ベックのリスク社会(5)
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ベックは決して未来に対して楽観的ではなく、発展進歩の近代という産業社会が生み出した副作用としての危機を、絶えず警鐘し続けた。
しかし絶えずポジティブで、彼が偉大なのは、危機をよりよい未来社会を創るチャンスとして捉え、近代を内省し、問い直すことで、あらゆる分野おける危機の解決方法を追求し続けたことにある。
今回の議論でも、ベックは「過去も現在も金融危機はEUのチャンスです」と明言している。
それは、国家間の共同を通して危機を乗り越える仕組を創ることで、EUの理念を実現するチャンスになると言っているように聞こえて来る。
実際前回の議論でも、「リスクは別の現代への新しい道の展望を開きます」とベックが述べていたように、あらゆる分野の危機をよりよい未来を切り拓くチャンスとして捉えた彼の足跡が、益々輝いている。
具体的には原発であれば、大事故発生の可能性がある以上廃止の脱原発宣言であり、自然エネルギーへの転換であった。
また戦争やテロへの危機、そして金融危機から地球温暖化の危機に至るまで、近代の産業リスク社会が生み出したあらゆる危機の徹底した分析と対処の提言である。
すなわちこれらの危機は、最早いち国家の解決が不可能で、ヨーロッパ、そして世界の国家間の共同なくして有り得ないと明言している。
しかしそれは、今回の議論後半で述べているように、世界政府創設といった全体的で均一なものではなく、世界の各々の地域が自律性や主権性を生かし、適正な世界連邦の仕組を創り出すことである。
しかしそうしたものを創り出すものは、産業社会を支えてきた政治や経済、そして科学技術でもなく、近代の自由を得た個人化で分断された世界の市民であり、連帯を取り戻す市民運動などの“サブ政治”だと訴えている。
前回述べたように、現在のコロナ危機の救済策としてのベーシックインカムについても、1990年代末より、リスク社会の切札として推奨しており、前回載せた日刊シュピーゲル「社会学者ウルリッヒ・ベックは、ベーシックインカムで人類の束縛からの解放を望む」のインタビュー記事を読めば、その入れ込みようが理解できよう。
何故なら、1986年に出した『リスク社会』では貧困の克服は可能だとベックが考えていたにも関わらず、ドイツ統一による新自由主義の到来で、世界一豊かであると言われていたドイツ市民の多くが困窮し、暮らしの危機に追い込まれて行ったからである。
それ故ベックは今回の議論を主催したNZZ(新チューリヒ新聞)にも、悪魔の労働法と称されるハルツ4が施行された一年後の2006年に、「完全雇用ユートピアからの別れ」というタイトルで、「西ヨーロッパの貧困と失業に対する論争が国家に溢れており、型破りな提言で描くその論争に寄与するテーゼ」という見出しで、ベーシックインカムの必要性を説く論文を寄稿している(注1)。
その論文によれば、「・・・。大量失業と貧困は、敗北ではなく、現代の労働社会の勝利の表明です。何故なら仕事は生産力が益々高まるため、何倍もの成果達成の仕事さえ、益々人間を必要としなくなっているからです。貧困の見込みがなくなることは、歴史的に長く信頼を失ってきた完全雇用哲学の裏面です」という書き出しで、現状の新自由主義の底なしの危機のなかで驚くほど冷静に見据え、飽くまでもポジティブである。
そして新自由主義の目標達成が成功したとしても、大量失業と貧困から逃れられないのではないかと前置きして、「仕事が見つからなくても、どうすれば有意義な人生を送ることができますか?完全雇用を超えて民主主義と自由はどのようにして可能になるのでしょうか?賃金労働なしで、人々はどのようにして自覚ある市民になるのでしょうか?」と問いを投げかけ、ベーシックインカムの必要性を訴えている。
そして端的に、「思考実験としてだけでなく、現実的な政治的要求としても、毎月約700ユーロの無条件の市民所得が必要です」と、ベックの考えるベーシックインカムを提言している。
こうしたベーシックインカムは、新自由主義の生みの親であるミルトン・フリードマンさえ、「一定の収入水準を下回る人は、州から一定額を受け取ります。この負の所得税は税収によって賄われます」と、その必要性を早くも1962年に提言していると述べ、「社会には、全ての人にとって乗り越えることのできないセーフティフロアが必要です。端的言えば、完全雇用ではなく自由の創出です。これは、近い将来の本格的破裂を防ぐ唯一の方法です」と強調している。
そして最後に財源に対してもポジティブで、「ベーシックインカムが生活水準を確保する場合、社会援助、失業給付、年金制度、児童手当は必要ありません。両親も子供を持ちたいという願望を簡単に満たすことができます。完全雇用の望みが完全に失われたなかで、私たちはより良い善を為すべきです!」と結んでいる。
そこには、危機を通して意義ある人生の実現、リスク社会を切り拓く自覚ある市民を希求するベックの心像が、くっきりと見えて来る。
公文書改ざんが当たり前である国を変えるシナリオ
