(490)「ドイツから学ばなくてはならない理由(1)」・「核のない未来」講演の思い出(1)

国民の幸せを追求するドイツ

 今ドイツの最低賃金(時給)は12,41ユーロ(2024年の法規制)であり、2000円を超えており日本の1004円(2023年10月の全国平均)の2倍を超えている。

しかも子供手当は2021年までは、第一子と第二子219ユーロ、第三子が225ユーロ、第四子が250ユーロであったが、2022年からは一律250ユーロが、親の所得に関係なく支給されている。

またこの子供手当支給は一八歳とされているが、大学や職業学校で学んでいる場合二五歳まで延長されるので二五歳までのドイツの若者は、親の収入などに依存せず、自ら学び、自らの途を切り拓くことができる。しかも教育費は不要であり、保育園から大学及び職業学校までの授業料は無料であり、いかに国民の幸せが最優先されているか感ぜずにはいられない。

これに較べて日本では、リニアを含めた高速道路建設や核燃料リサイクル事業では、将来世代に莫大な負債を背負わせ、絶えず国益が国民の幸せよりも優先されている。

すなわち目先の国民総生産(GDP)優先で得られた利益もグローバルに投資され、絶えず成長に呪縛され国民に配分されないのが日本である。そのため国民の暮らしを悪化させているだけでなく、喫緊の重要問題である出生率の低下は、いつまで経っても解消されない。

日本の出生率を上昇させるための現行の子供手当では、第一子と第二子は月額1万円で中学卒業までであり、第3子以降も1万5千円とドイツの一律4万円を超える子供手当と較べて見れば余りにも少ない。

しかも子供の教育費用には、すべて授業料無料のドイツと異なり恐ろしく高い。事実保育園から大学卒業まですべて国公立で通し、すべて自宅通学しても1000万円以上の費用がかかり、下宿で私立の場合はその3倍近くのかかる。

ちなみにドイツの子供手当は大学卒業までにすべての授業料が無料にもかかわらず、1000万円を超える子供手当が支給されることから、子供の養育が全く家庭の負担となっていない。。

そのように家庭の負担のないドイツでは出生率を1,6(2023年度)へと年々上昇させ、家庭の負担が大きい日本では1,2(2023年度)へと年々下降させている。

市民の権利を根こそぎ奪ったアジェンダ2010

 もっとも戦前の官僚支配から戦後の官僚奉仕への転換を基本法によって実現し、国民の幸せを最優先してきたドイツも、1990年のドイツ統一新自由主義が一機に押し寄せ、国益優先に後戻りした時期もあった。

すなわちシュレーダー政権の競争原理最優先のアジェンダ2010で、国家の利益が国民の利益(幸せ)より優先され、これまで豊かなドイツ市民の暮らしが影をひそめるだけでなく、市民の権利が根こそぎ奪われた。

具体的には32か月の失業保険が12か月に大幅に短縮され、専門職が見つからない場合の配慮もなくなった。すなわちドイツではそれまで雇用局で紹介された就労先が専門職でなければ拒否することも可能で、32か月を過ぎても専門職が見つからない場合前の職場の総収入額の57%が期間無制限で失業扶助されていた。

それが労働法の改正による競争原理最優先のハルツ法で、雇用局から改編された「ジョブセンター」が紹介する就労先を拒否できなくなり、拒否すれば生活保護にあたる「失業給付Ⅱ」を受けるしかなく、しかもそれには厳しい資産調査をされた上に、給付額も激減した。

またこれまでドイツのパートタイム労働は週15時間未満、月の賃金325ユーロ以内と規定されていたが、700万人にも上るパート労働者は法改正後、週15時間未満という時間枠がなくなり、反対に賃金の上限が400ユーロ以下とされたため、時間あたりの賃金が恐ろしく低下し、「ミニジョブ」と呼ばれるようになった。

(ドイツの最低賃金は、職業別の労働組合と使用者団体が締結する労働協約によって決められていた。戦後労働者の幸せが配慮され絶えず上昇してきたことから法制化されていなかった。しかし2007年から法制化が求められ、2014年に最低賃金法が導入された)。

しかもこの際企業が必要な時に自由に解雇できる「解雇制限法の緩和法」がセットされたため、法律で定めている長期休暇も解雇の対象となると脅され、実質的にパート労働者では長期休暇が取れなくなって行った。

