(160)ハネケ映画を通して現代を考える(8)ファニーゲーム後編・・シリアでの暴力はどのように解決されなくてはならないか。

アールターグドイツ8・ドイツ連邦選挙(2)・・あらまほしきこと・・ドイツのように首相さえも公僕であること


暴力阻止・・・国連での化学兵器共同管理提案(ARD)

ハネケによれば、『ファニーゲーム』は観客に本当の暴力の恐ろしさを体現させることで、暴力をバイオレントアクションとして消費している現代を告発している。
そうした視点で主犯格の若者パウルを見れば、彼は暴力の本当の恐ろしさのレクチャー役とも言えよう。
パウルがレクチャー役とすれば、ウィンクサービスも、「どっちに賭ける?」という話しかけも、わかり易く見えてくる。
もっともこの映画が恐ろしく不快であるにもかかわらず、大部分の人を釘付けにする程集中させるのは、恐怖の暴力に遭遇した家族を演ずる俳優たちが、一刻一刻リアルな迫真の演技でその恐ろしさを表現しているからだ。
そうしたなかでは、パウルが実在の犯行者と異なって冷静に暴力をレクチャーする虚構も、気味の悪さから観客に恐怖を増大させている。
前回のストリーの続きに戻せば、逃げた息子はその逃亡が予定されていたかのように連れ戻され、再び逃げようとしたとき銃で頭をブチ抜かれる。
それで犯行者たちは一旦引き上げ、逃げ出すチャンスを与えられるが、それも予定されていたかのように必死に逃げる妻アナは連れ戻される。
その後一瞬の隙から妻アナが銃でペーターをブチ抜くと、主犯のパウルは「リモコンはどこだ!」と叫んで、映像を銃でぶち抜く前に巻き戻し、家族全員殺戮のストーリーに沿って再び何もなかったかのようにレクチャーを開始する(すなわち圧倒的力関係のなかで、例えば植民地での何でもありを暗喩するかのように)。
そして犯行者たちは夫ゲオルクを銃殺した後、縛られた妻アナを湖のヨットに一緒に乗せて、彼らの本当の正体がネオコンのような知識人であることを暗示するかのように、「物質界と反物質界の行き来は・・・」と議論した後でパウルが時間を尋ね、「8時過ぎ」とペーターが返答すると、チャオと言って荷物を落とす安易さで縛られた妻アナを湖に突き落とし、家族全員の殺戮が終了する。
そしてまた、次の別荘に同じように侵入し、家族殺戮を開始することで映画は終わる。
このような最悪の不快感を与える暴力をハネケが描く理由は、観客、さらには世界に暴力阻止を希求しているからに他ならない。
それはハネケ自身、「私は、暴力の本質を描くことで彼らを震えあがらせ、普段自分たちが見ているものが一体何なのか、メディアとは何なのかを気づかせたかったのです」と述べていることからも明らかだ。
実際現代の社会では、身近な“いじめ”やストーカーの暴力から国際紛争による暴力が溢れ、年々負の連鎖がエスカレートしている。
特に現在世界を二分しいるシリア紛争では、絶対に容認できないサリン使用による殺戮が起きており、世界がこうした容認できない暴力を阻止できないとすれば、核戦争も時間の問題であり、人類の滅亡も決して絵空事ではない。
先日紹介したシュピーゲル誌2013年35号「アサドの冷たい計算」では、シュピーゲル誌はボスニアホロコーストを阻止するためにセルビア空爆を容認した立場を採り、「しかしながらさらなる大量絶滅が練られるならば、軍事介入がなされねばならない」と強調していた。
確かにバルカン半島の紛争はセルビア空爆で功を奏したことは事実であるが、その後のイラク戦争アフガニスタンでの軍事介入は泥沼化し、暴力を阻止する暴力で世界にさらなる暴力が拡大されたと言っても過言でない。
したがって世界が本当に暴力阻止を希求するならば、攻撃による阻止ではなく、例えば国際法の強化で国連加盟の全て国の共同体勢で強制的に検証し、裁判によって暴力阻止を実現していかなくてはならないだろう。
現在の国際司法裁判所は各国の平等な主権を尊重することから、原告(国)の訴えに対して被告(国)が同意した場合しか開かれないため殆ど機能していない。
今回のシリアのような場合、世界は共同体勢で一つになって国際司法裁判所を強力に機能させることで、暴力阻止の仕組みを構築して行くべきである。

