(346)鈴鹿山麓での農的創成(1)・問われる地域性3−1・平和的生存権・官僚支配による憲法改正

鈴鹿山麓での農的創成(1)


既にブログ(339)でも書いたように、昨年の11月までは妙高で骨を埋めるつもりであったことから、この半年近くの急転直下の激変に自ら驚くと同時に、人生には予期せぬ出来事で変わり得るものだと実感している。
驚異的に変わったのは暮らしであり、豪雪地帯妙高では毎日除雪に追われていたが、ここでは殆どその必要もなく(今年は除雪作業が全くなかった)、移り住んだ1月下旬から農作業ができることは本当に有難いことである。
怠惰な私の暮らしのなかで、ベルリンで学んだ4年間を除き四半世紀近くも有機農で自給用の野菜や稲栽培が継続されて来たのは、それが私にとって快く、糖尿の私の体をそれなりに維持してくれているからだ。
そしてここでの農作業がこれまでと大きく異なるのは、有機農から自然農に変化したことである。
有機農は堆肥や完熟鶏糞などの肥料を地中にすき込むことから、稲作では少なくとも耕運機が欠かせない(最初の十数年は中古トラクターを購入し自ら耕耘して来たが、最近は田んぼの耕耘とコンバインでの刈取りを知合いに依存していた)。
それに対して自然農は地中を耕さない、地中に肥料を持ち込まない、草や虫を敵としないことを掲げており、道具は鍬、鎌、シャベルしか要らず、本当にそれで自給用作物ができれば夢のような話である。
これまでの有機農から自然農に変えた理由は、娘が現代の機械農業に不信感を持ち、書物を通して川口由一さんの自然農に傾倒していたからであり、それに移住したここで耕耘などを農協に頼めば、最早自給するよりも購入したほうが安くなり、私の農作業が道楽に成り果てるからである。
もっとも私の場合これまでの経験から、地中に肥料を持ち込まず地表の草を刈るだけの自然農法では、収量が余り期待できないことから、例えばジャガイモなどの植付けでは元肥に完熟堆肥を施すなど自然農の掲げる鉄則に執らわておらず、自らが快く農的暮しが出来ることを優先させている。

1月下旬に移住して、すぐさま自給目的の農的暮らしを始め、写真で見るように庭の50坪ほどの畑と、自宅から歩いて10分ほどの以前棚田であった森に1反(300坪)程の耕さない自然農を開始している。
既にレタス、小松菜、二十日大根などが収穫出来始め、青菜は充足出来ていると言えるだろう。




何故地域での農的創成を始めるか
その理由は妙高の暮らしでも感じたことであるが、日本の地域がバブル以降如実に衰退し、グローバル化が進むなかで破綻へと向かっていると思えるからである。
ここでも集落の50件ほどの民家は3分1近くが空家となり、最早専業として生業とする農家は見あたらず、近くにはお店もなく、小学校は2キロ離れ、中学校に至っては5キロ近くも離れ、子供が通う家庭は2件しかなく、このままでは集落の未来はないと言えるだろう。
そうした地域の未来がないのはこれまでの妙高でも同じであり、3校あった小学校が1校に統合され、高校からは列車通学を余儀なくされ、地域に殆ど若者を受け入れる雇用がないことから東京などの都会へ出て行かざるを得ない。
そうした状況にもかかわらず、選挙の度に地域活性化が唱えられ、目先のお金がインフラ整備にばら撒かれるだけで、益々地域破綻の速度を速めている。
しかもゴルフ場開発反対運動で戦った私には、地域の翼賛化が加速しているように見える。
そうした思いで絶えずブログを書いて来たことから、娘の大学での研究テーマである「地域の生業をオルタナティブに復活させ、如何に人、動物、自然のためのより良い未来、暮らしに生きる喜びを創成するか(マリア・ミースのサブシステンス実践)」には、私のこれまで唱えて来たドイツから学ぶ大きな目標とは異なるように見えるが、同じ思いが感じられ、父親であるというより同士的思いでここへ移住参加したと言えるだろう。
何故なら「地域の農的創成」にこそ、私が絶えず唱えて来た官僚奉仕、そして世界の恒久平和、さらには自然エネルギーへのエネルギー転換への鍵があると、今思うからである。
それは追々述べて行きたいと思うが、今回載せるZDFプラネットeの『問われる地域産の食料品』、私の見た動画45『平和に生きる権利を求めて』、私の見た動画46『日本人と憲法』を見てもらえば、その片鱗が理解できるだろう。

