(439)戦争のない世界を創り出すためには[世界戦争の始まり(6)]

終わりなきウクライナ戦争

 

 ブチャーの虐殺は、目的達成のために人間をモノとしてしか扱わなくなった近代戦争を象徴し、絶滅戦争であることを明らかにしている。

 4月7日のZEIT No. 15/2022)の記事によれば(1)、「ロシア軍がブチャー撤退後、そこには何百人もの村人が殺されているのが発見され、路上や自転車の横、あるいは逃げようとした車に横たわっていた。何人かは縛られ、頭を撃たれ、体が焦げていたり、すでに半分朽ち果てていたりした。年老いた人もいれば、子供もいた。何百もの遺体が集団墓地に埋葬され、一部はビニール袋に入れられていた」と、村人すべてのジェノサイドであることを伝えていた。

 上に載せた4月8日のZDFheuteが報道するEU委員長ライヱン女史のキエフ訪問は、そのブチャー村での戦争犯罪立証と、ウクライナEUの側にあることを明示するものであった。

 しかしそれは戦争の終わりへの第一歩ではなく、むしろ西側とロシアさらには中国を含めた東側との世界戦争の始まりを予感させるものであり、終わりなき戦争を明示しているようにさえ思える。

 何故戦争が終わらないかは、戦争を終わらせる国連の安全保障理事会が機能しないからである。それは国連設立の際、中国、フランス、ロシア、英国、米国に特別の権限である拒否権を与え、五か国全員の同意なくして実効性のある決議が採択できないからである。

拒否権の背景は、国連誕生に奔走した五か国が、世界の平和と安全を維持する責任と義務を果たすことを期待して、あくまでも対話によって全会一致の同意を求めたことにある。

 しかしそのような理想は、すでに誕生当初から西側と東側の対立があり、玉虫色の決着でしか設立できなかったことを裏返しているように思われる。

それゆえ国連の世界の平和と安全を維持する機能、すなわち最終的に国連軍投入で力による維持機能は、戦後の繰り返されてきた戦争では殆ど発揮されず、絶えず戦争を警告するだけで傍観してきたと言っても過言ではない。

 しかも五か国の拒否権を変える手段は、改革案が国連総会で決議されても拒否権が行使されることから、全くないと言える。

4月7日国連人権理事会が開催され、ロシアの理事国資格停止が93カ国の賛成で決議された。それは国連を通しての出来うる限りの制裁であったが、反対国と棄権国の多さからして、むしろ問題の深さが浮き彫りにされた。決議には中国、北朝鮮など24カ国が反対したのは想定されていたとしても、棄権はインドだけでなくブラジル、メキシコ、アラブ首長国連邦(UAE)など58カ国もあったことは予想外であった。

それはこれ以上の経済制裁がなされても、抜け穴だらけであることを示すだけでなく、このままウクライナ戦争が終わりなく続いて行けば、世界は二つに分かれて、人類を滅ぼす世界戦争に巻き込まれて行くことを啓示しているようにさえ思える。

 

(1)

https://www.zeit.de/2022/15/butscha-graeueltaten-russland-soldaten-krieg/komplettansicht

 

 

戦争のない世界を創り出すためには

 

今回の独裁者プーチンによる残忍な虐殺も厭わないウクライナ戦争は、先送りされてきた多くの問題を露わにしている。

そもそもプーチンのような独裁者帝国を生み出したのは、ドイツがヒトラー独裁帝国を生み出した要因と同じである。

すなわちワイマール共和国では経済の自由が格差を生み出し、大部分の市民が困窮する時公平さが問われ、国家社会主義が必然的に誕生した。現在のロシアでも同様であり、ソ連崩壊後ロシアも新自由主義の侵攻で格差が肥大し、市民の困窮を招いたからこそ強国ロシア復活を望み、表面的公平さを強いるプーチン独裁国家を誕生させたとも言えよう。

それゆえ現在の格差肥大に、世界が本質的に取組まない限り戦争はなくならないだろう。

 しかし残忍な戦争を止めることは、国連が機能していれば可能である。すなわち紛争が起きるやいなや、紛争地に国連軍投入で緩衝地帯を創り出し、国連軍への攻撃に対しては力によるあらゆる手段が採られることを徹底して行けば、戦争のない世界を創り出し、紛争の本質的解決は難しいとしても、司法によって解決することは可能である。

