(270)世界危機第八回・バングラ再訪3(子供たちにもらった勇気)・不正が生み出す危機4(規範の道具化による不正容認)

最終回のフィルムのラストで子供たちからの「サンキュー」という感謝に答えて、今私がしなくてはならないことは、世界をガラス張りに開くことであり、そのために日本、そして世界に公正、公開、責任の構築を求めていくことだと思う。
もちろんそれがどれ程遠大であり、無謀な試みかは認識しているつもりであるが、それなくして最早人類の歴史は今後数百年で途絶えるだろう。
そのような危機に人類は直面しているにもかかわらず、日本は言うに及ばず、ドイツ以外の世界では本質的な公正、公正、責任さえ追求されておらず、私の生きている間はその構築を叫び続けたい。
そのようにきっぱり言えるようになったのは、笑みを絶やさないバングラの子供たちに(悲惨な過去を背負っているゆえに、生きるためには絶えまぬ笑みが必要不可欠だからだ)もらった勇気からであり、そうすることが子供たちに報いることだと思う。

不正が生み出す危機4(規範の道具化による不正容認)
私が40歳を超えて再び学び始めたのは、ゴルフ場開発に反対した時からだった。
妙高でのゴルフ場開発は小学校や中学の上500メートルの開発であり、ゴルフ場会員権が錬金術といわれた時代であり、芝の緑を保つために人体に有害な殺菌剤(病虫害の防除)、着色剤、除草剤が大量に撒かれていた。
それは空中に気化することで子供たちの体に非常に危険であり、私が自給のための有機農業をしていることからも見過ごすことができなかった。
反対運動の詳しい経過は、『アルタナティーフな選択・ドイツ社会の分かち合い原理による日本再生論』(2000年、越書房)に書いたが、過半数の反対署名にもかかわらず(その過程で区長などの地域有力者からの激しい非難、絶えず自動的にかかる嫌がらせ電話、開発前での町からの環境委員への誘惑等のなかで)、現在の沖縄辺野古基地建設のように強引に推し進められて行った。
そのため環境アセスメントの縦覧では、当時幾許かの可能性を信じて県へ意見書を書くことに没頭した。
縦覧は建設主の住友建設妙高事務所でなされていた(事務所といっても普段はシャッターが下ろされ、縦覧の際は連絡が必要であり、行くたびに連絡した社員が迷惑そうに開けてくれた)。
環境アセスメントの「環境影響評価準備書」は電話帳よりも分厚く、専門用語や数式が多用されており、住民理解への配慮がなされていなかった(封建社会における、お上の「よらしむべし、知らしむべからず」は今も継続されている)。
しかもこの環境アセスメントは、日本では行政機関や第三者機関でなされるものではなく、開発企業自体によって環境影響調査請負業者(○○環境調査研究所)に委託して実施されていた。
それは膨大なデータが載せているが、最初からこの開発は全体として環境に大きな影響を与えるものではないという結論ありきであった。
しかも苦労して書いた県への意見書も(県の開発部長、課長は国から出向であり、この開発が高速道路建設の見返りであり、政財官の癒着を物語っている)、数か月後に住友建設の社員が私の家を訪れ、影響なしとする長い論文持参で終了した。
すなわち日本では環境を守る開発阻止の最後の砦である環境アセスメントさえ、開発を合法的に推し進める手段(道具)であるのだ。
そして日本列島を未だに終息しないだけでなく、杭の不正データー改ざんでは旭化成だけでなく他企業に拡がり始めている。
その背景には2002年の炉心融壁のひび割れ隠しでの「異常ありきという報告書など受け取れない」という国の姿勢がある。
すなわち事業を公的規制から実質的に企業の自主規制に任せる代わりに、絶対安全というデータ報告書を出しなさいという、無責任な国の姿勢が垣間見れる。
それ故に工期が定められているなかでは、会社ぐるみで暗黙のデーター不正改ざんが求められているといえよう。
さらにそこには、巧妙に不正容認を求める産業の要請、国の関与が潜んでいる(そこまで掘り下げなくては、トカゲの尻尾切りで終わり、何度でも繰り返されよう)。

そして、現在の文明はそのように取り締まる規範さえ不正の道具化することで、日本、さらには世界を益々危機へと陥れて行く。