(348)鈴鹿山麓での農的創成(3)・地域を壊していく規制なきグローバル化・それでも人間の素晴らしさを信じたい(沖縄慰霊平和の詩「生きる」)

鈴鹿山麓での農的創成(3)


7月に入り毎日激しい雨が続いている。
6月には既に真夏が続き、益々気候変動の進展を感ぜずにはいられない。
そうしたなかで雨が続く前に、電気柵で守られたジャガイモが収穫できたことは喜びである。
黄色いジャガイモのキタアカリは通常に比べ3分の一程と小さく、収穫量も半分以下であるが、アンデス原種の赤いジャガイモは葦の節根が蔓延る大地の自然農法に向き、写真で見るように30平米(9坪)程の畝で、中ぐらいの大きさが9キロも収穫できたことは大きなフロイデであった。


もっともそのフロイデも束の間であり、翌日には電気柵外の畑に植えた60株ほどの順調に育っていた里芋の大半が掘り起こされ(写真左)、種芋だけでなく実を付けた小指ほどの芋も齧られており、悲哀(トラウリヒカイト)へと変わり果てた(里芋については芋を好物とする猪もそのヌメリを嫌うと過信していた)。
それでも悲哀に浸ったままではおられず、その日も予定通り冬に備えて薪作りにチェーンソーで明け暮れ、小屋の前に乾燥のため置くことができた(写真左下)。
もっともこの量では数日分しか持たないため、9月までに一冬分の薪を作ろうと思っている。


ここでは殆どの森林で間伐がされておらず、森林所有者から細い間伐材は伐採してもかまわないと言われており、伐採せずとも畑の隣接する森には杉、檜、松などの針葉樹の倒木が溢れており、薪作りの手間を楽しめば、冬の暖房も自給可能である。
また現在住む古民家屋根の太陽光熱温水器は冬でも風呂の水を温かくし、この6月は半分近く水で埋めないと熱くて入れない程であり、太陽光の威力を実感している。
それ故現在は乾電池による電気柵も今月末には太陽光パネルに変え、自ら太陽光発電に取り組もうと思っている。
それは地域でのエネルギー自給の第一歩であり、私の考える地域での農的創成へとつながるものである。

私の考える地域創成

現在の政府が掲げる地方創生とは、第二次安倍政権が掲げたローカルアベノミクスと称される規制なきグローバル化に他ならず、グローバリゼーションが地域を崩壊させていると思う私とは真反対のものである。
ローカルアベノミクスの地方創生の原動力は特区などの規制なきグローバル化であり、その穴埋めにお金がバラマカレているのであり、最早お金のバラマキでは地方は一時的にも活性化せず、益々衰退が進展しており、政府に近い産経新聞の社説では過疎が限界を超える地域自治体では「畳んでいくことも考えなくてはなるまい」と、地域放棄さえ主張される始末である。
このような政府の地方創生は70年代の日本列島改造論に発しており、工業製品輸出のため犠牲となった農林業を生業としていた全国津々浦々の地域弱体を、高速道路開発で土建国家に一変させた。
しかしそれは後から振り返って見れば、高速道路で日本中のグローバル化が進み、地域の商店が巨大資本のスーパーによって壊滅させられるだけでなく、負債という将来世代の富が喰い尽くされていると言っても過言ではない。
地域がグローバル化で壊れて行くのは、既にブログに訳して乗せた世界一幸せと称された3500メートルの高地ラダックの急速な変化を見れば明らかだろう(翻訳して載せた動画『幸せの経済学』参照)。
数十年前まで完全な自給自足で、暮らしだけでなく、伝統文化が訪れる人に生き生きと輝き、暮らす人々も自ら語るように幸せが溢れていた。
しかしインド本国から道路建設によってグローバル化の波が押し寄せると、これまで高価で十分な余剰があった小麦やコメが恐ろしく暴落し、その穴埋めをするため若者が都市へ出ていくことを出ていく余儀なくされ激変した。
すなわちそこでは、都市でお金を稼ぐ若者がお金を生み出さない暮らしや伝統文化、そして親や老人を蔑み、経済的だけでなく、あらゆる価値観も崩壊していく。
そのような事実からも他の地域に農産物さえ依存させるグローバル化は、本質的に住民の幸せを奪うものであり、最終的には地域を破綻させるものである。
それ故私の考える地域創成は、政府の地方創生に対して地域自治体が地域創成を唱える時地産地消の地域自立を希求するように、それが本物であれば近いものであり、さらに一歩進んで「地域で消費するものは殆ど地域で創る」ものでなくてはならないと思っている。
それは他の地域に依存することでは、結局グローバル化の波に飲み込まれ壊されて行くからだ。
「地域で消費するものは殆ど地域で創る」といった地域創成は、化石燃料エネルギーから自然エネルギーへのエネルギー転換で地域がエネルギー自給できるだけでなく、地域に自然エネルギーが溢れることを前提としている。
それについては長くなるため、追々書いていこうと思う。
現在のように既にグローバル化が進展するなかでは、一気に都市を含めて他の地域に依存しないことは不可能であり、上に載せた動画ZDF『問われる食料品の地域性3−3』が描いているように、意ある女性市民グループが起業して、地域の健全なビオ(無農薬有機栽培)生産者と都市の関心の高い消費者を結び付け、即日届ける配送サービスを拡げて行くことが地域創成の第一歩であろう。

生命の詩が投げかける人間の素晴らしさと希望

私の考える今回書いた地域創成、そして前回書いた世界に理念あるルールの構築で永遠の平和を創り出して行くことは、限りなく難しい。
何故なら世界の政治が、現在の競争原理を最優先する規制なき産業社会に支配されているからであり、少なくとも20世紀は平和のシンボルであったE Uでさえブリュッセルに集う3万人とも称されるロビイストたちに支配されているからである(動画ZDF『EUがロビー支配される理由』参照)。
すなわちブリュッセルでは各テーマごとに年間130ほどの巨大企業や企業連盟主催の会議が開催され、そこに集まった政治家、官僚、そして多くのロビイストによって取り仕切られ、EU議会開催前に実質的に産業界の意に沿ってEU政策が決定されている(そうした実態がドイツの公共放送ZDFで明らかにされるのは、戦後ドイツ社会が革命的に、産業への官僚支配から国民への官僚奉仕へと激変したからである)。
しかしどのように困難であろうと成し遂げなくてはならない。
何故ならそうしなくては、気候変動や地域崩壊で世界が滅ぶ前に、格差に意を反する国や集団でも世界を滅ぼすことができる時代に突入したからである。
すなわち世界格差が北朝鮮のような小国をサイバー攻撃大国、核大国に変え、その手段は絶えず世界に拡散しているからである。
そうした絶望的現実にもかかわらず、それでも希望を持ち続けることができるは、今年の沖縄慰霊祭で絶望的な基地化が進むなかで、沖縄少女の平和の詩『生きる』を聞き、平和に向かって今を生きる人間の素晴らしさを実感できるからだろう。