(473)核なき世界の実現(1)・ドイツが描く相応の核反撃の理由(ウクライナ戦争は8月までに終わりを迎える)

ZDFツァイトが描く核反撃の理由

 

 現在の世界は、ZDFツァイトが5月23日に公開した『プーチンのタブー違反・核爆弾の前の新たな恐怖』が語るように、キューバ核戦争危機以来の危機が迫って来ている。

なぜならプーチンウクライナ侵攻はタブー違反であり、最初から核の限定使用を明言しているからである。

しかもウクライナ戦争はロシアと欧米NATOの戦争であり、長期戦になればなるほど軍備、財源で圧倒的に欧米が有利となり、既にプーチンウクライナ侵攻は行き詰まるだけでなく、敗走の時が秒読み段階に来ている。

逆にそれは、ロシアの核限定的攻撃が迫って来ていることを意味している。それを防ぐためには、万一ロシアが核攻撃に踏み切った場合万全の備えができており、ロシアの核限定的攻撃がされれば、その瞬間にロシアへの同規模の核限定的攻撃がされることを、プーチン及びプーチンの周りの指揮官及び指導者たちに認識させるしかない。

それゆえ本来であれば極秘にされる反撃のプロセスを、敢えて公共放送を取材させて公開しているように、最初思われた。

しかし基地司令官トーマス・シュナイダー大佐の「繰り返しますが、抑止力が機能している限り、いつかそのような兵器を使用しなければならなくなることを私は恐れていません」と語るとき、別の核の抑止が感じられた。

プーチンの明言からして、核の限定使用は有り得ることであり、万一核の限定使用がなされた場合、前回載せた『私の見た動画72』のプリンストン大学のシミレーションでは、相応の反撃の必要性からビューヘル基地からトルネード戦闘機による反撃がなされ、さらにロシアが対抗すれば人類絶滅の核戦争にもなりかねないことを警告していた。

まさにそれはアメリカが示す、力による核の抑止であった。

しかしドイツの示す核の抑止は、核の限定使用さえ出来なくする意図がフイルムの節々で感じられた。

万一ロシアが核の限定攻撃を行った場合、NATO側は万全の相応の反撃プロセスができているにもかかわらず、NATO政治家とアメリカ大統領の相互承認によるゴーサインは出されるだろうか?

核爆弾被爆者の悲惨さからして、核の限定使用が万一行使されれば、世界は広島、長崎の際とは異なり、その悲惨さを包み隠さず日々報道し続けるだろうし、その地獄映像を目の当たりする時、これまで中立的態度を採ってきた国々も激しい非難へ変わり、中国さえも最早ロシア支援からの撤退だけでなく、激しい非難へと変わらざるを得ない。

したがってドイツの描くこのフィルムは、相応の反撃を不必要にするだけでなく、ロシアの核限定使用を不可能にするものである。

なぜなら昨年のZDFズーム『プーチンの権力の道』が描いたように、独裁者プーチン大統領KGBソ連共産党官僚支配体制の国家保安委員会)の支配体制がつくり出したものであり、そのような支配体制がロシアが現時点で核の限定使用した場合を綿密に分析すれば、その行使によってロシア自体が崩壊することを認識するからである。

それゆえウクライナ戦争はロシアはウクライナの一斉反撃が始まれば、撤退するしかなく、ウクライナが国境を越えて攻撃しない限り、ウクライナ戦争は年内とは言わず、夏までに終わりを迎えるだろう。

 そのようなドイツの報復の反撃を不必要とする戦う民主主義のやり方こそ、今年私が出したドイツから学ぶ『永久革命としての民主主義 第一部』、『永久革命としての民主主義 第二部』に他ならない。

(472)広島からの「核なき世界」への祈り・沖縄から始める「核なき世界」・緑の党への攻撃

広島からの「核なき世界」の祈り

 

 広島からの「核なき世界」の祈りが高まるなかで、同時に世界核戦争の危機が高まっている。何故ならプーチンは核使用もあり得ると世界を脅してきたことから、上の私の見た動画72(2022年放送のNHKスぺシアル『核兵器:恐怖の均衡が崩れる時』を、私の心に響く8分で短縮編集したもの)を見れば、ウクライナ戦争はウクライナ反転攻勢が始まったことから、ロシアの限定的核攻撃が近づいてきていることが理解できるだろう。

 今回の広島でのG7はそのような状況での開催であり、それゆえにゼレンスキー大統領の突然の来日は最初から計画されていたのだろう。なぜならロシアの限定的核攻撃を阻止するには、当事者の出席は欠かせないからである。

 万一ロシアが限定的核攻撃をすれば、欧米NATOもフイルムのシナリオで見るように、それで終わりにするわけには行かないからであり、エスカレーションで人類絶滅の世界核戦争へ繋がる公算が高いからである。

したがってロシアに限定的核攻撃をさせないことが議論され、ウクライナ反転攻勢のやり方が決められたように思われる。例えばウクライナ軍の反転攻勢は時間をかけ、消耗戦でロシア自ら撤退するように追い込んで行くこと、その場合国境線を越えて攻撃しないこと、ウクライナの復興はG7が責任をもって支援することなどが極秘で決められたように思われる。

事実G7首脳に被爆体験を伝えた小倉桂子さんのインタビューでは、伝えたことを話せるだけで、それに対する首脳たちの回答は守秘義務から話せれないと述べたことからも、如何に重要な決定がなされるかが伺える。