さらにこの「ミニジョブ」を契機に、正規従業員も通常4、5週間の長期休暇を短縮され、有給休暇さえ使い切ることが難しくなって行った。(少なくとも2000年までのドイツでは、長期休暇を取ることや有給休暇を毎年使い切ることが労働者の権利であり、万一管理する側が行使を忘れていた場合処罰されるほど厳しい規定であった。そのような厳しい規定は有給休暇を使い切らないことが美徳とされてきた日本では考えられないことであるが、ドイツでは常識であった)。

このように戦後ドイツの労働者が勝ち取ってきた権利を根こそぎに奪い、戦後の国民の幸せ最優先を国益最優先に転換させたのがシュレーダー政権のアジェンダ2010(新自由主義政策)であった。

 

「核のない未来」講演の思い出(1)

(私の「核のない未来」へのルーツ)

 

 この5月に出した『核のない善なる世界・禍を力とする懐かしい未来への復活』の中で「私の核のない未来へのルーツ」として書いたものであるが、ここでは写真などを含めて、私の思いも膨らませて書いていきたい。

何故今載せるかは、ドイツの再生可能エネルギーを推し進めた市民電力会社を創設したスラーデック御夫妻が「核のない未来」を求めて来日した2002年には、「スラーデック博士を迎えて」と副題が付いた第39回公共哲学京都フォーラム「戦争の反省、真の和解、そして核のない未来」の議論でも、日本にも「核のない未来」への希望があったが、今は利権構造の肥大で希望が失われているように思うからである。

 

シェーナウへの私の訪問

 「核のない未来」という言葉が私の頭に刻まれたのは、二〇〇一年二月に放送されたNHKスペシャル・エネルギーシフト第一回「電力革命がはじまった~ヨーロッパ市民の選択~」を見た時からであった。その放送では、ドイツのシェーナウでスーラデック博士御夫妻が「核のない未来」を創るため、巨大電力資本の激しい妨害にもかかわらず、二回の住民投票を経て市民電力設立し、「核のない未來」への市民選択を描いていた。

 スーラデック博士の市民選択の強い意志に感銘を受け、七月にはフライブルグ市からバスで二時間ほどのシュヴァルツヴァルト(黒い森)にある小さな都市シェーナウに出向き、「核のない未来」について尋ねていた。

 その頃の日本はバブル崩壊後失われた一〇年と言われ、「改革なくして成長なし」と叫ばれ、道路公団の民営化に見るようにあらゆる分野で改革が為されていったが、改革は寧ろ焼け太りして行った。すなわち改革の度に日本の利権支配は戦前のように強まって行き、日本の民主主義を牽引してきた『思想の科学』が一九九六年に休刊追い込まれ、市民運動も力を削がれて行った。

 そうした日本の危機が始まるなかで、ドイツ市民の力強い「核のない未来」への選択は危機を打開する鍵にもなり得るとも思い、生業も考えず、すぐさまシェーナウへ出かけた。

 シェーナウは黒い森の真っただ中にある人口三〇〇〇人ほどの美しい小さな都市であり、着いた日に丘の教会へ続く哲学の道を散歩していると、偶然にもテレビで見たサンタクロースのような髭もじゃのミハエル・スラーデック博士に出会った。彼は子供たちと無邪気に遊び、遊びが終わると一人一人を抱きしめていた。

 その際は挨拶だけに留め、翌日中心街にあるシェーナウ市民電力会社(EWS)の事務所を訪ねると、博士が私を強く抱きしめてくれ、日本では考えられない歓迎に驚いた。

 私の質問に対しては、スラーデック博士が医学部学生時代反核運動に参加し、反米であったことから英語を選択しなかったこともあり、英語に堪能な奥さんのEWS代表でもあるウーズラ・スラーデックさんが答えてくれた。その際ウーズラさんの提案で、向かえの喫茶店で甘いシュヴァルツヴァルトのケーキを味わいながら、寛いだ雰囲気のなかで話が聞けた。

  「住民投票ではシェーナウ市住民が真っ二つわかれ、僅差であったことから、市民電力会社設立にしこりが残らなかったか」という私の質問に対して、ウルズラ代表は「設立に反対していた人たちは、はじめ停電などを心配していましたが、そのような停電がなかったことから、今ではシェーナウの九割を超える人たちが加入してくれています。またそれは私たちの電力会社が、企業利益よりも市民の幸せを求めていることが理解されたからに他なりません」と笑顔で答えてくれた。

