(345)時代の終わりに(29最終回)・ソ連崩壊以来の最大の危機(6)危機を最大のチャンスに変えるとき・官僚支配が辿るいつか来た道(6)世界が官僚奉仕に変わるとき

危機を最大のチャンスに変えるとき
最終回の議論でも、現在は最大の危機ゆえにチャンスであると、イシンガーが再度強調している。
しかもこの討論の数日前、トルコがドイツ製戦車でシリア国境を越えて侵攻し、ドイツが支援する反アサト市民グループクルド人民防衛隊の攻撃に踏み切ったことから、トルコの独裁制を厳しく批判するドイツとの関係も一層危機に陥っている。
そのような世界の危機はこの討論会でも述べられているように、これまで危機ではなかった地域であり、世界の何処に居ても危機が差し迫っている。

それは下に載せた私の見た動画44『金正恩の野望』(4月22日NHK放送『金正恩の野望第3集』の印象に残ったシーンをテレビから編集)を見れば、世界の危機は決して他人ごとではなく、寧ろ日本こそが現在も最大の危機にあるとわかるだろう。
北朝鮮が核開発放棄を前提とした対話路線に180度転換したのは、トランプの仄めかしていた核基地の局地攻撃が現実化しているのを察知したからだと私には思える。
すなわち既に攻撃のXデイが決められ、それに対しては報復攻撃も意味を為さないことから、熟慮のしたたかな決断であったように思える。
しかしその転換も北朝鮮が核を手放すわけでなく、北朝鮮元高官や元米国務長官が述べるように、北挑戦は核保有を死守することが予想され、期待される米朝首脳会談も拙速に運べば決裂する公算は大きい。
その場合トランプが核基地局地攻撃に踏切れば、当然同胞の韓国よりも日本への報復公算が高いと言えるだろう。
それ故に北朝鮮の野望がどのようであれ長期的な対話を求め、単に北朝鮮の核を全廃させるだけでなく、世界に戦争が起こらないルールを確立すると言った気構えで取組まなくてはならないだろう。
何故なら最早強国が世界を支配できる時代は、弱国でも軍事に特化することで北朝鮮のように核とサイバー攻撃保有を通して世界破滅の脅威となり得、終を告げたからである。
既に北朝鮮の核とサイバー攻撃のノウハウとマテリアルは、紛争国からテロリスト集団に至るまで売り渡たされていることさえ予想されることから、人類破滅の危機は秒読み段階に入ったと言っても過言ではない。
それは世界平和の最大の危機であると同時に、最大のチャンスでもある。
何故なら強国も弱国を尊重して、全ての国、そして全ての人が豊かになれるよう行動しなければ、強国の未来、さらには人類の未来がない時代に突入したからである。
世界平和を実現できる機関は国連であるが、現在のように各国の国益追求の手段とされているなかでは殆ど機能していないのが現状である。
それを機能させるためには、下に述べるように国連を世界市民にガラス張りに開き、国益ではなく世界市民への奉仕を最優先できるシステムに変えていかなくてはならない。

官僚支配が辿るいつか来た道(6)世界が官僚奉仕に変わるとき
世界に類を見ない革命的なドイツの官僚奉仕は、ナチズム反省から戦後司法を法務省から完全に独立させ、無謬神話の無責任な国益を最優先する官僚支配を問える仕組を創り出したことに依っている(それは一夜に達成されたものではなく、官僚一人ひとりの責任が問えるように権限の現場官僚への委譲が50年代より模索され、権限委譲のハルツブルクモデルとして断行されて行き、1960年の行政裁判所法制定で行政の資料提出が義務付けられたことで官僚の一人ひとりの責任が問えるようになって行った)。
すなわち市民からの行政に対する訴えがあれば検証し、事実であれば行政から強制的に資料や証拠書類を提出させ、無料でしかも短期に行政訴訟を決着させる仕組みに革命的に変化し、官僚の責任が問われることから官僚支配から官僚奉仕へ、国民への奉仕に徹せざるを得ないと言えるだろう。
また言葉だけの国民発案の審議会を、連邦であれ州であれ議会の政党投票率で各党推薦の専門家審議委員の選出で、政治が透明化され、市民のための政治へと変化して行った。
さらにそのように開かれた市民のための民主政治は、60年代の「競争よりも連帯」を標語とする教育の民主改革で市民一人ひとりに定着して行った。
そうしたなかで60年後半には裁判官さえも市民奉仕が優先され、高座の裁判官を傍聴人と同等の席の高さまで引き下げ、傍聴人と隔てる柵が取り払われ、裁判所自体市民のサービス機関に変わることが目標とされ、ドイツの官僚奉仕が完成されて行ったと言えよう。
そして現在問題になっている日本の官僚組織は、相変わらず無謬神話に基づく責任の所在のない無責任体制であり、国益のための官僚支配と言っても過言ではなく、再び戦前のように国益のために国民を犠牲する方向へと旋回している。
まさに現在の財務省防衛省等などの不祥事が物語っていると言えるだろう。
それを変えて行くためには国民一人ひとりが、現在の危機を認識することから始まり、まさに危機ゆえに、国民のために奉仕する官僚組織に変わり得る最大のチャンスであると思っている。
そして国連も、気候変動、シリア紛争や北朝鮮核問題を通して、従来のように各国の国益追求の手段であり続けるなら、最早人類に未来はないところまで追い込まれている。
国連を世界の人々のために奉仕するようにするには、繰返し述べる必要もないと思うが、戦後のドイツの革命的変化に学べばよい。

*次回からは私の今の暮らしを通して、「鈴鹿山麓での農的創成」を書き始めようと思っています。