もっともこの決定で世界はロシアの限定的核攻撃を回避できたとしても、世界は民主主義より専制主義に転じる国が増え、核拡散が進むなかでは、核戦争の危機が繰り返されよう。

それゆえに世界は、分断を越えて「核なき世界」を決断し、勝ち負けを越えてどのようにしても実現しなくてはならない。

 

沖縄から始める「核なき世界」

 

 著書『永久革命としての民主主義第二部(日本の処方箋)』で述べたように、「核なき世界」の恒久世界平和は沖縄から創り出すことができる。なぜなら嘗ての核基地沖縄には、上の私の見た動画34(2017年放送のNHKスクープドキュメント『沖縄と核』)を見ればわかるように、1967年に広島原爆の70倍の威力を持つメースBが装填された核弾頭が1300発を超えていた事実、そして沖縄返還後も核密約存在の事実から、一部は撤去されても、その多くが現存している可能性が極めて高いからである。

 それは核密約に深くかかわった当時のメルビーン・レアード国務長官の電話取材で(前年九月の亡くなる二か月前の取材)、「日本とアメリカは密約の重要性をお互いに認識していた。我々は日本を守り続けたかった。日本は核兵器を持たず、丸裸なのだから。核を沖縄に持ち込まないのなら、他の場所を探さなければならない。結局日本は沖縄を選んだ。それが日本政府の立場だったよ。公にはできないだろうがね」の証言を得ているからである。

 日本政府は、「核密約は現在無効。非核三原則を堅持し、いかなる場合にも持ち込みを拒否する」と公式見解を繰り返しているが、それは明治以来のこの国の慣習であり、このフイルムで見るように小坂外相とラスク国務長官会談でも、「民はだまして、穏やかにやりなさい」の如き主旨が語られており、政府の公式見解をそのまま鵜呑みにできないからである。しかも嘉手納、那覇辺野古核弾薬庫の使用可能な状態での維持から見て、沖縄の核は大きく減っていない公算が高い

そして今、ウクライナ戦争を契機として日本では防衛強化が求められ、長年言い続けられてきた専守防衛を超えた攻撃能力のあるミサイル装備が、国民議論もなく、最初に政府決定で推し進められようとしている。

しかもそのミサイル装備は与那国島石垣島宮古島奄美大島などの西南諸島であることが、メディアの取材などでわかってきている。もしより多くの国民の命を優先するなら、本州日本海側の島々が候補に上る筈であるが、全くその徴候もない。

 もし沖縄に今も1000発近くの核が現存するならば、西南諸島へのミサイル装備は沖縄の核基地を守るためのものであり、アメリカからの要請で最初に議論なき政府決定も理解できよう。

しかしそれで日本の安全が守られるかといえば、むしろ逆であろう。日本の攻撃可能なミサイル装備には限界があり、現在の中国の勢いからしてそれを上回る攻撃ミサイルを配備することは容易であるからだ。

 日本に1000発もの核が現存するならば、それは日本が消える危機であると同時に、世界が消える危機でもある。しかし事実が明かされた後の危機は、隠されたままの危機より大きな前進であることも確かである。

なぜなら人類絶滅を超える核の存在は、沖縄、そして日本全体にとっても比類なき禍の到来であるが、もはや世界は言葉だけの「核なき世界」で有耶無耶にできず、人類絶滅回避ために分断を超えて真剣に向き合うからである。

 それこそが『永久革命としての民主主義第二部(日本の処方箋)』で書いた、沖縄から始める「核なき世界」である。

 

縁故主義緑の党への攻撃

 

 ドイツでは、上のZDFheute5月10日の報道で見るように、数週間前から緑の党ハーベック経済相の攻撃が激しくなって来ている。問われているのはハーベック経済相がグライフェン経済相次官を最も適任であるとして選び、グライフェン次官はエネルギー庁(DENA)長官を本来は委員会で選ぶべきにもかかわらず、最も適任者としてシェファー長官を経済相執行部で選んだことが問われているのである。

 グライフェン次官にしても、シェファー長官にしてもその分野で実績を挙げてきた緑の党関係者であり、緑の党縁故主義批判はドイツが全ての原発を廃止した頃からスキャンダルとして、右系メディアによって書き立てられたのであった。それによれば、ベアボック外相の元グリンピース代表のジェファニー・モーガンの採用を筆頭に、政治分野だけでなく、教育分野や文化分野に緑の党縁故採用が拡がっているというものである。

このようなネガティブキャンペーンは、2021年の選挙でベアボック首相候補世論調査でトップに立った際も行われており、その背景には現在の化石燃料によって構築された産業社会がエネルギー転換を推進する緑の党排斥に動いているように思える。

 今回のハーベック経済相の攻撃は、2030年までに80%以上の再生可能エネルギーへの転換を目標に掲げ、再生可能エネルギー法を自治体や市民エネルギー協同組合が有利に全面的に改正し、建築エネルギー法においても新設では暖房に再生可能利用を義務づけるなど、余りに強力に推し進めたことに起因していると言われている。また暖房費や石油価格が高騰するなかで、最後に残っていた原発を廃止したこと、そして不足分は実質的に石炭に依存していることに、多くの国民に不満が残ったことも確かであり、そこを突いた攻撃でもある。

