山のように止めることはできません。
ゼッペルトの秘書箱には、2014年までロシアだけでなく世界女子マラソンのスーパースターであったリリア・ショブロワの2009年から2011年のロンドンマラソンシカゴマラソンなどのドーピング検査の血液検査値が匿名で送られきたことから、WADA自体がロシアの国家ぐるみのドーピング不正に関与していたことが明らかになります。
すなわちドーピング研究の第一人者であるケルンのマリオ・テーべス教授は、2009年から2011年のドーピング検査の血液検査値が明らかに異状であると認めています。
それは、国際陸上連盟IAAFやWADAの上層部が意図的に連携して彼女の血液検査値を、少なくとも2009年から2011年まで握り潰していたことを意味しています。
実際IAAFの1999年から2015年まで会長を務めたラミン・ディアク(1933年生まれのセネガルの元走り幅跳び選手)は、このドイツ公共放送RADフィルムの2014年12月放映で急速にドーピング不正関与の疑惑が深まり、今年2016年にはドーピング贈賄不正や資金洗浄を行った疑いで仏検察の捜査を受けています。

また仏検察の捜査で東京オリンピック招致に130万ユーロという高額なお金が日本の招致委員会からディアク会長息子の関与するシンガポール企業Black Tidingsの秘密口座にコンサルタント料として振り込まれていたことが明らかになって来ました(ガーディアン紙の記事参照)。
そして日本が高額なお金を振り込んだシンガポール企業Black Tidingsは日本でこそ殆ど知られていませんが、次回載せるフィルムで明らかになるようにロシアのドーピング不正で利用されていた問題の企業なのです。

官僚奉仕への切札は太陽(1)

この連載では結論を前置きすれば、国益、そして自らの組織利益のために究極的には全体主義、そして戦争に導く邪悪な官僚支配から、市民の幸せのために粉骨砕身する官僚奉仕に変えて行くための切札は、ドラキュラへの対処同様に光(太陽)に晒すことであり、本質的には現在日本だけでなく世界の官僚支配の原動力となっている富の蓄積を益々肥大化させる化石燃料エネルギー産業社会から殆ど富の蓄積を必要としない地域分散型自給自足の自然エネルギー(光、風、ビオにしろ太陽が造り出している)産業社会への転換であることを述べて行きたいと思っています。
ドイツの官僚支配が根絶されたのは、前回述べたようにホロコーストの反省から戦後司法を行政から完全に独立させ、基本法第19条4項で、「何人も、公権力によってその権利を侵害されたときは、出訴することができる」と明言し、国民の権利侵害保証を通して行政の責任を追求して行ったことにあります。
もっともそれによって直ちに官僚奉仕が実現されたわけではなく、ナチス協力者が官庁から大学に至るまで追放された後は、1950年から1958年の期間では年間国民総生産の平均成長率が7,9%という奇跡の経済復興もあって、格差社会も容認するワイマール時代への回帰が見られました。
例えば教育ではエリートのためのギムナジウム(大学進学学校)、職人のためのハウプトシューレ(基幹学校)そしてその中間のレアルシューレ(実科学校)という従来の格差社会の三分岐型学校制度を復活させて行きました。
また司法においてもナチス協力者が裁かれ追放された後は、エリートとして祭り上げられている多くの裁判官の保守性は変わらず、傍聴人を柵で隔てた法廷の高座から判決を下していました。
しかし戦後復興で1960年代には再び官僚支配が始動を開始した日本とは逆に、社会に理想を求める官僚奉仕を希求する模索が実り始め、民主的革命を起こして行きます。
すなわち1960年には行政裁判所法が制定され、ハイパーインフレやナチズムの反省から、99条では行政訴訟に際しては行政に審理に必要な書類、文章などすべての証拠資料提出を求めています。
さらに官僚個人の責任が問われ難い無責任な稟議制から、裁量権(決済権)を下級の担当官僚に委譲し、官僚一人一人の責任が問われる革命的変革が60年代から70年代にかけて断行されて行きました(木佐茂男著の『豊かさを生む地方自治』参照)。
このような権限の下への委譲は50年代より模索され、上司さえ決済の行使には関与できないという厳しい権限委譲モデル(ハルツブルクモデルHarzburger Modell)に依っています。
このハルツブルグモデル作成者はナチスの協力者、ナチス学者として戦後学界を追放されたラインハルト・ヘーンReinhard Höhn 教授(1904年〜2000年)であり、教授自身は二度と学界へ復権できませんでしたが、そのモデルには二度とナチズムの過ち(自らの過ちも含めて)を許してならないという強い反省と決意が滲み出しています。
すなわち官僚一人一人の責任が問われれ仕組みへの革命的変革で、官僚支配が根絶されるだけでなく、否応なく官僚奉仕へと変化して行ったと言えるでしょう。

新刊のお知らせ
8月末に『ドイツから学ぶ「官僚支配から官僚奉仕」・・日本の民主的革命』が地湧社から発行されます。

目次はじめにあとがき