(110)ドイツの今を考える。(5)社会民主党SPDの復権はあるのか 前編

9月28日のSPDハンブルグでの党大会で2013年連邦選挙の首相候補がペア・シュタインブリュックに決まったことで、選挙は一年先にもかかわらずドイツ市民の関心は次期首相に向けられている。
しかしドイツ市民のシュタインブリュックへの期待は、次期政権として赤(SPD)と緑(緑の党)の連立政権復権が上昇気流にあるにもかかわらず冷めており、当日のZDFの政治世論調査(Polit Barometer)では次期首相としてメルケルを53パーセントが望むのに対して、シュタインブリュックは36パーセントである。
しかも社会民主党支持者も3分2ほどの65パーセントしか支持しておらず、キリスト教民主同盟支持者の大部分がメルケルを支持しているのとは対象的である。
この理由はシュタインブリュックが2005年から2009年のメルケル第一次政権の財務大臣として国内外の金融自由化を推し進め、2008年の金融危機の責任者でもあるからだ。
しかもシュレーダー政権を2009年の首相候補であったシュタインマイヤー前党首と両輪として支えた当事者であり、野党下野の反省で僅かながら上昇気流にある基調をかつての悪夢で下降させかねない。
かつての悪夢とは、赤と緑のシュレーダー連立政権で推し進めた過激な新自由主義である。
もっとも1998年に誕生したシュレーダー連立政権は公約どおり、コール政権で着手された新自由主義に抗して、コール政権で成立させた実質的な企業の自由解雇を認める「解雇制限緩和法」を撤廃し、電力企業と脱原発協定に着手し、不足する年金財源を賄うエコロジー税制改革の導入するなど、新自由主義を克服する世界の先駆者になるかのように見えた。
しかしドイツ産業は国際競争の低迷で既に新自由主義に大きく舵を切っており、メディアも左よりと称される「シュピーゲル誌」さえ競争原理の最優先を強調するほど、当時は新自由主義のメディア支配が浸透していた。
そして大企業はシーメンスからルフトハンザまで、雇用や市場自由化で競争原理を優先させない場合は大幅な海外移転計画実施を打ち出し、赤と緑の連立政権を脅かした。
また共同決定権で大企業の監査役会役員を半数出す組合も、若者のメディア洗脳による組合離れに加えて御用組合化が進み、組合の企業コントロールが機能しないだけでなく、産業側の政権コントロールに利用された。
このような中で脱原発協定では、2030年までの脱原発を約束する傍らで、電力料金の規制なしの市場決定や企業買収などの規制撤廃が盛り込まれた。
そのため電力料金は巨大電力企業の市場支配によって恐ろしい勢いで高騰し(1998年におけるドイツの電気料金やガソリン価格は日本に比べ半分以下であったが、巨大電力企業の市場支配で2倍以上に跳ね上がり、生活食料品から家賃までが日本の3分の1ほどと暮らし易い中で、現在のドイツの電気料金やガソリン価格は日本以上である)、巨大電力企業は莫大な利益を獲得した。
巨大電力企業は莫大な利益で民営化された地域のエネルギー公社を買収して益々巨大化すると同時に、市場開放された東欧に雪崩れ込み電力産業を支配した。
またエコロジー税制改革はエネルギー資源の課税に依存していたことから、電力料金やガソリン価格の高騰で継続できなくなり、結局年金支払額の大幅低下と年金支払い開始が67歳まで延長されて行った。
具体的には2002年の連邦選挙で僅差ながらシューレダー連立政権が再選されると、「解雇制限緩和法」を復活させただけでなく、足枷となつていた労働市場社会保障制度を見直し、競争原理を最優先する「アジェンダ2010」を打ち出した。
すなわちそれまで企業が100パーセント支払っていた介護保険を雇用者との折半としただけでなく、手厚い失業保険の給付が労働意欲を削いでいるとして、32ヶ月の給付から12ヶ月の給付へと大幅に短縮した。
そして極めつけは2003年1月から2005年一月までに順次施行されていったハルツ法であり、全国にある雇用局が「ジョブセンター」に改編され、失業の届出を厳しくすると同時に、ジョブセンターで紹介された就労先を専門職でないという理由などで拒否することが難しくなった。
さらに2005年1月に施行されたハルツ第4法によって、それまで失業保険期間を過ぎても専門職が見付からない場合、無制限に前の職場での総収入の57パーセント(保険期間中は子供世帯で67パーセント)が失業扶助されていたが、そのような手厚い扶助がなくなり、「失業扶助」と生活保護にあたる「社会扶助」を「失業給付2」として一本化した。
 しかも「失業給付2」は資産査定によって預金などが当局によって自由に調べられるようになった上に(申請者は屈辱感に耐えなければならず、資産が見つかれば受け取れない)、給付額も激減した(住宅手当などを除き旧西ドイツ州では月345ユーロ、旧東ドイツでは月331ユーロ)。
このような恐怖のハルツ第4法によって、ドイツの市民の暮らしは一気に質が低下しただけでなく、ドイツ市民の8人に1人が相対貧困者に追いやられた。
こうしたシュレーダー連立政権の国民への裏切りによって、社会民主党は2005年の連邦選挙で敗退したが、メルケル政権と大連立を組んで与党として「アジェンダ2010」を推し進めたことから、党内左派からの批判が高まって行った。
そして2006年には左派のラインラント・プファルツ州首相のクルト・ベックが党首となり、政策の建て直しを図り、2007年10月の党大会でこれまでの新自由主義政策を否定するハンブルク綱領を採択した(注1)。
採択されたハンブルク綱領の要約は以下のようになる。
市場支配を許さないだけでなく、多くの適正な規制は重要であり、必要不可欠である。
労働者の共同決定権、賃金自治ストライキ権、適用区域による賃金協定、強い組合は重要であり、必要不可欠である。
財産及び相続財産への公正な課税は重要であり、必要不可欠である(財産税などの復活)。
失業保証は労働保証に見直されるべきであり(ハルツ第4法の見直し)、法的な最低保証賃金は必要不可欠である。
年金は全ての就労業務で支払われるように拡大して行くべきであり、年金額は収入額と継続期間に基づいて従来通り支払わなければならない。
社会民主党は大学などの授業料導入に反対であり、2歳からの養育権利を与える無料の全日教育を実現する。

このようなハンブルグ綱領採択で、民主党は2009年の連邦選挙で首相候補にベックを立て、再び新自由主義克服に挑戦するかに見えた。

(注1)社会民主党にとって戦後3番目のハンブルグ綱領であり、危機感からの採択であった。
http://spdnet.sozi.info/bawue/ostalb/jusostalb/dl/Hamburger_Programm.pdf