 しかし今回のウクライナ戦争が露見させたように、現在の国連は機能しないことは明らかである。現在の国連が機能しないのであれば、国連を解散して、新たな機能する国連を誕生させるしかない。

もっとも現在の国連を解散することは、拒否権から不可能であり、平和維持に機能する新たな国連を創設するしかない。

しかし現在の無法で残忍なウクライナ戦争にもかかわらず、今回の決議で棄権を含めて82か国もが、国益を求めて今回のロシアの理事国資格停止に賛成しなかったことは、新たな機能する国連を誕生させても、実質的にはイラク戦争における有志連合となり、ともすれば世界戦争を煽ることにもなり兼ねない。

 そのような観点からすれば、今回の戦争を終わらせることは絶望的である。

たとえプーチンが亡くなったとしても、ブチャーやマウリポリのジェノサイドを犯し、さらなる戦争犯罪を拡大させているプーチン官僚支配組織は、ナチズムに見られたように裁かれることを恐れて降伏することがないからである。

すなわちロシアの降伏は敗北しかなく、ヒトラー独裁帝国では敗北が可能であったとしても、世界最大の核保有国ロシアにおいては降伏はないからである。

 そのような私の悲観論からすれば、世界は二つに分かれ、境界線では絶えず戦争を繰り返し、ジョージ・オーウェルが描いた『1984年』の全体主義監視世界に向かっていると思わずにはいられない。

 

尚最近出した『2044年大転換』では、国益を優先する国民国家の現在の国連では、戦争だけでなく、気候正義や社会正義に対しても機能しないことから、世界の地域からなる新たな地方政府連合が、押し寄せる禍を通して、禍を力として必然的に2035年に誕生し、戦争のない世界、誰もが幸せに暮らせる世界を創出することを、検証しつつ述べている。

それは、単なる警鐘未来シナリオではなく、私が半世紀に渡って学んできた「ドイツの絶えず進化する民主主義」の到達点から演繹されるものである。

 

『2044年大転換』出版のお知らせ

 

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今回は何故このような本を書くにいたったかを理解してもらうために、推敲原稿から「はじめに」を載せておきます。

 

 

はじめに

 私がドイツに関心を持つようになって半世紀にもなる。最初は大学封鎖時の有機化学研究室で化学実験のドイツ語原書を読みあったことから、それ以後ドイツに関心を抱き、ドイツを向いて生きてきた気がする。

 最初は私の専門の化学であったが、製薬会社研究所を体の不調で退職してからは、暮らしと自然の調和を求めるエコロジーへと拡がって行った。

 それが、妙高で農的暮らしをするなかでの宿泊業へと導いた。しかし当時八〇年代末は、リゾート開発が錬金術であった時代であり、持ち上がった子供の通う数百メートル上のゴルフ場開発は、会員権を高く売るための大量殺菌剤散布による緑の芝を保つ開発であり、黙認することができなかった。

 もっともそれは、最初から反対運動というものではなく、「妙高の自然を考える会」を立ち上げて、住民に殺菌剤散布の危険性を知ってもらい、民意で止めたいという思いからであった。しかし地域が利権社会に絡め取られているなかでは、住民の過半数反対署名という民意ですら、開発を止めるものではなかった。

 私が会の代表をしていたことから、区長などの地域ボスたちに呼び出され、きつく苦情を言われるなかで、徐々に強かになって行った。民意無視で開発ゴーサインが出された後も、立ち木トラスト、さらにはゴルフ場開発の水源問題で、関川取水公金不正支出の行政訴訟に参加した(1)。

 しかし九四年訴訟開始から九九年敗訴するまで、何度も地方裁判所のある遠い新潟市まで赴いたが、実を結ばなかった。

 そうしたなかで芽生えたのは、日本は表向き民主国家であるが、実際は戦前の翼賛的な官僚支配国家が継続されているという思いであった。同時に、日本とは対照的に戦後官僚支配から官僚奉仕へ変えて行ったドイツに強く引かれ、日本社会もドイツのように変わらなくてはならないという思いが湧き上がって来た。

 そのような思いから度々ドイツに出かけるようになり、ドイツの現場から学ぶことで、『アルタナティーフな選択・ドイツ社会の分かち合い原理に学ぶ再生論』(越書房)、『よくなるドイツ・悪くなる日本①暮らしと環境』、『よくなるドイツ・悪くなる日本➁政治と社会』(地湧社)を書くことができた。