 ハーベック経済相は10日の合同委員会では、エネルギー長官を執行委員会で決めなかったことを過ちと謝罪したが、グライフェン次官の辞任に対しては実績と有能さから拒否した。しかしその後、野党の辞任要求が強まり、グライフェン次官は辞任に追い込まれている。

 確かに今回のエネルギー庁長官の選任では、ハーベック経済相も認めるように過ちがあったことは確かである。しかし緑の党への縁故主義批判に関しては、緑の党がガラス張りに開いているから、緑の党の要職への採用が一目瞭然にわかるのであり、自制は必要としてもバッシングされるものではない。

 緑の党は新しい時代を築く目標を掲げ、責任を持って緑の党関係者を政府要職に拡げて行くのであり、ルールに違反しない限りごく自然に思われる。

 いずれにしても現在は時代のタンニングポイントであり、時代を変えようとする人たちへの攻撃は続くとしても、気候変動激化、世界の核戦争危機のなかでは、時代を切り拓いて行くしかないだろう。

 

新刊『永久革命としての民主主義第二部:

退化し続ける日本の民主主義と処方箋』紹介

 

 この本はアマゾン電子書籍キンドル無料で読めるだけでなく、私の制作した数十の動画が見れますので、日本の民主主義を取り戻すためにも多くの人に読んでもらいたいと思っています。

 

 

1,アマゾン電子書籍『永久革命としての民主主義 第二部・退化し続ける日本の民主主義と処方箋』を検索して下さい。
2,Kindle版¥0をクリックすればキンドル会員の登録ができ、指示に従えば即座に読めます(但し1ケ月以内にキンドル会員のキャンセルをしないと有料になります。キャンセルは簡単に自由にできます)。以下に目次を載せておきます。

目次

『退化し続ける日本の民主主義と処方箋』 

はじめに

第一章 日本はなぜ、借金大国となったか   負債肥大にもかかわらず救済されない貧困化  日本はなぜ、借金大国になってしまっのか?  日本が開始した量的金融緩和 なぜ消費税を値上するのか?

第二章 官僚支配が造る利権構造  利権構造肥大が造り出す大本営

戦後官僚支配継続の切札「政令

第三章 日本を滅ぼす原子力政策  カタストロフィでも止められない原発輸出  なぜ原発輸出を断念しないのか?  核燃料サイクルの止められない理由

第四章 なぜ戦後民主主義が退化し続けるのか?  日本憲法は機能していないのか?  『日本人と憲法』  義男さんと憲法誕生

第五章 官僚支配の処方箋  国民開示の「事業仕分け」が世に問うたもの

官僚支配への処方箋

第六章 憲法を機能させる処方箋  なぜ日本の憲法は機能しないのか

裁かれなくてはならない密約や協議  国民開示の司法仕分け会議

第七章 日本の進化する民主主義と恒久平和

希望ある日本の未来  沖縄から始まる世界の恒久平和

あとがき 著者紹介

(471)「ともに、生きる」・団藤重光最高裁事件ノートが語るもの・絶望的な地球温暖化から垣間見える希望

「ともに、生きる」

 

  現在の社会、そして世界は化石燃料による産業社会が行き詰まり、格差増大だけでなく気候変動の激化が顕著となり、二つに分断された世界は核戦争さえ現実味を帯びている。

そうしたなかでは、富める者も貧する者も、健常者も障害者も「ともに、生きる」ことなしには、人類は滅びるという切なる思いで、『退化し続ける日本の民主主義と処方箋』(「永久革命としての民主主義」第二部)を書いた。

既に輸出国日本の勢いは過ぎ去り、膨大な貿易黒字も膨大な赤字に転じ、コロナ禍で「この国には生産能力のないものを、支える余裕がない」という声さえ聞こえてくる。その声は、7年前の津久井やまゆり園障害者殺傷事件で植松聖が唱えた際は異質なものに聞こえたが、7年を経た現在は寧ろ多数派の抱く声にさえなっている。

現に私が見た動画49『ともに、生きる』を投稿して、14万人を超える人々が見てコメントを書いているが、植松の主張「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」に賛同する人たちが多いのも世相を写し出している。もっともそうしたなかでも、「ともに、生きる」ことに共感し希求する人たちは、しっかりそれを書いており、私自身にも力を与えてくれている。

「この国には生産能力のないものを、支える余裕がない」という主張は、ナチスドイツがホロコーストのリハーサルとしての病院での障害者処分に際して高まらせた声であり、それは国民に国家奉仕を強いるものであり、究極的に国民を戦争に連れていくものであった。

しかしドイツは、そのような主張が人類への大罪ホロコーストへと導いたことを深く反省し、戦後は国家が国民奉仕に努める憲法基本法)を誕生させ、「絶えず進化する民主主義(永久革命としての民主主義)」と内外から称される、国民奉仕の民主主義を築いている。

まさにその原動力は、「ともに、生きる(ゾリダリテートSolidarität)」であった。

『退化し続ける日本の民主主義と処方箋』(「永久革命としての民主主義」第二部)では、「ともに、生きる」ことを力として、希望ある未来が開かれることを願い日本の処方箋を書いている。

この本のキンドル版は無料で読めるだけでなく、私が作成した数十本の動画(日本語字幕を付けたドイツ公共放送番組や必見のNHK番組)にリンクする映像本であり、1ケ月の無料キンドル会員に登録すれば無料で見ることができるので是非試して欲しい(1ケ月以内にキャンセルすれば無料)。

 団藤重光最高裁事件ノートが語るもの

 

