(220)ドイツメディアから考える今21・・医療の理想を求めて9・『自宅で亡くなること4−3』(公共部門への競争原理優先の浸食)


http://www.youtube.com/watch?v=FBEg2c_eB4o&feature=youtu.be

ケルン大学病院の移動緩和ケアチームの医療が受けられないライン川右側地域で奉仕する社会参加の家庭医たちは、ドイツ自体の高齢化と看取りの活動が知られるようになり、需要の増大で限界に達している。
そのため6人の社会参加の家庭医たちは、共同で移動緩和ケアの会社を設立しようとしている。
何故ならお互いに助け合うことが必要であるだけでなく、疾病金庫が個人に対して支払を渋り、企業としてのインセンティブやリスクを求めているからだ。
議論でも明らかなように、6人の社会参加の家庭医には前払いというリスクを冒しても会社設立以外の選択肢はない。
そのような動きはブレーメン州でも顕著になっており、多くの医師や看護師が緩和ケアの資格をとっても、緩和ケアチームの創設で疾病金庫との協定が難航しているため見通しが立っていない。
まさに公共部門でもリスクとインセンティブの追求優先は、シュレーダー政権の新自由主義の教本というべきアジェンダ2010の競争原理最優先に他ならない。
そのようなやり方を医療女性弁護士ヘンリケ・コーンは、「国家が社会福祉事業の責務から撤退し、緩和ケアチームを私的手段でつくらせることなどあり得ないことです。容認できない残念なことです」と厳しく批判している。
そして今回のフィルム後半では冒頭に登場した末期小児癌の少女アンナ・マリアの自宅での看取りが始まっている。
様態は肺に水が溜まり始めており、アンナの気持ちも沈みがちになっているが、お母さんに夢を話す表情には平穏さえ感じられる。
夢の話はよく私には聞き取れなかったが、アンナ自身も死が近づいていることを徐々に認識し、最後の生を静かに燃焼しているように思えた。
しかしここでも自宅での小児緩和ケーアは疾病金庫が前向きでないことから順調に進んでおらず、治癒の見込みのない子供たちが自宅で最期を生きる権利が全うされていない。
全うするためには小児緩和ケアチームを4倍量にする必要があり、ホルンベルク大学病院緩和ケアチームのベンジャミン医師は政治にその創設を強く求めている。
その費用はドイツ全体で2000万ユーロの疾病金庫の支払に過ぎず、年間疾病金庫支出4000億ユーロの欠片(0,05%)であり、それで死する子供たちが自宅で生を全うできるのだとARDは訴えている。

(追伸)今回私自身の母の看取りを書くつもりでしたが、突然の上京などで次回にしました。