(212)ドイツメディアから考える今13・・医療の理想を求めて1(ZDFズーム『患者工場3−1』)

昨年の治安維持法の復活にもなりうる秘密保護法案の強引な成立、そして今回の再び戦争を招きかねない憲法解釈よる集団的自衛権の暴挙、さらには原発再稼働の号令がかけられた今、何故医療なのかと言えば、それらの事象の背景には本質的な要因として世界的な新自由主義の暴走があるからだ。

経済を最優先する新自由主義は究極的に99%の世界の人たちを不幸すると私は確信しているが、未だに多くの人たちが暴走する新自由主義に幸せを期待さえしている。
それこそが現在の暴走を許す元凶であり、経済優先の新自由主義によって私たちの暮らしがいかに病ませれているかを知れば、世界は変わると思う。
それ故私自身も体験したことのある、新自由主義暴走前の90年代のドイツの理想的医療がどのように病み、現在も危機に瀕しているか、そして理想の医療への打開をドイツメディアを通してシリーズで考えて行きたい。

今回上に載せたZDFズームフィルム『患者工場』は、ZDFズームが2013年1月9日の放映で経済優先の現在のドイツ医療を厳しく批判したものである(注1)。
ドイツの医療は原則的に国が関与しておらず、少なくとも2000年までは500ほどの非営利組織の疾病金庫と保険料を支払う住民の社会的自治で築かれ、弱者救済という社会的連帯が成立していた(現在では競争原理追求で200ほどに吸収合併が進み、国も一部助成している)。
しかし新自由主義の進行を通して医療費が増大していくなかで、疾病金庫は医療費を抑制する目的で、2003年に「一件あたりの包括報酬制度」を導入した。
そこでは症例及び治療種類によって一件あたり疾病金庫が医療機関に支払う上限が決められ、医療費抑制だけでなく乱診乱療や薬漬けの歯止めとしての役割さえ期待されていた。
しかしながらこのフィルムで描かれているように、新自由主義が進行するなかで病院は経済利益を優先し、より多く支払われる不必要な手術を選択した。
すなわち病人を親身に治療する90年代までの医療から不必要な手術増大に見られる経済優先の医療へ転換し、ZDFが指摘するように病院は患者工場へと変貌したと言っても過言ではない。

尚ドイツの医療は日本のように好きな医療機関に自由に行けるわけでなく、予めドイツ市民はかかりつけの医師(家庭医)を決めておき、病気の際は緊急の場合を除き先ず家庭医の診察を受け、必要に応じて家庭医が病院を紹介するシステムである。
しかも家庭医の疾病金庫からの支払いを受ける上限が、乱診乱療を避け医療費を抑制するために四半期で40ユーロほどに決められているため、ドイツの家庭医は日本の開業医のように裕福(平均年収2000万円ほど)ではなく、多くの家庭医は日本の3分1にも届かない。
また病院医師も2003年の競争原理導入以来、病院が看護師などの病院従事者を年々少なくし、包括報酬制度で利益が得られる治療を優先する中で過密労働に苦しんでいる(私がドイツに暮らしていた際も、病院医師の時間指定ストライキデモは毎月のように繰り返されていた)。

今年7月2日にZDFズームで放映された『蚊帳の外の患者・・病院医師は限界』では、伝統あるゲッチンゲン大学医学部の卒業式から始まり、聖職であるドイツの卒業生医師たちは、「私の人生を人々の奉仕に捧げます」とヒポクラテスの現代版誓約を誓っていた。
しかしZDFが取材していくと、現在の病院医師たちは週60時間から80時間にも及ぶベルトコンベヤーのような過酷な治療労働に追われ、半数近くが自殺を考えたことがあるという衝撃的事実が浮かび上がってくる。
シュヴァルツヴァルトの小さな都市ホルンベルクには、過酷な労働で自殺未遂やモルヒネ常習の燃え尽き症候群の医師たちを専門に治療する病院があり、毎年数百人の病める医師たちが訪れており、ZDFは患者医師たちを取材している。
すなわち今ドイツの聖職医師たちが経済圧力で限界に達し、病院医師のアンケート調査では71%が健康が損なわれていると答え、毎年約2600人のドイツ医師が経済的に優遇される周辺諸国へ逃げ出している。
このフィルムは私にも衝撃的であり字幕を付けて載せたいと思っているが(まだ原版はユーチューブに載せられていない)、いずれにしても現在の新自由主義の経済優先の医療は、患者も医師も幸せにしない。

(注1)既にZDFでは視聴期限が過ぎており(NHKと違い1年半前までの放送は無料で視聴可能)、フイルムはユーチューブにしかなく、付けられている自動字幕は間違えだらけで、聞くことに慣れていないこともあって大変であった。
何度も聞き取ろうとしたが、最後は直観に頼ったため誤訳もあると思うので、間違いは遠慮なく指摘してもらいたい。