  2023年4月15日放送のETV特集『誰のための司法か~団藤重光最高裁事件ノート』は、まさに日本の戦後司法の実態を明らかにしていた。

(私の見た動画71『誰のための司法か』は、1時間の公共番組を撮影し、私の心に響くシーンで20分程に編集している)

1969年から始まった航空機騒音に苦しむ住民の「大阪国際空港公害訴訟」は日本で最初の公害訴訟であり、1975年高裁で住民の訴えを認め夜間飛行差し止めを命じた。しかし最高裁は、異例の二回もの判決見直し延期を経て、1981年住民の訴えを退ける判決を下した。

番組の40年を経て団藤ノートが明らかにする事実は、最高裁小法廷が当初騒音公害の酷さから人格権で「飛行差し止め容認」の結論を固めていたこと、1978年9月判決直前で突然大法廷審議に変更延期された内部事情、さらには大法廷審議で裁判官の意見が容認と却下で同数となると、国は退職裁判官を待って新たな裁判官を決めて、最初の公害裁判を国側勝訴に導いた事実である。

団藤重光裁判官は、判決40年後に公開されたこのノートで、国が公害住民訴訟を退けるように介入したことを、怒りを持って証言している。

ドイツでは連邦憲法裁判所の協議室がガラス張りに公開され、審議での異なる意見の論争を見ること自体が国民の民主主義学ぶものだと称されている事実に比べ、この国では守秘義務をたてに審議内容公開が禁じられていること自体、それは戦前の民を政から遠ざけるものであり、権威的専制国家に属するものとさえ言えるだろう。

しかも国側の運輸省航空局の官僚の論理は番組で見るように、国が決めた国策であるから従わなくてはならないというものであり、まさに国民に国家奉仕を求めるものである。

それゆえ日本の司法は、政府及び行政機関の行為を統治行為論などとして、欧米民主主義国家では考えられない論理で、時の政府の行為を全面的に容認しているとも言えよう。

そのように司法が機能しない国は、戦前の無謬神話の国と言っても過言ではなく、今この国が何処に向かって行こうとしているか、国民を何処へ連れて行こうとしているか、国民一人一人が自ら考えなくてはならないだろう。

 

絶望的な地球温暖化から垣間見える希望

 

 5月に入りベルリンで今年12月ドバイで開催される世界気候会議の準備会議が開かれたが、年間の温室効果ガス排出量の増加はパリ協定実行にもかかわらず、絶えずレコードを更新して増大させている。

世界はリオの会議、さらには京都議定書で、排出量を暫時削減することを誓ったにもかかわらず、2020年には1990年比で160%に増大させている現実からは、2030年には200%を超えることさえ現実化していると言えるだろう。

現実を見れば、ドイツなどの僅かの国を除いて、世界の産業社会は脱炭素社会を免罪符として、絶えず成長を追求しており、臨界点を越える気候変動激化阻止は絶望的である。

そうした思いが既に準備会議で支配的で、最早約束目標さえ決められず、ベアボックの唱えるアフリカの再生可能エネルギー計画の成功をただ祈るばかりである。

もっとも日本では、化石燃料エネルギーから再生可能エネルギーの転換も2012年以降の再生可能エネルギー開発のバブルで、現在も後遺症を引きずっていることから、再生可能エネルギーへのエネルギー転換は福音となっていない。

これに対してドイツでは、再生可能エネルギー普及は市民がチェルノブイリ原発事故を経て脱原発、脱炭素を追求してきたことから、エネルギー転換は脱原発、脱石炭、脱臨界点の福音である。

実際90年代に始まった太陽光発電の固定買取り制度のアーヘン方式は、市民が議会で「市民の太陽光パネル設置にかかる費用を、それを賄う価格で買い取る」という決議からであり、補助金拒否の市民のための市民自らの哲学からであった。

そのようなアーヘン方式は2000年から開始された再生可能エネルギー法(EEG)でも生かされ、2011年の脱原発宣言の頃にはドイツの消費電力の再生可能エネルギーの割合は20%を遥かに超え、その大部分は市民、市民エネルギー協同組合、自治体によって担われて来た(それまでは巨大電力企業は実質的に殆ど寄与して来なかった)。

そこでは地域でのエネルギー自立が目標とされ、地域銀行の融資、地域での電力製造、地域での電力消費という好循環を導き、地域が潤って来たからこそエネルギー転換が推し進められたのであった。

2014年の巨大電力企業によって画策された再生可能エネルギー法改悪で、市民のエネルギー転換は窮地に陥っていたが、再生可能エネルギー自体が分散型技術で地域での発電が圧倒的に有利であることから、ドイツのエネルギー転換にブレーキがかかっていた。

しかしウクライナ戦争でドイツはエネルギー危機に見舞われ、2023年には2014年の改悪をすべて撤廃し、2030年までにドイツは消費電力の少なくとも80%以上を再生可能エネルギーで賄うことを世界に明言している。

そうした背景を基にしてアフリカの再生可能エネルギー計画を提唱しているのであり、これから予想されるアフリカの温室効果ガス排出量増大は再生可能エネルギー計画で抑えることができれば、脱臨界点克服も可能であると述べている。

アフリカでの地域での再生可能エネルギーによるエネルギー自立が実現すれば、脱気候変動だけでなく、地域での自給を目指すことから脱貧困も見えて来るからである。

(470)『永久革命としての民主主義第二部(日本の処方箋)』を書き上げました

『永久革命としての民主主義第二部・         退化し続ける日本の民主主義と処方箋』

 

