(10)ZDFフィルム「大いなるこけおどしー原発政策の間違った約束」7

今回は政府がゴアレーベンを原発廃棄物の最終処分場に選んだ経緯が語られますが、謎が深まります。


(ノルベルト環境大臣
何故ならゴアレーベンは何十年も適正が調査され、そのために15億ユーロが支出されている。それゆえ、既に行われている場所に決めることは正しいと考えている。
私はゴアレーベンが適正なのか、適正でないのか知りたい。
(ナレーション)
この問題について既に数十年言われている。
グリンピースのマチアス・フェルダーは70年代から今日まで、およそ12000の書類ページを明るみに出した。それらは長く秘密であったが明らかにされた。
世間は初めから騙されていた。
(マチアス)
書類は以下のように述べている。一貫した調査の結果として最後に岩塩層ゴアレーベンに辿り着くといった科学的な選択方法ではなかった。その限りにおいて、政治的に横暴な決定と言えよう。
(ナレーション)
70年代の中頃は、ドイツの原発開発が真っ盛りであった。
企業はまだ当時、原発廃棄物の最終処分場を何処にするか決めていなかった。
ヘルムート・シュミット首相(SPD)は、最終処分場の裏づけなしに、新たな原発はないと、1976年に指示した。
原発産業は目覚め、緊急な解決を必要とした。
ゲルト・レティヒ教授に、白羽の矢が立てられた。教授はニーダーザクセン州の地質学のボスであり、原発の支持者である。彼は70年代の初めに、連邦全土に渡って250の地点を調査した。
(レティヒ教授)
私は様々な適正の分類をすることを頼まれた。最も適正の1級と適正な2級の分類である。ゴアレーベンは1級にも、2級にもなかった。
(ナレーション)
レティヒ教授は他の最終処分場候補地を選んでいた。
南西ドイツのマールベルク、北バイエルンゾルへエ、ラインのオバーベッセル、そしてシュレスビッヒ・ホルシュタイン州のレッタン。
最も適正な4地点は、ニーダーザクセン州のウフト、ファスベルク、アルデン、そしてブアン。
秘密の報告は4つの地点を推薦している。その際ゴアレーベンはなかった。
1976年のハノハーの州議会選挙。
ニーダーザクセン州ではエルンスト・アルブレヒト(CDU)が州知事に選ばれた。
州知事とCDUは原発開発に賛成であったが、提案された最終処分地を、余りにも反発があることから許可しなかった。
州知事東ドイツDDR)との国境の辺鄙なベントランドを探させた。
(マチアス)
ゴアレーベンは76年の11月に初めて登場した。
76年の11月18日のニーダーザクセン州環境大臣のメモが最初である。
自筆であり、「国境のリュチョウ・ダネンベルク郡に決定」とある。
(ZDF)
徹底した調査が以前になされましたか。
(マチアス)
いいえ、ゴアレーベンは以前には書類には見られない。
(ナレーション)
マチアスは76年のアルブレヒト州政権の技術監査委員会の所見を見つけた。
80ページ以上ゴアレーベンの記述はない。しかしその後で、結果の表の二度出てきた。手書きの補足で、ゴアレーベン。
誰がこの書類を操作したのか、何故なのか明らかでない。


<ゴアレーベンはベルリンとハンブルクの中間にあり、ベルリンから1時間もかからない距離にあります。もちろん検問があって、建物の中は見られませんが、森の草地では今頃野生のブルーベリーが広範囲に実をつけています。日本のような栽培された大粒で甘くはありませんが、私には美味です。また今月の終わりには、草地と樹木の生い茂る境でシュタインピルツ(日本名ヤマドリダケ)が彼方此方で見られ、その美味しさが忘れられません。もちろんドイツ人も、王様の茸と呼んで大好物です。
是非ベルリンを訪れたら、ゴアレーベンにも足を伸ばしてください。
またフィルムでも言うように、70年代はドイツの原発開発が真っ盛りで、70年には「悪魔の原発」と呼ばれたカルカーの高速増殖炉建設も着手されました。この悪魔の原発は1984年11月完成間近でナトリウム火災を起こし、慌てて駆けつけた消防が水をかけたために、更に大きく爆発し、結局カルカー高速増殖炉は運転されることなく廃止されました。
廃止された理由は、フランスでも70年代中頃には何度もナトリウム火災を繰り返していたこともあり、水の替わりにナトリウムを媒体として使用することは、ほとんど困難であるという多くの研究が、1984年のナトリウム爆発を契機に噴出したからです。
そしてこのかつての悪魔のカルカー原発は、今や天使のワンダーランドに変身し、ドイツの素晴らしい観光名所になっています。カルカーのワンダーランドはオランダの国境近くのライン川の辺にあり、ライン河の川下りで古城を十分堪能し、その後でワンダーランドで一泊することをお薦めします。
レストランは炉心であったことで有名ですが、燃料棒装填前に廃止されましたので、放射能は全く心配ありません。>


