(120)ドイツの今を考える。(15)底辺民主主義が求められなくてはならない理由(そして今回の選挙の意味するもの)

議会による間接民主主義の横暴が今ほど問われている時はなく、既に述べた社会的危機が物語るように、現在の政治は献金などのお金によって新自由主義に支配されているからだ。
緑の党創設綱領は第三の原理として底辺民主主義(直接民主主義)を掲げ、サッチャー新自由主義政権の押し寄せる波のなかで、民意を蔑ろにする既成政党を厳しく批判している(注1)。
それは当時原発推進のために、地域住民の意思だけでなく国民の意思を無視してカルカーの高速増殖炉建設やゴアレーベンの最終処分場建設着手を容認していた既成政党への反撃開始の狼煙でもあった。
しかしながら民意の無視はますます加速され、緑の党自体が既製政党化されて行き、緑の党も加わったシュレダー連立政権やそれを受け継いだ大連立のメルケル政権では新自由主義の産業利益を最優先し、規制緩和によって労働者の手厚い権利や保障を根こそぎにした。
さらには2009年連邦選挙で勝利した規制緩和推進のメルケル政権では、民意を無視して原発運転期間延長法案を強行した。
それらは現在の間接民主主義の政治が新自由主義に支配され、国民世論が無視されることを如実に示している。
もっともドイツにおいては、公共放送ZDFがナチズムの反省に基づいて国民利益を最優先することや、末端官僚への裁量権委譲によって官僚一人一人の責任が問われることから原発関連の技術官僚が原発運転期間延長に反対を表明したこともあって、メルケル政権は福島原発事故後ドイツの脱原発を宣言せざるを得なかった。

これに対して日本では、国民世論が脱増税脱原発であるにもかかわらず、今回の選挙では消費税増税原発維持、TPP推進の新自由主義を求める自公民、日本維新の会みんなの党が圧倒的な大勝利を収めようとしている。
こうした国民意思とは逆転する状況は、メディアが献金によって支配される政党の「新自由主義推進こそが日本を救う」といったドイツでは陳腐となった作り話を容認しているからでもある。
また官僚政府も戦前同様に原子力ムラのような無責任な大本営を構築し、国民に対しては既製政党を主導して絶えず「油らしむべし知らしむべからず」の姿勢を崩していないからだ。
それを私が身を持って感じたのは、リゾート開発全盛期の1980年末の住友建設による妙高高原ゴルフ場開発であった。
子供の通う小学校の数百メートルの開発であり、当時のゴルフ場開発は錬金術とも呼ばれ、芝をグリーンに保つために夥しい農薬(抗菌剤)が散布されており、反対したのは現在の放射能と同じくらい危険だと感じたからだ。
具体的に農薬の危険性を訴えたことから反対運動が盛り上がり、開発反対の署名は住民の過半数にも達した。
しかし議会が開発を承認し、町長が「民主主義のルールに基づいてゴーサインする」と表明すると、商工会から観光組合に至るまで賛成一色となり、立木トラストなど様々な手段で対抗したが、結局数年後に認可された。
県に陳情した際明らかになったことは、県の土地開発本部長から若い担当課長まで国からの出向であり、環境破壊に無知で建設を使命としている担当課長の論法から、ゴルフ場開発が高速道路建設を請け負った住友建設の地域への一部利益還元として中央で既に約束されたものであるという疑惑だった。
また開発側が作成する「環境アセスメント」は開発を確実に実施するお墨付きであり、鉄砲水などの災害の危険性や生態系の深刻な影響が基準以内に評価され、提出した農薬気化の危険性を示す意見書も御用学者の論文だけが採用され、まったく公正さを欠いていた。
しかも「環境アセスメント」の閲覧は建設事務所で実施されたことや専門用語で電話帳のように分厚いものであったことから、ごく僅かな関係者しか閲覧せず、まさにお上の「由らしむべし知らしむべからず」といった姿勢を感じざるにはいられなかった。
そのように強引に開発され盛大にオープンしたゴルフ場も、全国津々浦々でのゴルフ場倒産の波を受けて2007年に倒産した。
その後経営は再建されたが、冬期の豪雪で費用が嵩むことから自然にかえるのも時間の問題である。
さらに私の暮らす周辺にはゴルフ場倒産だけでなく、強引に開発されたアライスキー場や妙高パインバレースキー場など目白押しである。
特にソニーが500億円をかけて開発したヨーロッパ風の豪華なアライスキー場は、2006年に倒産した後タダ同然で妙高市に移譲され、数年前まで常駐して管理されていたが、現在はスライド写真で見るように(注2)、毎年の積雪でガラス窓は至るところで割れ、広場の階段などの金属装飾も折れ曲がり、最早経営の再開は絶望的である。
まさに人間欲の生み出した巨大なモニュメントであり、後世に残る愚かな20世紀バブルの遺跡である。
そしてこれらの札束による強引な開発の張本人は、民意無視の現在の政治に他ならない。
取り返しのできない原発事故を起こしても、原発の海外輸出を税金で支援し、日本の負債が1000兆円を超えてもお札を刷りまくって成長への欲望を追求しようとしている。
そのような日本には明日はなく、謙虚さを忘れた国にはスライドで見るような滅びしかない。