ブログを長く休んでいましたが、ようやく書き上げることが出来ましたので本の「はじめ」と目次を載せておきます。この本はアマゾン電子書籍キンドルで無料でも読めますので、日本の民主主義を取り戻すためにも多くの人に読んでもらいたいと思っています。

 

 

「はじめに」

永久革命としての民主主義』はドイツの絶えず進化する民主主義を描くことで、読者自身に絶えず退化し続けている日本の民主主義を考えてもらいたいと云う思いから書き始めた。しかし現在の専制的ともいうべき日本の社会では、もはや本質的な思いが一つ一つ検証していくことなしには伝わらないことも確かである。それゆえ第二部では、「退化し続ける日本の民主主義と処方箋」を書くことにした。

現在の日本は、コロナ禍やウクライナ戦争によるインフレ禍など次々と生じてくる禍に対して困窮者などの弱者が見捨てられていると言っても過言ではない。

これに対しドイツでは、市民に幅広く生活支援、子育て支援、住宅支援、交通費支援、暖房費支援、インフレ支援と満遍なく対処がなされ、困窮者には調査なしで即座に手厚い支援が与えられている。またウクライナからの膨大な数の避難民に対しても、ドイツ人生活給付者と同等の支援が与えられている。

しかもドイツはロシアの無法なウクライナ侵攻が始まるや否や、これまでドイツに莫大な冨をもたらしていたロシアからの天然ガス輸送パイプラインを自ら断ってブログ参照・注1)、エネルギー危機に見舞われた。それにもかかわらず、今年二〇二三年四月には残されていた三基の最後の原発を停止し、二〇三〇年までに再生可能エネルギーを少なくとも消費電力の八〇%以上にすることを明言している。

どうしてそのようなことが出来るかは、第一部を読んでもらえば理解できるだろうが、戦後(国民を国家に奉仕させる)官僚支配から(国家が国民に奉仕する)官僚奉仕に変化させ、降りかかる禍を力として絶えず進化する民主主義を築いてきたからである。

日本では戦後の民主主義の下眠っていた官僚支配が朝鮮戦争で再び呼び起こされ、固く禁じた国債発行時限立法で一九六五年に復活させ、それを契機に官僚支配の利権構造が肥大し始めた。そして現在では処方箋がないまでに肥大し、現在の危機を招いている。

国の勢いの衰退は嘗ての英国のように著しく、膨大な貿易黒字も膨大な貿易赤字に転落し、「この国には生産能力のないものを、支える余裕はない」という声さえ、暗黙裏に聞こえてきている。

 その声は、まさに七年前の二〇一六年七月二六日に起きた津久井やまゆり園障害者殺傷事件の植松聖被告が述べた「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」であり、周囲からの入れ知恵からか、植松の手記では「生産能力のないものには、支える余裕はこの国にはない」と書かれている私の見た動画49『ともに、生きる』参照・注2

 私のように戦後の一人一人を生かす民主化教育で始まり、小学校を出る頃には一転して競争教育を課せられたものには、競争教育が若者をここまで洗脳させていることに驚きと、大きな懸念を感じないではいられなかった私の見た動画57『戦後の日本の教育前編』『後編』参照・注3)。

 ドイツでも戦前の国家奉仕のナチズムが、ホロコーストのリハーサルとして同じ考えで、障害者を病院で処分していた(私の見た動画39『障害者虐殺70年目の真実 何故起きたか21』『22』参照・注4)。

 しかしドイツは戦後それらの大罪を深く反省し、基本法国家への奉仕から国民への奉仕に転じ、万人の幸せを追求し、絶えずゾリダリテート(連帯)を求めている。それは大きな意味で「ともに、生きる」ことであり、ドイツの原動力ともなっている。

 日本においても「ともに、生きる」ことで、降りかかる禍を力として、絶えず進化する民主主義を創り出し、希望ある未来切り拓かれることを願い、第二部を執筆した。

(470)『永久革命としての民主主義第二部(日本の処方箋)』を書き上げました

『永久革命としての民主主義第二部・         退化し続ける日本の民主主義と処方箋』

 

ブログを長く休んでいましたが、ようやく書き上げることが出来ましたので本の「はじめ」と目次を載せておきます。この本はアマゾン電子書籍キンドルで無料でも読めますので、日本の民主主義を取り戻すためにも多くの人に読んでもらいたいと思っています。

 

 

「はじめに」

永久革命としての民主主義』はドイツの絶えず進化する民主主義を描くことで、読者自身に絶えず退化し続けている日本の民主主義を考えてもらいたいと云う思いから書き始めた。しかし現在の専制的ともいうべき日本の社会では、もはや本質的な思いが一つ一つ検証していくことなしには伝わらないことも確かである。それゆえ第二部では、「退化し続ける日本の民主主義と処方箋」を書くことにした。

現在の日本は、コロナ禍やウクライナ戦争によるインフレ禍など次々と生じてくる禍に対して困窮者などの弱者が見捨てられていると言っても過言ではない。

これに対しドイツでは、市民に幅広く生活支援、子育て支援、住宅支援、交通費支援、暖房費支援、インフレ支援と満遍なく対処がなされ、困窮者には調査なしで即座に手厚い支援が与えられている。またウクライナからの膨大な数の避難民に対しても、ドイツ人生活給付者と同等の支援が与えられている。