(Norbert Röttgen)
Weil in Gorleben seit Jahzehnten die Eingang untersuchat wird. Dafür schon 1.5 Mrd. Euro ausgegeben ist.
Ich glaube, dass darum es richtig ist, an der Stelle anzusetzen, an der man schon seit Jahrzehnten arbeit.
Ich möchte wissen: Ist Gorleben geeignet oder nicht geeignet?
(Naration)
Über diese Frage wird schon seit Jahrzehnten gestritten.
Mathias Elder Greenpeace hat rund 12,000 Aktenseiten aus den 70er Jahren zu Tage gefördert.
Sie waren lange geheim und offenbaren. Die Öffentlichkeit wurde von Anfangen in die Irre geführt.
(Mathias)
Die Akuten sagen, es gab kein wissenschaftliches Auswahlverfahren, an dessen Ende als konsequentes Ergebnis der Saltzstock Gorleben stand. Insofern kann man das nur als eine politisch und zwar eine wiirlkürlich Entscheidung bezechnen.
(Mathias)
Mitte der 70er Jahre brummt das Geschäft mit der Kernenergie.
Die Betreiber wissen schon damals nicht, wohin mit dem Strahlenden Müll.
Die Regierung Helmut Schmidt schreibt 1976 vor: Ohne Endlagernachweis keine neuen Atomkraftwerke.
Die Indastrie ist aufgeschreckt, braucht dringend eine Lösung.
Dieser Mann soll Endlager finden. Damals war Professor Gerd Lüttig Chefgeologe in Niedersachsen und ist heute ein Befürworter der Kernkraft.
Er untersuchte Anfang der 70er Jahre bundesweit 250 Standorte.
(Pro. Gerd Lüttig)
Ich bin gebeten worden, eine Klassifikation vorzunehmen; in klassen unterschiedlicher Eignung.
Da gab es eine erste und zweite Klasse. Weder in der ersten noch in der zweiten Klasse kam Gorleben vor.
(Naration)
Professor Lüttig hatte andere Endlager Favoriten.
Mahlberg im Südwesten Deutschlands und Sohlhöhe in Nordbayern, Oberwesel am Rein, aber auch Lütan in Schleswig-Holstein.
Die besten vier Standorte aber liegen in Niedersachsen.
Uchte, Fassberg, Ahlden, und Wahn.
Der vertrauliche Bericht empfiehlt diese vier Standorte.
Gorleben ist nicht dabei.
Landtag Hannover 1976.
In Niedersachsen wird Ministerpräsident Ernst Albrecht gewählt. Er und die Union sind zwar für Atomkraft, doch die vorschlagen Endlagerorte passen ihnen nicht, zu unpopülar.
Albrechtt lässt neu suchen. In entlegenen Wendland an der Grenze zur DDR.
(Mathias)
Gorleben kam erst im November´’76 ins Spiel.
Wir haben den ersten Vermerk in den Akten, des niedersächsischen Umweltministerium vom 18. 11. ‘76 gefunden.
Da heißt es handschriftlich!
“Nun: Landkreis Lüchow-Dannenberug.”
(ZDF)
Ging dem eine ausführliche Untersuchung voraus?
(Mathias)
Nein, Gorleben tauche vorher inder Akten nicht auf.
(Naration)
Elder stößt auf ein TÜV-Gutachten der Albrecht-Rgierung von ‘76.
Auf über 80 Seiten ist von Gorleben Keine Rede.
Kurz danach aber taucht die Seite mit der Ergebnisstabelle ein zweites Mahl auf.
Jetzt mit der handschriftlichen Ergänzung: Gorleben.
Wer diese Akte manipuliert hat und warum, ist unklar.