この数年、自衛隊南スーダン派遣、森友問題等々で政府各省庁の公文書改ざんが日常茶飯事であること見えて来たが、今回のコロナ危機では詳細な議事録(公文書)さえ作らない無責任な姿勢が露見している。
そのように責任を回避する、言わば責任を問われることのない大本営システムが網の目のように張り巡らされている国に対して、それを真正面から変えようとしても、国民の多くが支持した鳩山民主党政権に見られたように、あらゆる分野から圧力がかけられ、悪しきシステムを焼け太りさせることになりかねない。
そうしたなかでベックなら、「コロナ危機をチャンスと捉えよ」と明言するだろう。
現在のコロナ危機は、政府が国民の安全性より国の経済性優先に転換するほど、底知れない恐ろしさがある。
実際クローズアップ現代+などの報道で見るように、コロナ危機で職を失い、もしくは減給で暮らしに困窮する人たちは、現在においても溢れており、新たな毎日の感染者が東京で200人前後、全国で600人前後が続く中で、10月から平常の経済活動再開を強行すれば、恐ろしい事態への突入は必至である。
それは、日本の経済がコロナ危機で行き詰まり、このままにすれば計り知れない企業倒産が予想され、日本経済の屋台骨さえ崩れかねないからだろう。
しかしそのような強行をすれば、経済優先で強行したアメリカの感染者数648万人、インド465万人、ブラジル431万人と、現在、今も増え続けているように、取返しのつかない過ちを招くことになろう。
そのような迫りくる危機のなかでも、チャンスは選挙が近いことで、暮らしに困窮する人たちを最優先で救済する仕組を創り出すことである。
例えばその日の生活に困り果てた人には、電話で自己申請したその日から緊急支援がなされ、詳しい審査は支援開始後に為されように変え、国民の命最優先を誓うことである。
また長期的視点から、ベーシックインカム導入の国民議論を公約し、民主党政権の「事業仕分け」がガラス張りに国民に生中継されたように(但し市民の質問には開かれていなかったことから、市民が納得できるように、市民のネット参加も可能にして)、国民の大部分が納得できるよう十分な時間と、制約のない期限で議論を深めて行くことを約束することである。
現在の日本では、「働かざるもの食うべからず」と言った儒教的考え方が主流であり、例えば国民一人一人に、無条件で毎月7万円を支給するベーシックインカムは、必ずしも賛成が得られるものでないだろう(注2)。
しかし私の嫌う新自由主義の生みの親ミルトン・フリードマンさえ、一定の収入の水準を下回る人は、州から一定額を受け取る負の所得税の必要性を提言していることからも、ベックの主張の正当性が、議論を深めて行けば、最終的に国民の9割以上の賛成が得られると確信している。
そして日本を変えるシナリオとは、そのようにベーシックインカムの国民議論をガラス張りに開かれたなかで深めていくことであり、ベーシックインカムが導入される頃には、官僚支配から官僚奉仕への機運が高まって来よう。
(注1)ベックのNZZ新聞へのベーシックインカム寄稿
https://www.nzz.ch/articleEM5N6-1.73078
(下に翻訳した箇所を載せておきますので、参照ください)
(注2)ベックが述べているように、社会援助、失業給付、年金制度、児童手当が必要なくなることから、現在の日本では高額所得者への増税なくても、国民一人当たり毎月7万円の支給は可能である。
何故なら日本の社会保障費は120兆円(2017年度)で、医療費39兆円、年金55兆円、福祉その他が26兆円であり、国民一人当たり年間94万9000円が支給されてさいるからである(国民一人当たり毎月約8万円が支給されていることになるが、仲介するものや箱物造りにその多くが無駄に失われている)。
確かに医療制度は残すとしても、毎月の支給で適切な利用者負担で簡素化していけば、半分以下に縮減することは決して難しいことではない。
年金制度にしても、国民がこれまでに支払った額は当然返還されるので、大きな問題はない筈である。
国民一人一人に無条件で毎月7万円が支払われるベーシックインカムは、行政の恐ろしく無駄で膨大な仕事を殆どなくすことができ、直接ロスなく毎月支払われることから、暮らしの不安を解消するだけでなく、国民一人一人が望む意義ある仕事の自由な選択を可能にし、ベックの言う「より良い善」を為す生き方を可能にするものだと確信する。
(*但し国民がこれまでと同じ社会保障費を支払う前提であり、実際は少なくとも毎月の年金支払いがなくなることから、前回述べたように高額所得者の増税はさけられないだろう)
Abschied von der Utopie der Vollbeschäftigung「完全雇用ユートピアからの別れ」
Die Debatte über Armut und Arbeitslosigkeit in Westeuropa steckt in der nationalstaatlichen Falle - so die These des folgenden Diskussionsbeitrags, der einen unkonventionellen Vorschlag skizziert. 「西ヨーロッパの貧困と失業に対する論争が国家に溢れており、型破りな提言で描くその論争に寄与するテーゼ」