 またシェーナウでの「核のない未来」成功の秘訣を聞いたところ、「脱原発だけを掲げて運動を続けていたら、血縁地縁の多い山間地シェーナウでは上手く行かなかったでしょう。チェルノブイリ原発事故の放射能に対する子供への親の心配も三カ月もすれば消えていくからです。夫は家庭医として各家の訪問も厭わず、市民の健康に取組むなかで説得し、私は電力の節約運動に取組み、原発反対運動を支えました。また社会を風刺する劇やコンサートを同志の人たちと自作自演し、絶えず市民の幸せを求めてきたから成功したのでしょう」と答え、市民の幸せを求めることを強調された。

 さらに日本の九六年に実施された巻町の原発建設を覆した住民投票には大きな関心を持っており、機会があれば訪ねたい意向を話された。

 その際は巻町を訪ねたい理由は具体的に語られなかったが、後にスラーデック御夫妻が日本訪問の際わかったことであるが、日本のような世界一の原発推進国において原発建設を初めての住民投票で断念させた巻町との姉妹都市実現は、世界に向けた「核のない未来」への第一歩となるという思いからだった。しかも観光都市シェーナウに、「核のない未来」を求めて世界からの訪問は、シェーナウ市民の幸せに繋がるものであり、巻町の人たちにとっても同じと確信されていたからだった。

 

新刊のお知らせ

『核のない善なる世界・禍を力とする懐かしい未来』

この本は、現在の希望のない危機の世界から「核のない善なる世界」をどのように具体的に創り出していくかを述べています。

以下に目次を載せておきます。未来を切り拓くために是非読んでもらいたい本です。

目次

『核のない善なる世界・禍を力とする懐かしい未来への復活』 1頁

はじめに 2

序章 核のない善なる世界創出の思い 14

ガザの地獄絵図を見るなかで 15

私の体験した「幸せな懐かしい未来 18

禍を力として自律経済社会の創出 23

第一章 ドイツ市民のエネルギー転換 28

アーヘン市民の太陽光普及の哲学 29

再生可能エネルギー法施行 31

再生可能エネルギー法の改悪 34

禍を力とした歴史的転換 37

貫かれる気候正義 39

第二章 43

欧州連合を解き放つ市民のエネルギー転換 43

革命的に拡がるヨーロッパのエネルギー転換 48

第三章 ドイツで始まった再公営化 52

脱原発でのドイツ市民の哲学 53

市民イニシアチブのハンブルクでの再公営化 59

ベルリン再公営化の挫折と勝利 62

拡大する市民イニシアティブのエネルギー転換 67

なぜ今、市民イニシアティブへの転換なのか 72

第四章 気候人種差別の台頭 77

気候人種差別の台頭 78

『気候人種差別』が訴える化石燃料支配との闘い 81

第五章 化石燃料支配と戦うものたち 91

何故今、エネルギー転換が攻撃されるのか 92

極右政党(AfD)の「緑の党」攻撃 94

「戦う民主主義」を掲げる公共放送の報道 99

戦う公共放送の潜入取材 103

ドイツから始まった世界を変える市民デモ 110

第六章 エネルギー転換が創る新しい世界 115

利権構造が生み出す戦争を止められない世界 116

エネルギー転換による利権構造のない世界 122

第七章 「核のない世界」誕生の物語 128

二〇三〇年の衝撃が生み出した世界地域連合 129

自己決定権を持つ地域政府が創り出す新しい社会 135

国民国家連合のもう一つ別な世界 141

大都会東京が崩壊する日 146

市場経済を終わらせた世界地域連合の戦略 150

戦争のない核なき世界誕生 155

世界地域連合憲章 158

物語から始まる「幸せな懐かしい未来を超える世界」 163

終章 幸せな懐かしい未来を超える社会 166

地域市民が創り出す芸術の復興 167

共に生きる社会 169

医師と店員が同賃金の社会 172

幸せな懐かしい未来を超えて 176

「著者の紹介一」 私の「核のない未来」へのルーツ 184

シェーナウへの私の訪問 185

スラーデック御夫妻の日本訪問 188

巻町講演会でのスラーデック御夫妻の思い 193

巻町交流会での住民の思い 197

公共哲学京都フォーラムでの「核のない未來」議論 205

広島での黙祷と誓い 210

盛和塾へ集う人々へのメッセージ 214

「著者の紹介二」私のゴルフ場開発反対運動と行政訴訟 224

ゴルフ場開発反対への決起 225

反対運動の光と影 227

切り拓かれた反対運動 231

立木トラスト 233

民主主義を逆手に取る構図 235

環境アセスメント 239

明るみに出た不正取水 241

行政訴訟 243

あとがき 250

註(資料) 255

EEG-Reform 269

著者紹介 286頁