(214)ドイツメディアから考える今15・・医療の理想を求めて3・日本の医療に未来はあるのか?

『患者工場3−3』では、病院が利益追求のため総支出の6割にも及ぶ人権費の節約が求められ、衛生がおろそかにされ、そのために起きた幼児感染という取り返しの出来ない悲劇を追及していく。
またドイツの患者数は年々増加しているが、人権費節約のため病院看護スタッフは減少している。
そのため患者は手術後出来うる限り早く厄介払い、すなわち早期退院が求められている。
それ故、このフィルムのハインリッヒ老人のように非常に心細く感じているのが、ドイツ医療の現況である。
そうした状況に対してZDFフィルムは、現況の利益優先の医療から、患者優先の本来の医療を取り戻さなくてはならないと主張している。
そしてラストは、病院に利益追求をさせる包括報酬制度が続く現況の中で、患者は医師の言葉(手術優先の治療方針)を盲目的に信用するのではなく、もう一つ別の治療選択意見を求めることが、既に患者工場と化した病院を患者の手に取り戻す第一歩だと訴えている。

日本の医療に未来はあるのか?(1.破綻に突き進む国民皆保険制度)
公表された2011年の医療費は2008年の厚生労働白書の予想を遥かに超え、38兆6千億円にも達している(2011年の予想は32兆円)。
最早限界の高さまで値上げした保険料総額は18兆8千億で、公費投入も14兆8千億円に膨らみ年々赤字幅が肥大している。
こうした日本の医療の現況は、どのようにZDFがドイツの医療を厳しく批判しても、医療費が原則的に保険料だけで賄われているドイツの医療とは比較にならない(ドイツは2003年まで全て地区などの疾病金庫の保険料で賄われていたが、競争原理が導入された2004年からは出産分野がたばこ税で補助されるようになった)。
ドイツでは医療費の増大を抑えるために(保険料だけで賄えるように)、既に1993年の医療保険構造法で診療報酬や薬剤費の総額予算制が導入され、慢性疾患は保養地のクワクリニックで楽しみながら無料治療できるほど理想的医療を築いてきた。
もちろん総額医療予算制はドイツ医療産業に大打撃を与え、国内不振に陥ったことは確かである。
しかしドイツ医療産業はそれをバネとしてアメリカに進出し、ドイツを代表するバイエルン社のアメリカでの飛躍発展は目覚ましいものがある(逆に日本医療産業は国内の甘い汁を吸い続けることでバネを欠いており、日本の薬は世界では殆ど使われていない)。
もっとも総額予算制は当初患者に理想的に機能していたが、新自由主義による競争原理が高まると人権費削減に向かい、病院が短期に利益だせる手術治療が最優先され、早期退院を含めて患者工場と非難されているのである。
来週から載せようと考えているZDFズーム『蚊帳の外の患者・病院医師は限界』では、ドイツ病院医師(聖職者としての評価を受けているが経済的には優遇されていない)の半数が、そのような病院の利益圧力の中で自殺を考えた事があると答えており、71%が自らを病んでいると考えている。
しかしそれにも増して健全なのはドイツのメディア、そして世論であり、人間を幸せにする医療に変えていかなくてはならないと思っている。
そうしたドイツの医療には、現在の病院が患者工場と呼ばれようと、未来が感じられる。
それに比べて日本の医療は破綻寸前にもかかわらず、医療費肥大の原因である出来高払い制がいつまでたっても維持され、2016年より実質的格差診療に道を開く混合診療が実施されようとしている。
将来的には財源が最早将来世代から借金できなくなれば、私の姪が暮らすロスのように救急車さえ有料化され、救急治療で家屋敷が差し押さえられかねない。
私自身は母の度重なる入院や看取りを通して医療を受ける側にあるが、1970年代は中堅製薬会社研究室で新薬の開発にあたっていた。
新薬開発と言っても、室長の書き出した特許公報に従ってドイツやスイスの有望化学物質の化学構造の一部(鍵穴の人体組織に作用する鍵)をまねて、自社の製造特許を持つ化学物質に一部を繋ぎ合わせることであった。
したがって来る日も来る日も、新しい有機化合物の合成に追われる日々であった。
もっとも同時に臨床試験用の試薬合成もノルマであったことから、薬理研や毒性研などのスタッフとも絶えず会話があり、S医大での画期的胃潰瘍新薬の臨床は学用患者が急性肝炎で亡くなったことから国内臨床試験が不可能になり、化学構造を一部変えてアメリカでの終身囚人との自由契約臨床試験が行われている仔細など、様々の情報を知るのに事欠かなかった。
そうした情報のなかで特に驚いたのは、自社の株がギブ・アンド・テークで医者だけに分け与えられ、常識を疑うような高額配当がなされていたことだ(株式だけに限れば、現在は一部に公開され、そのようなことはなくなっているが)。
また製薬企業は自社利益を追求するために、プロパーを通して医師及び病院のあらゆる便宜をはかることが常習化されていた(そうした在ってはならない関係が現代では益々巧妙に深まっており、最近に見るノバルティス製薬の論文不正、武田薬品の臨床研究不正などが如実に示している)。
そうした健全さに欠ける構造のなかで医療の出来高払い制が維持され、医薬品が多く使用されればされるほど、開業医師、病院、そして医薬産業が儲かる仕組みが築き上げられてきた。
そのような構造は保険制度を破綻させるだけでなく、とかく患者の薬漬けによる医原病を招き、継続される限り日本の医療に未来はない。