(234)ドイツメディアから考える今34・『エネルギー転換の時代に生きる6−5(未来の技術は完成されている)』・後藤さんの死から学ばなくてはならないもの

ファランスキーは、200%のエコ電気を地域で製造しているにもかかわらず地域で自給自足できない問題を受けて当事者たちと現場へ出かける。
現場では製造されたエコ電気が過剰であることから、大部分が巨大な送電網でよその地域に送電され、この地域はよそから送電されて来る火力発電の高い電気を買わされている実態が見えて来る。
当事者は、この地域の死活問題だと切に訴えている。
ファランスキーは地域で電気の自給自足ができない理由として、危機に追い込まれた巨大電力会社の地域分散型への法整備に対する妨害と、地域でつくられた電気が昼も夜も使えるようにする蓄電池システムが備わっていないことを指摘し、既に蓄電池技術を完成していると言われているユナイコス社を訪ねる。
ユナイコス社では代表のトリーベルさんが、未来の分散型自然エネルギー社会での調整電源の問題を説明し、既に自社ではポルトガルの人口5000人のグラシオザ島の取組を通して、全ての技術が完成されていると述べる。
すなわち、グラシオザ島では風力発電太陽光発電で島の電気が100%自給されているにもかかわらず、風が吹かない時、太陽が沈んだ時を含めて電力の需要と供給のバランスを取るため、調整電源として3基のジーゼル発電機の70%稼働を余儀なくされて来たが、自社の大型蓄電池利用でジーゼル発電機を止めることの成功である。
(この実験の成功は2012年の話であるが、2014年までにユナイコス社の大型蓄電池は調整電源としてグラシオザ島に設置され、現在この島では自然エネルギーだけの自給自足が実現している)

まさにトリーベル代表が誇らしく述べるように、自然エネルギーだけの分散型未来社会への技術は既に完成されているのだ。

後藤さんの死から学ばなくてはならないもの

一旦は解放の期待が高まり、私自身若い頃インドやバングラデシュのボランティアで窮地に巻き込まれた体験があることから大きなショックであった。
もっとも世界に懇願した家族の人々の想像を絶する悲しみに比べれば、比較にならないのであるが。
このような卑劣なやり方はいかなる理由からも許されるべきでなく、たとえ一部の貧困の人々がイスラム国を支持したとしても、それは権力を求める人たちに騙されているのである。
平等な社会は人類の一つの理想であるかもしれないが、力によって平等を実現しようとすれば、歴史が示すように大虐殺を生じることは必然であろう。

もっとも現在の行き詰まる化石燃料の産業社会では、貧困の撲滅と称してアメリカ主導の国際社会がグローバル化を推し進めており、益々貧困と格差が増大していることも事実である。
それは多くの識者がいうように、現代の植民地主義の追求と言っても過言でない。
何故ならグローバル化を推し進める大資本は自らの利益追求を最優先しており、言葉とは裏腹に経済支配を強めており、人々の幸せなど全く眼中にないからである。
今回の安倍首相の訪問は人道支援とされているが、その裏には前回のトルコでの原発商談のように、国際社会を支持するイスラム諸国及びイスラエルなどでの原発や武器の売込があると言われていた。
既にこのブログで書いているように、トルコのような何度も民族浄化がなされている国に原発を建設して行けば、どのように注意を促しても今回の悲劇は繰り返され、結局泥沼化のなかで戦前のように、いつか来た道を歩むことになりかねない。
日本のように戦後一貫して平和主義を貫いて来たからこそ、他国からの標的とされなかったのであり、どのようにすれば世界の平和が築かれ、格差を小さくし、世界の一人一人が貧困を克服し幸せになれるかを考えなくてはならないだろう。

私自身はそれを実現するのが脱原発であり、自然エネルギー社会へのエネルギー転換だとブログで書き続けて来たが、そう思わない人も後藤さんの死を通して真剣に日本の未来像を考えなくてはならないだろう。