ZDFプラネットe『問われる地域産の食料品3−1』

私自身ベルリンに暮らした際、ドイツのスーパーのお店に寧ろお世話になった気がしていた。
何故なら食料価格も日本に比べて非常に安く、既に地域産表示も多く、このフィルムで提示されるスーパーの偽装とも言うべきトリックなど思いもよらず信頼していたからである。
もっとも近くの公園で開かれる週末マーケットには多くの市民が訪れ、多少高くても近郊の生産者から購入する市民の意識の高さには感心したものであった。
このフィルムに登場するビオダイナミック農法(注1)アルプスホーフのような有機農産物を生産する安心できる農家が売りに来ており、今フィルムを見ると地産地消を求る市民の声が益々盛り上がっているのを感じる。
それに対してスーパーを経営するドイツの食料品巨大企業からは、グローバルな規制なき市場競争に益々巻き込まれ、地産食料品への市民ニーズを逆手に取り、偽装とも言うべきトリックで売る戦略が垣間見えてくる。
(注1)ビオダイナミック農業はシュタイナー提唱の農法に由来する循環型農業であり、耕作地に鶏や牛などを移設して飼い、人、植物、動物、大地が共創して、エコロジーで安全な食料品を提供する農業である。

私の見た動画45『平和に生きる権利を求めて』

4月28日ETV特集『平和に生きる権利を求めて』75分を、私の印象深かったシーンで13分ほどに編集した。
戦後70年を経て、憲法9条及び自衛隊の合憲、違憲をめぐり争われた恵庭裁判、長沼裁判の録音記録公開を受けて、このフィルムでは平和に生きる権利、平和的生存権を問うていた。
この両裁判で失われたかに見えた平和的生存権が、2008年イラク派遣差し止め訴訟の名古屋高裁で権利として確定し、今沖縄基地問題で叫ばれ、さらには世界の危機が深刻となる中で、世界の人々が平和的に生きる権利こそが世界平和の切札になると思った。
またこのフィルムで語られる平賀書簡を通して、日本の司法は戦前同様独立しておらず、官僚支配の翼賛的ムラ社会に生きていることを感ぜずにはいられない。
それでも長沼裁判後あからさまに15年もバッシングされた福島元裁判官が、「後悔はしないですよ。自分の良心に従って生きてきた大きな喜びと僕は思っています」と胸を張って言い、さらに今、原発訴訟などでバッシング覚悟で住民の危険性に立った判決が出るようになって来た事に、日本もドイツのように変わり得る可能性を感じる。

私の見た動画46『日本人と憲法

5月3日NHKスペシャル『日本人と憲法〜1949−64 知られざる攻防〜』50分を4分1ほどに、憲法改正に生涯をかけた政治家広瀬久忠に焦点を絞り纏めて見た。
この広瀬の改正案には、発掘された膨大な資料を通して外務省、大蔵省、防衛省の総そうたるメンバーが関与するだけでなく、法務局の首脳たちが関わっていたことが明るみにされる。
改憲案では個人の権利や自由が行過ぎているとして国民の権利を制限し、憲法9条については戦力不保持の2項を削除し、国民に防衛の義務を課することを明記していた。
それは憲法改正のすぐ後に、戦前のような徴兵制が控えているように思える。
しかし戦後の平和憲法が押付の憲法でないと判明すると、憲法改正勢力も衰退し、憲法調査会が終わるに際して広瀬は手記を残し、「現行憲法を改正するか否か、いかに改正するかは、すべて主権者たる国民の判断にかかっている。5年かかっても、10年かかってもよいではないか、国民の大部分の納得を取付けるまで飽くまで努力を重ねるべきである」と述べている。
それは改憲案作成に奔走していた頃の広瀬の考えとは、180度転換した考えに思える。
そこから浮かび上がる私の思いは、戦前の官僚支配復活を模索する勢力に利用され、消耗品となった末路政治家の本音、良心に見える。
すなわち戦後奇跡の高度成長を遂げた60年代には、日本の産業社会は再び国益最優先の戦前の富国強兵策を掲げる官僚支配を求め、憲法改正が官僚組織によって仕組まれたと言えるだろう。
憲法改正の国民支持は得られなかったものの、官僚支配は裏側で巧妙化して行き、次なる政治家田中角栄を利用し、国債発行禁止を実質的に解き、日本を土建国家にするなかで肥大し、戦前の翼賛的ムラ社会を復活させて行ったように思える。