(392)“救済なき世界”をそれでも生きる(14)コロナ危機到来の日本を考える(1)

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日本ではコロナ緊急事態宣言が解除され、再び社会が以前のように動き始めようとしている。
しかし北九州や東京では相変わらず毎日新たな感染者が出ており、再び第二波のパンデミックが何時起きてもおかしくなく、国民の誰もがコロナ以降の変容を感じている。
折しもドイツの公共放送ZDFは、5月24日の哲学者プレヒトの対談番組で社会学アンドレアス・レクヴィツを招いて、『コロナは私たちの社会を変えるのか?』のタイトルで放送していたので、日本語字幕を付けて自ら考えることにした。
リチャード・デビット・ブレヒトは1964年生まれの哲学者であり、リューネブルク大学の哲学名誉教授であるとともに、ベストセラー作家としても有名である。
プレヒトは2012年以来年6回のZDF対談番組を持ち、現在の社会や政治に影響を与える人との議論を通して、新しい市民社会を模索している。
今回の対談相手のアンドレアス・レクビッツは、ベルリンのフンボルト大学社会学教授であり、ZDFの解説では(下のアドレス)、現在の規制なき競争社会から国家規制の活性化する社会を説き、2019年執筆の『幻想の終わり』で、「長い間人類は進歩と民主主義の確信を整えてきたが、英国のEU離脱、トランプの選挙、移民問題、気候危機などの出来事は、“歴史の終わり”の幻想を揺るがした」と述べていることが紹介されていた。
https://www.zdf.de/gesellschaft/precht/precht-212.html
今回取り上げたプレヒトの対談は多少難しい議論でもあるが、コロナ危機に揺れる現在が歴史の転換点であるかどうかは別として、現在のコロナ危機社会がどのように社会を変えて行くかを考える上で的を得ている。
今回上に載せた『コロナは私たちの社会を変えるのか?3-1』の後半で進歩論議がなされており、レクビッツは絶えざる進歩を追求してきたことが現在の危機の原因としながら、「ところで私は本質的に、現在進歩の必要性のない社会は考えられないと思っています」と明言している。
これに対してプレヒトは、進歩がエコロジー的代価を支払って来ており、最早進歩が許されないところまで来ており、時代の転換がなされるのではないかと迫っている。
しかしレクビッツは進歩が許されない社会には懐疑的で、進歩批判が創り出す別の進歩を目標とする社会を示唆している。

 

コロナ危機到来の日本を考える(序)

 

コロナ危機は世界で感染者が途上国や新興国に拡がり、夏までには1000万人を突破する勢いで増え続けるなかでは、とてもこのままコロナ危機が終息して行くとは思えない。
唯プレヒトの議論でも見るように、これまでのような絶えざる成長を追求する進歩が許されない時代に到達していることは明らかである。
今回の日本へのコロナ第一波で、マスクが店頭からなくなり、需要と供給による利益優先の競争市場社会では、今回のような危機には対処できないことが明らかとなった。
またコロナ危機で必死に対応してきた多くの医療機関が、大きく赤字に転落し、存続の危機にさえ陥っている現実である。
70年初めに生じた競争原理最優先の新自由主義は、鉄道、通信、医療などの公共分野を民営化し、さらには教育や環境にまで規制なき民営化を推し進めている。
しかしそのような規制なき競争市場社会では、コロナ以降の世界に対処できないであろう。
それは、例えば存続危機に陥った医療機関を応急財政支援で救済するというやり方では、最早解決しないところまで至ったことを物語っている。
本質的には、人の命や暮らしに関与する公共分野が競争にさらされること自体が見直されない限り、コロナ第二波、第三波、さらには新たな感染症が到来するなかでは、最早立ち向かえないところまで来ている。
またそれは、マスクやトイレットペーパーなどの暮らしに欠かせない必需品においても言え、洪水や干ばつの気候変動による被害増大するなかでは多くの食料品さえなくなる危惧さえ感じないではいられない。
もちろん需要と供給によって価格が決められるのは、これまで進歩を続けて来た社会の根幹であり、暮らしに欠かせない必需品に厳しい統制措置を強いることは大きな問題であるとしても、少なくとも緊急事態宣言の下では配給制を蘇らせることも考えなくてならないだろう。
そして最も今回のコロナ危機で被害を受けているのが、非正規で働いていた人たちで、日々の報道で暮らしに困窮している悲痛が伝わってくる。
現在の規制なき競争社会では、企業利益が社会で働く人の幸せより優先されて追求されてきた。
その結果働く人の4割近くが非正規雇用となり、経営が悪化すれば容易く解雇され、今回のコロナ危機では時間の経過とともに、益々困窮の悲鳴が拡がって来ている。
しかも今回の危機は、サブプライム金融危機のような一過性のものではないことから、経済を優先して制限を緩和すればするほど、第二波、第三波と長期化が予想され、現在の経済システムでは対処できないことは明白である。
現在の経済システムとは、絶えざる成長を促すため大企業や高額所得者への減税が競われ、働く中間層に増税が求められ、底辺層に消費税がが重く圧し掛かって行く新自由主義経済である。
それは1%の富裕層をつくり出す仕組でもあり、「富める者が富めば、その富はしたたり落ちる雫のように貧しい者にも及ぶ」という教義でこれまで推し進められて来た。
コロナ危機は、このようなエセ教義がつくり出した格差社会では、最早対処できないことを浮き彫りにしている。
対処できる目標とすべき社会は、先ずはコロナ危機で誰もが等しく救済される社会であり、将来的には全ての危機が解消され、一人一人がこの危機の時代においてさえ生きることに喜びを感じれる社会でなくてはならない。
そのような社会の実現は、ドイツのように民主主義が生きずいている国では、前回の未来研究所提言シナリオが描くように、あらゆる分野で健全性が追求されて行けば、現在の危機をよりよい理想的社会のバネにすることも可能だろう。
しかし日本では、公文書で現在のようなコロナパンデミックによる歴史的事態を記録に残すことが義務付けられているにもかかわらず、要となる連絡会議(首相、関係閣僚、関係省庁幹部等による方針決定会議)の議事録が作成されておらず、方針決定の重要な鍵となる専門家会議はこれまで発言者の名前がない議事録要綱で、記録を後世に残そうという積極的意思も垣間見られない。
それは現在の不備を将来のよりよい対処に結び付ける配慮に欠けるだけでなく、責任を回避するかつての大本営無責任体制と言っても過言でない。

しかし5月の初めに見たETV特集「義男さんと憲法誕生」で(下に動画転載)、戦後の日本がいかに真摯に戦争を反省し、二度と戦争を起こさない積極的平和憲法、そして暮らしに国の責任と国民の権利、さらには国の過ちに賠償を求め、戦前とは逆に国が国民に奉仕する理想的社会を創ろうとしていたかを再認識した。
番組では戦後の憲法創設の衆議院小委員会の議事録に基づき、発言者の意見を再現して描いているが、畏敬の念を感ぜずにはいられない鈴木義男の徳の高さ、党派を越えて国民に奉仕する理想的国家を創ろうとする篤い思いが伝わって来た。
そのような思いは、絶えざる成長が追求されるなかで見る影もないほど変質している。
今こそ将来に使命感を持った開かれた議会、もしくは委員会を通してコロナ危機克服の対処だけでなく、危機が招いた本質的問題を解決するために、禍をバネとして誰もが等しく救済されるだけでなく、迫りくる危機のなかでも生きる喜びが持てる社会に変えて行く国民議論が必要だと切に思う。

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