(193)地域分散型自給社会が創る理想世界への道10・・『第3次産業革命』(2、植民地政策の終焉)


ジョンレノンの“パワー・ツウ・ザピープル”は、世界に市民民主主義、そして恒久平和を創れるか

リフキンが唱える分散型資本主義とは(注1)

(75ページ引用文)つまり、地球上の特定地域でしか見つからない化石燃料やウランといったエリート的なエネルギーと違って、再生可能エネルギーはどこにでもあるのだ。この認識が、私の仲間たちの考えを根底から変えた。再生可能エネルギーが、割合や頻度に差があるにしても、世界中のどこでも分布しているのなら、わざわざ限られた場所で集中的に集めなくてもよいのではないか?
(76ページ引用文)EU加盟国二七ヵ国には、推定一億九〇〇〇万棟の建物がある。その一つひとつが、再生可能エネルギーをその場で取り込める小型発電所となる可能性をもっている。屋根に降り注ぐ日光、外壁に当たる風、住宅から排出される下水、建物の地下にひそむ地熱などが存在しているのだ。・・・第三次産業革命はすべての既存の建物を、住居と小型発電所というふたつの機能を備える居住施設に変えるのだ。
(114ページ引用文)すべての建物や社会のインフラ全体に水素などの蓄電技術を導入し、電力需要を満たせるように間欠的な再生可能エネルギーを貯蔵して、持続的で信頼できるグリーン電力の供給を確保する。・OK!インターネット通信技術を利用して電力系統をインテリジェント電力ネットワークに転換し、数億人が自分の建物やその付近で生産したグリーン電力をネットワークに送り込み、オープンソースな共有空間で互いに共有する・・・。
(162ページ)二一世紀には、エネルギーの生産と分配に対する支配力の中心は、化石燃料に依存した中央集権的な巨大エネルギー企業から、自宅で再生可能エネルギーを使って発電して余剰電力を情報・エネルギー共有空間で売買する無数の小口発電者へと移行していくだろう。エネルギーの民主化は、私たちがこれから一世紀に人間の生活全体を組織する方法に重大な影響をもたらす。私たちは分散型資本主義の時代に差しかかっているのだ。
(176ページ)第三次産業革命の経済では、多数の人が自分の使うエネルギーを自分で生産することができる。新しいデジタル製造革命によって、耐久消費財も同じように自分で製造できる可能性が広がっている。新しい時代には、だれもが自分のメーカーとなることができる。・・・
(191ページ)世界のビジネス手法の変化に伴って、自らの縮小していく権力の痕跡を死守しようとする第二次革命の旧守派と、世界のために水平型で持続可能な経済の推進に傾ける第三次革命の若手企業家のあいだに、きわめて深刻な軋轢が起きている。・・・
(204ページ)個々の言葉では物語は語れないのと同じで、個々の技術や製品ラインやサービスだけでは、新しい経済の物語を創出することはできない。関心が集まりだすのは、それが互いにどう結びついて新たな経済の対話を生み出すのかが明らかになったときだ。
(277ページ)人間の集団が大陸の生態系全体でグリーンエネルギーを共有し、統合された大陸経済で商業と貿易を行い、・・・、もっと包括的な生物圏政治へとゆるやかに移行していくだろう。

リフキンの説くほとんどの家庭さえも発電所となる2050年の分散型資本主義では、グローバル化からEUのようなコンチネンタル化へ移行し、旧守派の巨大企業と無数の少企業が競い合い、そのような大陸経済を調和的に管理するのがインターグリットを含めてインターネットであり、同じ生物圏を共有する包括的なエネルギー民主主義への道を述べている。