しかもドイツはロシアの無法なウクライナ侵攻が始まるや否や、これまでドイツに莫大な冨をもたらしていたロシアからの天然ガス輸送パイプラインを自ら断ってブログ参照・注1)、エネルギー危機に見舞われた。それにもかかわらず、今年二〇二三年四月には残されていた三基の最後の原発を停止し、二〇三〇年までに再生可能エネルギーを少なくとも消費電力の八〇%以上にすることを明言している。

どうしてそのようなことが出来るかは、第一部を読んでもらえば理解できるだろうが、戦後(国民を国家に奉仕させる)官僚支配から(国家が国民に奉仕する)官僚奉仕に変化させ、降りかかる禍を力として絶えず進化する民主主義を築いてきたからである。

日本では戦後の民主主義の下眠っていた官僚支配が朝鮮戦争で再び呼び起こされ、固く禁じた国債発行時限立法で一九六五年に復活させ、それを契機に官僚支配の利権構造が肥大し始めた。そして現在では処方箋がないまでに肥大し、現在の危機を招いている。

国の勢いの衰退は嘗ての英国のように著しく、膨大な貿易黒字も膨大な貿易赤字に転落し、「この国には生産能力のないものを、支える余裕はない」という声さえ、暗黙裏に聞こえてきている。

 その声は、まさに七年前の二〇一六年七月二六日に起きた津久井やまゆり園障害者殺傷事件の植松聖被告が述べた「意思疎通のできない人間は生きる価値がない」であり、周囲からの入れ知恵からか、植松の手記では「生産能力のないものには、支える余裕はこの国にはない」と書かれている私の見た動画49『ともに、生きる』参照・注2

 私のように戦後の一人一人を生かす民主化教育で始まり、小学校を出る頃には一転して競争教育を課せられたものには、競争教育が若者をここまで洗脳させていることに驚きと、大きな懸念を感じないではいられなかった私の見た動画57『戦後の日本の教育前編』『後編』参照・注3)。

 ドイツでも戦前の国家奉仕のナチズムが、ホロコーストのリハーサルとして同じ考えで、障害者を病院で処分していた(私の見た動画39『障害者虐殺70年目の真実 何故起きたか21』『22』参照・注4)。

 しかしドイツは戦後それらの大罪を深く反省し、基本法国家への奉仕から国民への奉仕に転じ、万人の幸せを追求し、絶えずゾリダリテート(連帯)を求めている。それは大きな意味で「ともに、生きる」ことであり、ドイツの原動力ともなっている。

 日本においても「ともに、生きる」ことで、降りかかる禍を力として、絶えず進化する民主主義を創り出し、希望ある未来切り拓かれることを願い、第二部を執筆した。

(469)フェイクニュースが溢れる世界・経済の民主化を求めて(3)禍を力にするドイツから学ぶもの

フェイクニュースとは何か

 

 今回も上のドイツ第一公共放送ARDの制作放映された動画で見るように、「フェイクニュースは大抵非常に意図的につくられ、文面や写真が拡がって行き、意見を操作したり、真相をそらしたり、或は人気を煽る」と述べている。

しかもフェイクニュースは、「衝撃を与え、憤慨させることで、情報が拡散されて行く」と述べており、ソーシャルメディアを通して真実の検証なしに拡散されて行く。

しかもそのような拡散は、人が関与するだけでなく、コンピュータープログラムであるソーシャルボットが「決まったテーマに対して、自動的に、独自の投稿や回答をつくり出している」と指摘している。

実際そのようなソーシャルボットが作り出すフェイクニュースは、2016年の米国大統領選挙以来急増肥大している。

2016年の米国大統領選挙では、「ローマ法王がトランプ氏を支持、世界に衝撃」から「不法移民が何百万もの票を投じた」までフェイクニュースツイッターを飛び交っていたことが報じられている。

そのようなフェイクニュースは既に詳しく調査され、ソーシャルボットが最初作り出し、次にツイッターを受けた大勢の人々が知人に次々とリツイートする構図が見えて来ている。

 

フェイクニュースの影響

 

 上のARD制作の動画ではフェイクニュースの影響を、青少年の民主主義教育という観点からコロナ感染に絞り寧ろ抑えて伝えているが、最も大きい影響は政治であり、2021年1月6日のトランプ支持者の国会議事堂襲撃事件は衝撃的であった。

ZDFの報道するニュースでは、トランプは演説で、「私たちの選挙勝利が過激派左翼によって奪われる。私たちはそれが行使されることを望まない。我々は決してあきらめない。ペンシルベニア通りを行進して行こう」と明言しており、フェイクニュースで国会議事堂襲撃を扇動したと言っても過言でない。

しかもトランプが米国大統領として登場して以来、民主主義の理想を掲げるメディアが伝える事実に基づく批判ニュースを、トランプだけでなく東欧の専制的権威者たちが「フェイクニュース」と指摘して、無視することが日常的になっている。

それにもかかわらず、半数近くのアメリカ人がトランプを支持していたこと、そして東欧諸国では専制的権威者たちが圧倒的多数で支持されいることに、現在の民主主義の危機があり、世界の危機がある。

そのように民主主義が危機にあるからこそ、ドイツでは公共放送が青少年の民主主義教育の一環として、民主主義を守り尊重するため、ホロコーストや人種差別からブログで載せたポピュリズム、ロビー活動、フェイクニュースまで何十本の番組を制作放映し、多くの学校で議論教材としても使用されている。