そのように考えていたところ、メルケルの電話交渉によるものと思われるが、今週に入りロシア大統領から化学兵器の共同管理提案があり、オバマも攻撃延期で提案の実現を模索すると表明したことから、攻撃によらない暴力阻止の第一歩となればよいと思っている。


アールターグドイツ8・ドイツ連邦選挙(2)・・あらまほしきこと・・ドイツのように首相さえも公僕であること(動画字幕付き「エネルギー転換」、「シリア対策」テレビ討論)

動画を見ればわかるようにメルケル首相は現在の電気料金の高騰に、4年前の年金保証財源が不足したことを持ち出し、雇用増大によって年金保険料を引き下げる事ができた実績を話すことで、現在のエネルギー転換の窮地を理解してもらおうとした。
しかし質問する女性ニュースキャスターはそのような回りくどい返答を許さず、「エネルギー転換で200億ユーロの負債を生じています。・・・あなたは市民にエネルギー料金の上昇を求めるのでしょうか?」という強い質問要請に、公僕であるドイツの首相は何も言わずに従うしかないのだ。
日本ではメディアがこのような強い姿勢で対峙すれば、そのメディアは記者クラブから追放されかねない。
すなわちお上の方針に背くメディアは、安倍晋三が圧力をかけたと言われている2001年NHK番組改編問題のように、多くの犠牲者なしには済まない。
日本を本当によくするためには、大本営を翼賛的に容認せざるを得なくなる前近代的記者クラブが、国民全体の声で廃止されなくてはならないだろう。
何故なら、外国メディアは1000兆円を超える負債にもかかわらず益々負債を増大させるアベノミクスを厳しく批判しているが、記者クラブで縛られている国内メディアは危険な賭けを容認していると言っても過言でないからだ。

話を戻せば、再生可能エネルギー法刷新で州と連邦の話し合いが噛み合わないのは、2010年から2011年6月の脱原発を決めるまで、全ての州選挙で社会民主党政権が成立し、ネジレ現象にあるからだ。
もっともメルケルが、与党議員半数以上の原発推進支持の中で倫理委員会を通して脱原発を実現してからは、国民の評価も徐々に高まり、メルケル自身も国民に奉仕する政治に変化して来ている。
確かにドイツのエネルギー転換は、現在産みの苦しみに直面していることは事実であるが、メルケルの言うように、先導者として新しい道を創り出しているのであり、未来へのチャンスとして捉えるべきだろう(ドイツの電気料金は1キロワット時平均2011年4月25、23セント、2012年4月25、89セント、2013年4月28、73セントに上昇)。

シリア問題では両者の意見は殆ど同じであり、国際法上の要請なしに軍事介入することに反対であり、話し合いで政治的解決することで一致している。
特にメルケルは、化学兵器使用は重大な犯罪であり、世界が見過ごすことは許されず、ロシアや中国とも共同して解決を模索することを強調している。
さらにメルケルは、世界が二つに割れることなく解決の共同体勢を構築することがドイツの使命だと主張している。

このメルケルの最後の主張も、時間的制約から最初女性キャスターによって切られたが、ここではメルケルは「エントシュルディンゲン(すいません)・・」と言って最後まで主張している。
本来なら女性キャスターが「すいません」と謝るべきであるが、首相が公僕であるドイツでは当然のように扱われている。
まさに今の日本に、あらまほしきことである。