私の考える地域自給分散型資本主義

リフキンの『第3次産業革命』で私が最も批判的に感じるのは、再生可能エネルギーが地域分散型であるにもかかわらず、現在過疎化が急激に進行している地域の変化が全くと言ってよいほど描かれていないことだ。
しかも第6章の「グローバル化からコンチネンタル化へ」では、現在と五十歩百歩のEUのような大陸内連合の自由貿易を説いており、大いに疑問を感ぜずにはいられない。
そのうえドイツでは、既に北ドイツの多くの過疎地域で地域分散型の再生エネルギーによる100パーセント電力地域自給が達成されており、2050年において殆どの過疎地域で再生可能エネルギーが過剰に有余っていると予想されるからだ。
しかも都会においても太陽光エネルギーの普及が進むことから、最早遠距離巨大送電線による電力輸送はコスト的に成り立たない。
それ故、有余る電力は水を電気分解して水素として備蓄されるとしても、タダ同然に安い電力を利用して、あらゆるモノが地域でつくられるようになる(ここで言う地域とは、過疎地域も含めた100万人規模の地域であり、差し詰め日本では県単位の地域である)。
例えば熱帯の果実マンゴやパパイヤでさえ、有余る再生可能エネルギーがタダ同然となれば、地域の温室で生産した方がコスト的にも断然安くなるからである。
また現在の途上国や新興国で生産される大量生産品も、電力の安さだけでなく、益々多品種少量生産が求められ、さらに世界的環境危機の要請から地域でのマテリアルリサイクルが義務付けられることから、地域自給生産は必至である。
すなわち再生可能エネルギー生産インフラが完備される2050年には、現在過疎化で疲弊する地域が自然エネルギーが水や空気のように有余ることから、原則的にすべてのモノが地域自給されよう。
そのような革命的シフトこそが私の考える第3次産業革命であり、関税を失い危機的状況に追い込まれているEU地域社会も関税の再構築なしに蘇える地域分散型自給社会である。
それは、各々の地域分散型が実質的に国家の枠組みを取り払い、一つの地球共同体として結びつく世界でもある。
しかもこの第3次産業革命では、殆ど資源のない貧しい国でも再生可能エネルギー生産インフラが先進国無利息融資で構築されれば、先進国の地域同様に全てのモノを地域自給することも可能である。
それは新重商主義、すなわち現代の植民地政策の終焉を意味し、世界の国々が国外に利益を追及することがなくなれば、世界の恒久平和も決して夢ではない。
まさに最初に掲げたジョンレノンが歌う、“人々に力を”がエネルギー民主主義によって新しい世界を創造する時でもある。

もっともリフキンも、タダ同然の再生可能エネルギーという未来想定がないわけではない。
しかし、寧ろそれを心配しているように見える。
例えば『第3次産業革命』の304ページ10行目では、「長期的にこれよりはるかに懸念されるのは、クリーンな再生可能エネルギーをただに近いほど安価でほぼ無制限に利用できるようにした場合に生じうる、エントロピー潜在的な影響だ(注2)。・・・安価なグリーンエネルギーがほぼ無限に供給されるなら、私たちは地球上の限りある低エントロピーの物質を製品に変換するペースを上げ続け、エントロピーの流れを増大させて物質のカオスを蓄積させる傾向がいっそう強まるかもしれない。・・・」と、まるで恐れるかのように、そのような未来想定を封じている。

(注1)私が主観的に要約するより、『第三次産業革命(田沢恭子訳)』(2012年、インターシフト社発行)より引用した方が客観的で正確であることから、出版側の著作権に配慮しつつ引用させてもらった。

(注2)リフキンが1985年に書いた『エントロピーの法則』(日本版竹内均訳、1990年祥伝社)では、地球温暖化などの文明危機をエントロピーの法則から論じている。この本では太陽エネルギーへの大転換が必至と説きながらも、エネルギー転換に楽天的な『第三次産業革命』とは対照的に悲観的に見ている。
例えば233ページでは、「われわれが入っていこうとしている太陽時代は、現在の工業化時代とは機能の仕方がまるで違っているはずである。これは、中世と現代の機能の仕方が違うのと同じことである。行く手には困難な旅が待ち受けている。エネルギー基盤を再生不可能なものから再生可能なものに移すということは、人類文明全体にとって、とてつもない事業である」と述べ、太陽エネルギーが現在の高度に集中化した産業構造にそぐわないことを強調している。
なほエントロピーとは、無秩序へ移行する物質状態を表す物理量であり、「物質とエネルギーは一つの方向のみに、すなわち使用可能なものから使用不可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた、秩序化されたものから、無秩序化されたものへと変化する」とリフキンは説明し、絶えず増大するエントロピーを適正にコントロールすることを説いている。