(400)救済なき世界”をそれでも生きる(22)・ベックのリスク社会6・世界市民主義の要請

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ウルリッヒ・ベックの最終回の議論では、リスク社会が生み出した危機が益々拡がっており、人々は危機故に国家の殻に閉じこもり、国家民族主義に縋ろうする話から始る。

それは後退反応であり、益々危機を拡げ、最終的に破局(世界戦争)を迎えるとベックは訴えている。

しかし新チューリヒ新聞(NZZ)のジャーナリストが、「それは、私たちがその危険性があり、危険性が世界中に巨大となり、最終的に社会をこの方向に強い、世界を強いると言うことでしょうか?」と聞くと、ベックは一転して、そのような危機は世界市民主義の要請でもあり、希望を叶える過程でもあると説いている。

もっとも2009年のこの時点では、金融危機があるものの差し迫った緊迫感はなかった。

しかし現在のコロナ危機では、世界が協働し、連帯して取組まないと、最早人類の未来がないことが見えて来ている。

何故なら貧困者を放置すれば、既に感染者が3100万人を超えて爆発的に拡がっている世界が実証しているように、コロナ危機が長期化し、世界の経済が破綻していくだけでなく、世界の人々の暮らしが破綻するからである(今後出回るワクチンも、言われているように副作用があり、免疫も短期的である可能性が高いからでもある)。

そのような“危機が世界に巨大化”していくことを、ベックは希望であると断言している。

誰が見ても危機が“世界に巨大化”することは絶望であり、本来なら絶望を回避する対処法を述べるのが筋である。

それにもかかわらず希望と断言するのは、ベックが絶えずポジティブであったからというより、進歩を追求して来た近代が必然的に絶望的危機に陥り、その絶望なくしては変われないというネガティブな認識があるからだ。

既にベックは1997年に世に出した『Was ist Globalisierung?: Irrtümer des Globalismus – Antworten auf Globalisierung 』で(注1)、「グローバル化」によって世界社会が形成され、今まで制御されてきた資本 主義の活動力を拘束から解き放れ、利益優先のため労働削減によって格差が増大して行くが、国民国家は対処できないことからコスモポリタニズム(世界市民主義)の要請を訴えている。

すなわちそれは、世界国家や世界政府と言った単一的統合ではなく、国民国家及び世界市民が超国家的に連帯して生まれる統合である。

しかもそのような世界市民社会は、グローバル化世界市民社会を創り出すための過程であり、「この過程はトランスナ ショナルな社会的結節点と社会的空間を作り出し、ローカルな文化の価値を引き上げる(31ページ)」と述べているように、グローバル化がローカル化を輝かせる協奏的「グローカル化」した世界社会でもある。

またそのような世界市民社会は、カントが『永遠平和のために』で述べた、民主主義の世界市民社会であり、国民国家のさまざまな(政治的および社会的)諸権利を各国の内部に積みあげて行くことで、創り出される世界市民の権利を保障する世界社会であると述べている。

それはカントの時代も、ベックの時代も、理想郷に過ぎなかったが、現在のコロナ危機が何時までも終息せず、さらに地球温暖化危機が猛威を振るい始めるなかでは、喫緊の課題であり、それなくしては人類の未来はないと言えよう。

実際最近の世界のコロナ感染者は、インドやアフリカなどの暮らしに困窮する人たちのなかで爆発的に拡大しており、国連は救済すべく既に動き出している。

すなわちUNDP=国連開発計画は、この7月に現在のコロナ危機拡大の主因は貧困にあるとして、132か国で貧困ラインの前後に位置する27億8000万人を対象に、生活を維持するために最低限必要な現金を給付するベーシックインカムを一定期間導入することを世界に呼びかけている。

何故ならこれらの人たちを放置すれば、コロナ感染の波は何度でも世界に押し寄せ、終息しないからである。

こうした状況こそは、ベックが現在生きていれば、必ずや世界市民社会創出のチャンスと世界に訴える状況だろう。

 

(注1)2006年日本語翻訳版 『グローバル化社会学・・グローバリズムの誤謬とグローバル化の応答』参照。