(329)時代の終わりに(13)・核戦争が起きないために(2)本質的解決を求めて・危機を警鐘する国内報道2(インパール作戦)

核戦争が起きないために(2)本質的解決を求めて(直近のドイツニュースに見る予兆6)


北朝鮮の脅威は上の動画でみるように、日本上空ミサイル、水爆実験と益々エスカレートしており、専門家が指摘するように弾道ミサイルを含めて核兵器開発は完成しており(少なくとも60発の核保有)、最早外交手段しかない。
確かに石油などを海外に依存する北朝鮮にとって貿易の完全封鎖が実現すれば致命的であり、核開発の中止だけでなく、独裁政権の崩壊も有り得よう。
しかしイラン経済封鎖が物語るように、対立する陣営の弱肉強食の競争世界では完全封鎖など不可能である(石油に関しては中国とロシアからの輸入であることから、国連決議さえ困難であり、さらに現在のような競争世界の中では、闇市場を廃絶することは出来ないからである)。
また巷で流れるキム・ジョンウン暗殺計画という方法もあるが、たとえ成功してもその報復は多大であり、韓国や日本にとっては致命的にもなり兼ねない。
何故ならキム・ジョンウン金正日の三男)は2000年までスイスで学んでいた留学生であり、2009年突然後継者に指名されたことからも、全体主義体制の独裁者を演じる飾り者にすぎないからだ。
本質的に解決するには、99%が困窮していく世界、武器の闇市場が横行する世界、民主主義より全体主義が求められる世界を変えて行かなくてはならないだろう。
すなわち現在の新自由主義(新重商主義もしくは新植民地主義とも呼ばれる)の世界では、経済のグローバル化で世界の富を吸い尽くすことが追求されており、争いが絶えないからである。
8月17日ZDF子供ニュースで放送された「中国山岳地域の貧困」では、経済のグローバル化が山岳地域の暮らしを奪い去り、貧困の有様が描かれていた(下の動画参照)。
ここでは貧困化の理由については語られていなかったが、2012年にジャンムー・カシミール放送が公開した動画「Ancient Futures Learning from Ladakh」を見れば(下の動画参照・注1)、15世紀末から植民地主義で発展して来た弊害が、少なくとも数十年前まで楽園であったラダック(世界で最も高いヒマラヤ山系地域)の貧困化と混迷の理由を読み解くことができるだろう。
私自身このブログ「ドイツから学ぼう」を始めた頃述べたように、今から40年近く前バングラデシュでボランティア活動に取組んだ際若いミロン僧侶(現在のバングラディシュ仏教界の高僧)の案内で山岳農村を訪れ、その豊かさを体験した。
そこでは殆どが自給自足され、充足され心ゆえ優しく、寝たきりのお婆さんも驚く程手厚く世話され、家族の絆として敬われていた。
またお婆さん自身も笑顔で、「死を待っているんです」と、ごく当たり前のように神々しく述べられられたのが印象的であった。
そして村を去る時、近所の子供たちまでが「ビタイ、ビタイ」と言って姿が見えなくなるまで数十分も見送ってくれ、今もその光景が私の脳裏に焼き付いている。
そのような豊かさを奪い去ったのは、発展と称する近代化であった。
グローバル化を通して恐ろしく安いコメや小麦が外から持ち込まれることで、地域農業が破綻させ、若者や男たちが都市に稼ぎにでることで、受け継がれてきたよき伝統が壊され、年寄りが敬われなくなるだけでなく、豊かな楽園が困窮する地へと変わり果ている(注2)。
このように残されていた楽園も不満と渇望が渦巻く困窮する地への変貌こそは、絶えず発展を求め続ける世界の縮図であり、今その発展が限界に達しているといえるだろう。
それ故に時代の終わりであり、現在の絶えず発展を求め続ける世界を反省し、システムを変える事なくして、最早人類に未来はないように思える。

(注1)YouTube動画を独自に翻訳転載(この作品は『懐かしい未来』としてDVD化されています)。

(注2)ブログ268から270にバングラディシュ再訪として既に書いています。


危機を警鐘する国内報道2(インパール作戦

今年8月に放映されたNHKスペシャル『インパール作戦』を見ると、あまりの悲惨さに目を覆いたくなると同時に、このような恐るべき無謀な作戦を遂行した指揮官(軍官僚)たちが全く責任を取らず、自らを正当化する戦後の証言(連合国の尋問調書)に怒りを感ぜずにはいられない。
そのような無責任で自己正当化する官僚支配が戦後も継続し、エイズ薬害、高速増殖炉計画から財政負債肥大を犯すなかで、北朝鮮の脅威に対して迎撃ミサイルなどの軍事力強化で現在の危機を乗り越えようとしている。
そのような手段は利益に関与する人たちが望むとしても、既に少なくとも60発の核爆弾と数百の弾道ミサイルを持つと言われる北朝鮮の脅威に殆ど機能しないことは明白である。
今こそ差し迫る危機を通して、本質的な解決、希望ある未来を如何に創り出して行くかを、日本、そして世界が考え直す機会である。