(164)ハネケ映画を通して現代を考える(12)セブンス・コンチネント前編・・・観客に考える事を要求し、理想に向かって疾走する映画

アールターグドイツ12・ドイツが創る未来への希望3・・メディアと官僚が創る未来

『セブンス・コンチネント』はハネケが47歳にして制作した最初の映画であり、一家心中した3人家族の新聞記事を読んで、映画化を切望したと言われている。
何故なら家族は外見的に何不自由のない幸せな3人家族でありながら、心中する前に実際に全ての所有物を壊し、さらに所持金を全てトイレで流していたからだ。
この映画のファーストシーンは長い長い洗車シーンから始まり、心中が決行される2年前の1987年の家族の1日の暮らしが、固定フレームで人物の表情を追うことなしに、第1部として淡々と描かれている。
妻のアンナは母を少し前に亡くしているが、気丈夫に前向きに生きようとしており、精神的に落ち込んでいる弟にも気を配っている。
夫のゲオルクも上司との軋轢にもかかわらず、前向きに取り組んでおり、アンナの夫両親への手紙で昇進が仄めかされている。
エヴァは学校で目が見えなくなるふりをするが、両親の愛情表現が足りないことに起因しているように思われ、むしろ愛らしく感じられる。
第2部の1988年の1日でも同じように暮らしが淡々と描かれて行くが、車で悲惨な交通事故現場を目撃した後、洗車中に妻アンナは何かを悟かのように涙を流し、エヴァと手を握り、ゲオルクが涙を拭う。
このシーンが最初の心のかよう感情表現であり、ここから家族は一つになって理想に向かって疾走し始める。
1989年のラストの第三部では、郷里への夫両親への訪問、仕事の辞職、銀行の解約、車の売却など、目標に向けて着々と進行して行く。
その間ゲオルクの両親に宛てた遺書も、「・・・“こうと決めたら最後までやりぬけ”、お父さんの教えです。僕たちも決めました。僕たちは行きます。・・・」と、理想への旅立ちとして紹介されている。
最後の晩餐ではお互いが見つめ合い、第七大陸での本当の幸せが予感される。


そして翌日、家族の衣類から家具に至るまで全ての所有物が、系統的に壊されていく。
すなわち服は一つずつ引きちぎられ、レコードが割られ、ハサミでソファーが切り裂かれ、カーテンが破かれ、タンスがハンマーで打ち砕かれ、テーブルがチェーンソーで細かく切断され、さらにお札も全てトイレに流し捨てられていく。
それは人間を縛り付けているものの秩序ある破壊であり、開放と同時に理想の実現に向けた決行のようにも思える。
しかしゲオルクが水槽を壊し魚が死ぬ時(注1)、娘エヴァは耐えられなくなり叫ぶ。
アンナは娘を抱きしめて制止するのがやっとであり、ゲオルクは「ごめんなさい」と謝る。
それは、破壊がポジティブなものでなくなり、命を奪う暴力であることを悟った時でもある。
しかし家族は引き返すことをせず、娘を薬で安楽死させる。
アンナは娘の冷たくなった硬直した死体を抱き上げた際泣きじゃくり、最早理想実現といった直向きさは全くなく、多量の薬で苦しそうに死んでいく。
またゲオルクも薬を吐き出したりしてなかなか死ねないが、淡々と自らの死を遂行していく。
しかし最後のゲオルクの表情は、「いったい理想遂行は何だったのだろう」と問いかける後悔の表情であり、映像のフラッシュバックも自らの日常にこそ理想郷(第七大陸)があったことを訴えかけていた。
このラストにこそ、反全体主義を掲げながらも、暴力を容認しないハネケの映画制作の原点が感じられる。
またこの映画で特筆すべきは、多用されているショットとショットの数秒間という長い黒画面であり(1秒未満の短い黒画面は場面転換に一般的に利用されているが)、観客に不安を与える効果を含めて、観客に自ら立ち止まって考えることを求めているように思われる。
何故ならハネケが放送業界で仕事をしていた時代は、新自由主義という全体主義がメディアを侵食し始め、『隠された記憶』で描かれていたように討論番組さえ、編集によって意図的に改ざんされることが日常茶飯事になって来たからである。
すなわち全体主義に傾斜していく社会では、教育だけでなくメディアも国民に考えないことを求めることから、黒画面はそれに対する非暴力ハネケのレジスタンスとも言えよう。
またハネケの映画では紛争やテロのニュースを絶えず流すのは、映画テーマの肉付けをすると同時に、観客にそのような現代について考えることを求めているからであろう。

(注1)画面を注視すると、魚を生かす配慮が感じられる。同様に撮影で流されたお金は、実際の事件ではコイン以外は回収出来なかったが、全て回収されている。


アールターグドイツ12・ドイツが創る未来への希望3・・メディアと官僚が創る未来

連邦選挙討論でメルケルはエネルギー転換の困難さを認めながらも、ドイツの未来と世界の未来を創るためにその成功は欠かせないものであり、実現は可能であると明言した。
しかし対立候補のシュタインブリュックのエネルギー転換のマネジメントが破綻しているという主張も、現在上がり続けている電気料金から見ても根拠のないものではない。
こうした現状に対して『大いなるこけおどし・・・原発政策の間違い』を制作してドイツ脱原発の引き金を引いたZDFは、再びエネルギー転換の成功に向けて引き金を引いた。
すなわちZDFが9月18日に放映した『電気料金のトリック・・・誰が支払うべきか』では、現状のエネルギー転換の問題点を抉り出し、どのようにすれば成功に導く事ができるかを明瞭に描いた。
これは、ドイツがエネルギー転換に成功すれば必然的に日本も脱原発に向かうことから、日本にとっても非常に重要と思われので、字幕を付けて3回に分けて転載したい。
下の第1回「メディアと官僚が創る未来」では、エネルギー転換で益々電気料金が値上がりするのは、再生可能エネルギー法(EEG)の賦課金を支払なくてもよい特権企業が年々増大しているからであり、ZDFスタッフが現場でその実態を追求している。
その追求で出てきた驚くべき事実は、特権の必要性が雇用を保障するための国際競争力維持であるにもかかわらず、特権認定の際さらなる恩典として低賃金外国労働者雇用を容認する業務契約であり、ドイツ市民の雇用を実質的に脅かす事実である。
ZDFはそのため企業特権を与える経済輸出管理局(BAFA)の最高責任者アルノルド局長を取材し、その実態を問い正したのに対し、局長は「現在の実態は正しくない」と単純明快に明言し、再生可能エネルギー法に問題があることを指摘している。
そして権威あるエコ研究所の専門家フェリクス・マテスは、実際は国際競争力があるにもかかわらず特権を得ている企業が多く、精査していけば賦課金は半分以下になると主張している。
このようにドイツのメディアと官僚は、健全な未来を創ろうとしている。
これに対して日本では、官僚は戦前同様に無謬神話がまかり通り、全ての責任を国民の審議会の性にしている。
また日本のメデイアも、先日の『原発テロ・・日本の直面する新たなリスク』のように原発では努力が感じられるが、健全な未来を創る視点から見れば余りにも非力である。
(それに較べて毎週放映される「大貫康雄の伝える世界」は、健全な日本の未来を創ろうとする意志が感じられ、価値ある稀少報道であると思う。今週のドイツのエネルギー問題の放映では、日本の天下り記者クラブに精通しているドイツ公使は、大貫さんの予想しない突っ込みに、しばしばたじたじであったように思うが、それでも日本との政策の違いをハッキリ述べられており是非見て欲しい放映である)