(321)時代の終わりに・危機と希望(5)・沖縄からの叫びと希望(5)

危機と希望(5)・絶滅戦争か永遠平和か

前回のヨーロッパでも起きている避難民拒否や急進的極右の台頭を議論を受けて、議論が危機をどう乗り切るかに進行していた時、ドイツ・ロシア教会代表のマティアス・プラツェク(東ドイツでの抵抗運動者、統一後社会民主党の党首)と大衆紙「ビルド」の若い編集局長のユリアン・フェルトと間に、激しい衝突の末にあってはならない誹謗があった。
それはマティアスが世界平和にはロシアの協力が必要であり、シリアでもロシアが保証人になっているから、シリアは壊滅しないで安定を保っているという発言に、ユリアンアレッポなどのロシア空爆で斬殺された多くの市民を挙げて激しく非難し、「それが政治であるとしても、あなたは利害に口利きしたことになるでしょう」と思わず、言ってはならないことを述べたからである。
これまで極めて穏やかだったマティアスは一転して理性を失い、「そんな発言は許されない!少し控えなさい!それはビルド紙の最も不快なやり方だ。告訴しないとしても・・・」と激昂している。
私見を述べれば、マティアスは1ペニヒ(0.01マルク)さえ懐にいれていないだろうし、(政治家引退後)自ら主張する橋渡しの和解事業に献身していることも事実であろう。
しかし組織に属していることは事実であり、現在では団体及び企業などの組織はすべからず官僚化されており、自らの組織利益追求で利害に関与していることも事実である。
もちろん組織が効率を求めて官僚化するのは当然のことであり、それ自体正確性、客観性などで機能を素晴らしく発揮できることは寧ろ賛美されるものである。
しかしガラス張りに開かれていない官僚化は、従来から形式主義、秘密主義、責任転売、事なかれ主義の逆機能が働き、単に過ちを犯すだけでなく、組織の崩壊に加えて社会に重大な危機に陥れることも確かである。
社会民主党(SPD)は、既にブログで述べたように、2000年のシュレーダー政権での新自由主義改革が国民に激しく批判されたことを受けて、2007年新自由主義を反省するハンブルク綱領を決議した。
しかしその際の党首ベックはその後党首から引きずり下ろされ、党内の紛争が絶えなかった言われているが、その際ドイツのメディアは鉄のカーテンが引かれたと批判していたが、その際の経緯は明らかにされないだけでなく、現在も党内の対立は党則によって殆ど開かれていない。
しかも見えてきたものは、かつては市民利益(労働者利益)を追求する社会民主党が産業利益(企業者利益)を、巧みな言い回しで優先させていることだ。
すなわち産業側に支配されていると言っても過言ではないだろう。
それは現在の世界の縮図でもあり、EU、そして国連でも開かれない組織は同じであり、世界平和への多大な労苦がなされても、最終的には国益が優先され、これまでのリーダとして世界平和を求めて来たアメリカでさえ、アメリカ第一主義を公然と世界に宣言するまでに変貌してきた。
世界がこのような露骨な国益最優先で力によって押しはかられるとするなら(和解事業もお墨付きに過ぎず)、その先には世界の絶滅戦争である核戦争の勃発も時間の問題であろう。
一方のユリアンは、戦後のドイツの「戦う民主主義」で育まれ、しかも圧力団体は大衆であることから(ドイツで飛躍的に売れている大衆紙であることから)、市民一人一人の利益が最優先されなくてはならないのである。
市民利益を最優先することは、ともすればドイツ以外の殆どの国で見られるように、大衆迎合ナショナリズムに陥り易いのであるが、ドイツでは最早極右的政党AfDの急進も峠を越しているように克服されている。
それはドイツの戦後がナチズム反省に立ち、官僚政府をガラス張りに開き、かつての官僚支配から市民奉仕に革命的に変貌したからである。
そうした中での市民は、かつてのように大衆迎合的に行動することはないといえるだろう。
それゆえに、ユリアンはロシア空爆アレッポの市民惨殺を激しく抗議するのである。
和解議論よりも先ずは停戦が最優先されるべきであり、世界の指導者たちは身を挺して停戦を実現すべきであったと怒り、マティアスに言ってはならない事まで口に出たように思う。
しかしユリアンの主張には世界の希望が感じられ、現在の試行錯誤を続けながらエネルギー転換を通し人類一人一人の幸せを希求するドイツの理想が垣間見られ、その先には永遠平和さえ見えてくる。

沖縄からの叫びと希望(5)・鉄条網とアメとムチ

この動画は2010年民主党政権下で制作され、基地住民の苦悩がひしひしと伝わって来た。
それから6年以上の年月が経ち、益々基地地域でのアメとムチは露骨に加速肥大している。
2014年の再び辺野古新基地建設を問う名護市長選挙では、石破茂自民党幹事長が総額500億円の「名護振興基金」打ち上げたにもかかわらず、稲嶺市長の圧倒的勝利で、名護市民の辺野古新基地建設反対の民意が示された。
確かにフィルムで語られているように、土木事業は潤うだろうが一過性に過ぎず、それが過ぎれば潤った分だけ苦悩は大きく、最早開発された都市部の人たちはそれを身を持って体験しており、「もう基地はいらない」と民意を示しているのだ。
それに対して安倍政権は国民主権憲法違反を犯して、地域住民の合意を全く無視して、今年4月からジュゴンの生息する珊瑚礁の埋め立てを開始している。
そこでは沖縄県の繰り返しなされる裁判所への提訴も、全く機能していない。
何故なら日本の司法は、戦後政府(法務省)から完全に独立したドイツとは異なり、戦後も法務省に支配されているからである。
そうした強権を物語るように、5月19日には戦前の治安維持法になし崩しに成りうる共謀罪強行採決された。
まさにアベノミクスで担ぎ出されたハンメルンの笛吹き男は、国民の望むアメで(本当はデタラメな嘘と巨額な国民負債で)、戦前の美しい軍事国家へ国民を連れて行こうとしているように、私には見える。