 

 禍を力とするドイツから学ぶもの

  上で述べたようにドイツは絶えず民主主義を進化させ、最もドイツが被害を被った2008年の世界金融危機では、その禍を未来への力として新自由主義克服へと乗り出し、私が見る限り、産業、経済分野を除き、少なくとも国家の4つの権力と言われる立法、行政、司法、メディアの民主化が進み、第5の権力と言われるロビー活動も切り拓かれようとしている。

そうした折に昨年ウクライナ戦争がロシアの無法な侵攻で始まり、ドイツはすぐさまロシアへの天然ガス依存、クリミア半島不法占拠後も天然ガス開発を推し進めたことを反省し、2024年までにロシア依存を無くすことを表明した(これに対してロシアは憤慨し、様々なルートを通して変えようとしたが、政府方針が変わらないとわかるやいなや、ロシア側から天然ガス輸送を昨年夏には停止している)。

ドイツ政府のロシア天然ガス及び石油依存廃止に対しては、天然ガス開発を実質的に行ったドイツの世界最大の化学企業BASFの代表が、「私たちは、みすみす経済全体を破壊したいのでしょうか? 私たちが何十年にもわたって築き上げてきたものは、何でしょうか?」と国民に訴え、ドイツの産業経済界が、安いエネルギーの国益が失われるだけでなく、大混乱に陥ると激しく反対した。

それにもかかわらず政府は方針を変えず、メディア、そして世論が支持して反対を押し切り、ロシアへの天然ガス、石油依存なしに、混乱もなく2023年の春を迎えている。

確かに昨年からの冬は記録的暖冬であったことから切り抜けられたという意見もあるが、既にドイツには驚く速さで液化天然ガス備蓄基地が築かれ、ロシア以外から備蓄されていたことから、たとえ例年並みの冬であったとしても用意周到であったと言えよう。

そして学ぶべきは、禍をエネルギー転換、気候正義への力として希望ある

社会を創り出そうとする活力にある。

それは、2023年1月1日から施行された下の新しい再生可能エネルギー法(EEG)を見れば一目瞭然であり、改革というより革命的と言えるだろう。

https://dserver.bundestag.de/btd/20/016/2001630.pdf

その革命的要旨は、2030年までに少なくともドイツの総電力消費量80%以上を再生可能エネルギーに転換するために、市民及び自治体が積極的に取組めるよう大企業優先から市民優先への大転換への仕組が作られたことにある。

そこでは、市民の造る電力買取価格を引き上げるだけでなく、2017年から始まった大企業有利の入札制度を廃止し、再び市民企業(市民エネルギー協同組合)の活発化を促している。さらに自治体がエネルギー自給に取組めるよう財政的にも便宜を図っている。

それは、ドイツの再生可能エネルギーが市民企業によって造り出されたことから、2014年再生可能エネルギー法改正は市民企業を締め出し、4大電力企業にバトンタッチする仕組にしたことからすれば、まさに革命的である。

これまで市民に押し付けられていたEEG負担金が一切なくなり(企業は競争力低下を理由に殆ど負担金が免除されていた)、買取価格の不足分は政府が特別基金を設け支払いを決めたことにも、大きな目標達成の決意が感じられる。

しかも開始されたEEG法案では、公共の利益(öffentlichen Interesse ) と公共の安全性(öffentlichen Sicherheit)を掲げており、市民企業促進の項目には、官僚的仕組を取り払ったことを強調するため、敢えて非官僚的(unbürokratischer)に実現すると明記している。

このような革命的EEG法案が導く2030年の未来は、単にドイツの総電力消費量の80%以上が再生可能エネルギーで賄われるだけでなく、地域の市民や自治体による地域でのエネルギー自給を約束するものであり、将来の激化する気候変動、食料危機にも対処できる希望ある社会である。

具体的には地域分散型技術による経済の民主化を伴う、地域に生きる人々の暮らしを最優先する、希望ある絶えず進化する民主主義社会が見えてくる。

まさにそれこそが、禍を力とする「永久革命としての民主主義」ドイツであり、日本、そして世界が学ばなくてはならないものである。

 

 ブログ休刊のお知らせ

  永久革命としての民主主義」二部作成のため、4月中旬もしくは5月連休明けまでブログを休みます。

二部では、ドイツとは対照的に「絶えず退化する日本の民主主義」から書き始めており、少なくとも初夏までには期待にそえるものを出したいと思っています。

 

新刊のお知らせ

 『永久革命としての民主主義』

 

(468)第5の権力ロビー活動はコントロールできるか・経済の民主化を求めて(2)

ロビー活動とは何か

 

 今回もARDの民主主義教育の一環として制作され、2023年2月8日にバイエルン放送を通して全国に放映されたレスペクトシリーズの「ロビー活動」を考えて見たい。

まずこの番組ではタバコ産業がタバコが健康に有害であるにもかかわらず、ロビー活動を通して規制を何十年に渡って先送りしてきた事実を取上げ、ロビー活動が民主主義にとって良いものか、悪いものなのか問いかけている。