 しかも、ドイツの小さな都市シェーナウで脱原発を求めて市民電力会社を創設したスラーデック夫妻と知り合い、スラーデック夫妻が脱原発を求めて来日した際半月にも渡って、東京、さらには新潟県巻町から広島まで講演などで一緒し、様々なことを学んだ。

 スラーデック夫妻の来日の目的は、住民投票原発建設撤回を実現した巻町とシェーナウ市の姉妹都市締結であり、夫妻はそれを通して世界に脱原発を訴え、将来的に「核のない世界」実現という遠大な目標を持っていた。しかし残念ながら姉妹都市締結は、平穏でありたいという巻町の意向から叶わなかった。

 それから母を看取るなどで、私のドイツへの探索は何年も中断されたが、還暦を機に二〇〇七年から二〇一〇年までドイツで学び、帰国後遠大な目標を持ってブログ「ドイツから学ぼう」を書き続けている。

 しかし社会は変わらないだけでなく、益々悪くなっていく。

 それにもかかわらず、国民は七〇年以降余りにも平静従順である。そのような平静従順さを、高速増殖炉もんじゅ」がナトリウム事故を起こした際、ドイツの第二公共放送ZDFは批判して、「あらゆる災害を、避けられない運命として受け止めている国民には、地震激震国五〇ヵ所の原発も怖くないのでしょう」と、冷やかに原発事故を警鐘していたが、二〇一一年にはそれが現実化した。

 そして今、気候変動が激化し、感染症が猛威を振う禍なかで、日本及び世界は相変わらず「木を見て森を見ず」であり、いずれ破綻するだけでなく、アメリカのABC放送が警鐘して制作した『地球二一〇〇年』が描く世界のように、機能不全に陥り、世界が滅ぶ未来の現実化に直面している。

 しかし来るべき禍を、どう対処すべきか、世界の一人一人が考え、議論を拡げていけるなら、「禍を転じて福と為す」に見るように、誰ひとり見捨てない、誰もが幸せを感じる世界を創り出すことも可能である。

 本書ではそう信じて、議論のたたき台として『二〇四四年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』を書き上げた。

 それは単なる警鐘未来シナリオではなく、現在あるもう一つの基盤を現実に沿って引き延ばして書き上げたものであり、私がこの半世紀ドイツから学んだ救済の書でもある。

 

 

(1)自著『アルタナティーフな選択・ドイツ社会の分かち合い原理に学ぶ再生論』、越書房、二〇〇〇年

 

 

目次

 

 

はじめに  1

 

序章  たたき台としての救済テーゼ 

     コロナ感染症が問う社会正義 12

     「悪魔のひき臼」が文明を滅ぼして行く 16

     人新生の希望ある未來はドイツから開かれる 19 

 

第一章 二〇四四年大転換未来シナリオ

     二〇三一年国連の地域主権、地域自治宣言 24

     地域主権、地域自治が創る驚くべき変化 37

     地域の自助経済が創る新しい社会 44

     ベーシックインカム導入が時代の勝利となる日 54

     二〇四四年七月X日の首都崩壊 58

     市場が終わりを告げるとき 62

     戦争のない永遠の平和 67 

     倫理を求める絶えず進化する民主主義 75

 

第二章 大転換への途は始まっている

     緑の党の基本原理が世界を変えるとき 82

 

 

第三章 何故ワイマール共和国は過ちを犯したのか?

    ワイマール共和国誕生の背景 98

    官僚支配こそホロコーストの首謀者 103

 

第四章 戦後ドイツの絶えず進化する民主主義

 

    世界最上と自負するドイツ基本法 110

    戦い育む憲法裁判官たち 115

    ドイツを官僚支配から官僚奉仕に変えたもの 125

 

第五章 ドイツ民主主義を進化させてきたもの

    メディア批判の引金を引いた『ホロコースト』放映 132

    裁判官たちの核ミサイル基地反対運動 138

    脱原発を実現させたメディア 150

    気候正義を掲げて戦うドイツ公共放送 163

 

第六章 人に奉仕する経済の民主化

    危機を乗り越える社会的連帯経済 172

    ドイツの連帯経済 177

    人に奉仕する経済の民主化 182

 

 

第七章 ドイツの気候正義が世界を変える

    気候正義運動が創る違憲判決 192

    文明の転換 196

 

あとがき 204