もっとも私自身は、今回の選挙で9割を超える新自由主義推進の翼賛政権が予想されているが、決して悲観的ではない。
何故ならそれはドイツで見られたように、新自由主義克服への過程であるからだ。
現在の民主党ように、労働政党が新自由主義を求めても長続きしないからである。
必ずや今回の民主党大敗を受けてドイツのSPD社会民主党)のように新自由主義路線への反省がなされるだろう。
(何故なら既にEUにおいて規制なき新自由主義は破綻しており、来年の金融取引税導入で新しい時代が始まろうとしているからだ)
そうならない場合も民主党は真二に割れ、日本未来の党などと来年の参議院選挙までに再編成がなされ、日本においてもドイツと同じような動きが起きると信じているからだ。
その際既に安倍政権は憲法改正を強行しているかも知れないが、憲法改正原発再稼動といった国民及び地域住民の暮らしに決定的に重要な件では、今回の第三の原理にあるように国民投票住民投票といった直接民主主義導入を実現し、再度国民の意思を問うべきである。


(注1)
Basisdemokratisch
底辺民主主義
Basisdemokratische Politik bedeutet verstärkte Verwirklichung dezentraler, direkter Demokratie. Wir gehen davon aus, daß der Entscheidung der Basis prinzipiell Vorrang eingeräumt werden muß. Überschaubare, dezentrale Basiseinheiten (Ortsebene, Kreisebene) erhalten weitgehende Autonomie und Selbstverwaltungsrechte zugestanden. Basisdemokratie bedarf jedoch einer zusammenfassenden Organisation und Koordination, wenn ökologische Politik in der öffentlichen Willensbildung gegen starke Widerstände durchgesetzt werden soll. Wir setzen uns in allen politischen Bereichen dafür ein, daß durch verstärkte Mitbestimmung der betroffenen Bevölkerung in regionalen, landesweiten und bundesweiten Volksabstimmungen Elemente direkter Demokratie zur Lösung lebenswichtiger Planungen eingeführt werden.
底辺民主主義は脱中央集権的、直接民主主義の強化実現を意味している。底辺の決定が原理的優先権を与えられなければならないことに由来している。一目で見渡すことができ、脱中央主権的町村レベル、郡レベルの底辺単位の民主主義は継続する自治自治の権利の承認を確保する。しかしながら底辺民主主義は、エコロジー政策が強い抵抗に対抗して公の意思形成において実現されるとするなら、一つにまとめる組織や調整を必要とする。私たちは、暮らしに非常に重要な計画の解決として地域、州の住民投票、そして連邦の国民投票での関与する住民の強い共同決定によって直接民主主義の要素が導入されることを支持する。
Unser inneres organisatorisches Leben und unser Verhältnis zu den Menschen, die uns unterstützen und wählen, ist das genaue Gegenbild zu den in Bonn etablierten Parteien. Diese sind unfähig und nicht willens, neue Ansätze und Gedanken und die Interessen der demokratischen Bewegung aufzunehmen.
私たち内部の組織的日常と私たちを支援し選んだ人たちとの関係は、ボン(連邦議会)の既成政党に対してまさに対極にある。これらの既成政党は、民主主義運動の新しい取り組みや考え、そして関心を受け入れることに無能であり、意思もない。
Wir sind deshalb entschlossen, uns eine Parteiorganisation neuen Typs zu schaffen, deren Grundstrukturen in basisdemokratischer und dezentraler Art verfaßt sind, was nicht voneinander zu trennen ist.
それ故私たちは政党組織を、底辺民主主義と脱中央集権の基本構造が相互に切り離せないものであると記す、新しいタイプに創造することを決意している。
Denn eine Partei, die diese Struktur nicht besitzt, wäre niemals in der Lage, eine ökologische Politik im Rahmen der parlamentarischen Demokratie überzeugend zu betreiben.
Kemgedanke ist dabei die ständige Kontrolle aller Amts- und Mandatsinhaber und Institutionen durch die Basis (Öffentlichkeit, zeitliche Begrenzung) und die jederzeitige Ablösbarkeit, um Organisation und Politik für alle durchschaubar zu machen und um der Loslösung einzelner von ihrer Basis entgegen zu wirken.
何故ならこれらの構造を持たない政党は、議会民主主義の枠組みでエコロジー政策を納得いくように推し進めていくことはできない。
その際の重用な考えは、組織と政策を全ての人が見渡せるようにするために、そして底辺からの各自の離脱を阻止するために、全ての官職者、議員職者、そして制度を、公開及び期間制約の基盤と常時解任による絶え間ないコントロールである。

(注2)今年10月に私自身が訪れた写真スライド。外観だけ見れればと訪ねたが、上からの道には立ち入り禁止の看板も見当たらず、20世紀リゾート開発の墓場のような広場から撮影。
http://img.gg/Q95KKZm