ロビー活動の起りは、19世紀の英国で利益団体代表が英国議会玄関ロビーで要望を伝えるために、政治家を待ち受けていたことから始まっていると説明している。

そして問題として、ロビー活動に公開性が認められないなら、どのようなコントロールも効かなくなることを指摘している。それゆえ議会、政府、司法、メディアに次いで国家の第5の権力であり、ロビー活動が公共性を失うならば、ロビイストに政治家を不法に影響し、贈賄政治の黒幕を見ると述べている。

 

 ドイツ社会では少なくとも1990年のドイツ統合まで、ロビー活動が話題になることは殆どなく、昼食の接待さえ厳しく禁止されていた。そのように戦後のドイツが利権政治に厳しい対処をしていたのは、ナチズム独裁国家の下では利権政治が蔓延し、ホロコースの強制収容所さえシーメンスやベンツなどが強制労働に利用していた反省からだった。

そのようなドイツも、ドイツ統合で東ドイツの莫大な資産を求めてアメリカ資本がなだれ込んだ時から一変した。すなわちコンサルタント企業マッキンゼーや法律事務所ホワイト・アンド・ケースなどの多くの弁護士を抱えた専門企業がなだれ打って入り込み、信託公社の役人や政治家を巧妙に買収し、旧東ドイツの資産をただ同然に加えて、当時4万社の企業には雇用を条件に2560憶ユーロの助成金さえ、合法的に強奪して行った。

まさにそれは、ドイツへの新自由主義の襲来であり、ドイツ統合の生みの親コール首相さえ汚職に巻き込まれて行き、刑法108e条項を改正でロービ活動での便宜を合法化するだけでなく(議決に関与する便宜だけが有罪)、国益最優先を名目にロビイスト連邦議会への出入りがフリーパスとなって行った。しかもその過程で、ロビー活動は民主主義政治に必要であるさえ言われるようになって行った。

 しかし2008年の金融危機以降第4の権力といわれるメディアから新自由主義への批判が湧き出してくると、2009年の書店には上のようなドイツ統合以降のロビー活動の実態を暴露するブラック本が並び、ロビー活動への批判が激しくなった。

しかし一旦築かれた政治と産業のロビー活動を通した利権関係は、政治家と企業の汚職が絶えず摘発され、激しい批判を浴びたにも関わらず、2021年まで容認されてきた。

 それはキリスト教民主同盟CDU(CSUを含)の長期メルケル政権が続いたことにも因っている。しかし2021年数人のCDU連邦議員がコロナマスクで便宜を図ったことが報道され、激しい批判を浴びたことから、以前から求められていたロビー活動の透明性を確保するロビー活動透明性登録簿法案を容認するしかなく、連邦議会で2021年3月25日に決議された。

しかし透明性を確保する上で詰めの作業が難航しており、実施が延ばされている。

 

透明性登録簿で公正さは確保できるのか?

 

 信号機連立政権では、ロビー活動の透明性を確保するため早急の登録簿実施を約束したが、2023年現在に至っても実施されておらず、ARDのレポーターは長年ロビー活動の透明性を追求してきた非営利団体ロビーコントロール代表のチム・ランゲに現状を聞いている。

チム代表の回答では、詰めの作業が難航し実施が難航しているが、幾つかの突破口が為されており、立法及び行政でのロビー活動の足跡が具体的記載される登録簿作成に向かっており、近く実施されるロビー活動登録簿では「透明性は高まるでしょう」と明言している。

しかし企業の利益を追求するロビー活動が、公共や弱者への配慮という本質的な問題に対しては提示に留めていた。それは、現状がロビーコントロール求める公正さ確保から遠いからであろう。

もっとも企業のロビー活動を透明化することは経済民主化の第一歩であり、それなくして現在の覇権主義体制の拡がりや気候変動激化は、競争原理を最優先する経済では止められないからである。

何故ならギリシャ金融危機で浮かび上がった事実は、このブログ(68)で述べているように、ギリシャ市民が求める不当債務の原因がドイツ企業であったからだ。

具体的には第一位は賄賂によるオリンピック融資で莫大な利益を得たシーメンスであり、第二位はギリシャNATOの軍備を仕組んだドイツ武器産業であり、第三位は恐ろしく高い利子で巨額の利益を得ていたドイツの銀行であった。

それらの企業戦略は、最初に述べたドイツ統合での合法的アメリカ侵略企業から学んだものであった。

例えばシーメンスの他国への経済戦略は、日本語資料さえ公表されているように、各国でコンサルタントを通して役人に多額の賄賂を支払い、コンサルタント費用や弁護士費用として計上するといった巧妙なやり口であった。そのようなやり口で莫大な利益を上げていたことは、米国司法相の刑事訴追で明るみに出て、世界に知れ渡った。

しかもそのようなドイツ企業の巧妙のやり口は、東欧諸国のEU加盟では本領を発揮し、民営化を推し進め、民営化した企業を企業買収によって支配下に置いたことも事実である。

そのようなドイツの規制なき自由な経済侵略は、格差が拡大するなかで東欧市民が市民の2流化と言って非難するのも忘れてはならないだろう。

それは現在の東欧諸国の権威主義政権誕生の起因であり、現在のウクライナ戦争の起因と言っても過言ではない。

しかし競争原理を最優先するグローバル資本主義経済は、世界が二分極するなかで、或は気候変動が激化するなかで、さらには感染症が頻発して世界に拡がるなかで、最早存続できないまでに追い込まれており、経済の民主化が不可欠と言えるだろう。

 

新刊のお知らせ『永久革命としての民主主義・ドイツから学ぶ戦う民主主義』