・・・.Massenarbeitslosigkeit und Armut sind nicht Ausdruck von Niederlagen, sondern der Siege moderner Arbeitsgesellschaften. Weil die Arbeit immer produktiver wird, braucht man immer weniger menschliche Arbeit, um ein Vielfaches an Ergebnissen zu erzielen. Die Aussichtslosigkeit der Armut ist die Kehrseite der Vollbeschäftigungsphilosophie, die ihre Glaubwürdigkeit historisch längst verloren hat.・・・。大量失業と貧困は、敗北ではなく、現代の労働社会の勝利の表明です。何故なら仕事は生産力が益々高まるため、何倍もの成果達成の仕事さえ、益々人間を必要としなくなっているからです。貧困の見込みがなくなることは、歴史的に長く信頼を失ってきた完全雇用哲学の裏面です
・・・.Nicht nur als Gedankenexperiment, auch als realistische politische Forderung: Wir brauchen ein bedingungsloses Bürgereinkommen, etwa in Höhe von 700 Euro. 思考実験としてだけでなく、現実的な政治的要求としても、毎月約700ユーロの無条件の市民所得が必要です
・・・. Wie kann man ein sinnvolles Leben führen, auch wenn man keinen Arbeitsplatz findet? Wie werden Demokratie und Freiheit jenseits der Vollbeschäftigung möglich? Wie wird der Mensch selbstbewusster Bürger - ohne Lohnarbeit?仕事が見つからなくても、どうすれば有意義な人生を送ることができますか?完全雇用を超えて民主主義と自由はどのようにして可能になるのでしょうか?賃金労働なしで、人々はどのようにして自覚ある市民になるのでしょうか?
・・・(.Wirtschaftswissenschafter und Nobelpreisträger Milton Friedman schlug schon 1962 vor:) Wer unterhalb einer bestimmten Einkommensschwelle bleibt, erhält vom Staat einen festen Betrag. Finanziert wird diese negative Einkommenssteuer durch Steueraufkommen.一定の収入水準を下回る人は、州から一定額を受け取ります。この負の所得税は税収によって賄われます
・・・. Eine Gesellschaft braucht einen Fussboden, unter den niemand geraten darf.» Auf eine Formel gebracht: Freiheit statt Vollbeschäftigung. Nur so lässt sich verhindern, dass es demnächst so richtig knallt.社会には、全ての人にとって乗り越えることのできないセーフティフロアが必要です。端的言えば、完全雇用ではなく自由の創出です。これは、近い将来の本格的破裂を防ぐ唯一の方法です
・・・. Denn wo ein Grundeinkommen den Lebensstandard sichert, braucht man weder Sozialhilfe noch Arbeitslosengeld, kein Rentensystem oder Kindergeld - und auch nicht die unzähligen weiteren Hilfen und Subventionen, die heute nach dem Giesskannenprinzip verteilt werden. Sogar Eltern könnten sich ihren Kinderwunsch leichter erfüllen und so weiter und so fort. Also: Nie wieder Vollbeschäftigung - wir haben Besseres zu tun!それ故ベーシックインカムが生活水準を確保する場合、社会援助、失業給付、年金制度、児童手当は必要ありません。両親も子供を持ちたいという願望を簡単に満たすことができます。完全雇用の望みが完全に失われたなかで、私たちはより良い善を為すべきです!