(352)鈴鹿山麓での農的創成(7)・ ドイツの限界集落(1)・ともに生きる3(ノモンハン事件に見る責任なき大本営システム)                                                                 

猛暑であった今年の夏もいつの間にか過ぎ、すっかり秋の気配が感じられるようになって来た。
この10月で71歳になるが、幸い元気に農耕を楽しみ、ブログが書けることは有難いことである。
家系的にも父、祖父、曾祖父と糖尿の遺伝があるなかで、限界集落に近い山麓の村で今も体に不自由なく大地を耕し、農的暮らしを過ごせることは何よりの幸せである。
(写真は冬への自給に向けて、ネギ、白菜、キャベツ、レタスの苗や聖護院大根、人参など順調に育ちつつある我家の庭)
もっとも還暦から4年間ベルリンに学んだ頃は、糖尿だけでなく狭心症に悩まされ、今から思い出しても悲惨であった。
糖尿から夜は口が渇き不眠が続き、レンドルミンを飲まずには過ごせなかった。
しかも時々狭心症に襲われ、数時間もその痛みに耐え、帰国でのバイパス手術さえ考える日々であった。
それが今アルコールを一切断ち、7割程度自給自足する農的暮らしで、薬も全く飲むことなく、意欲的に納得の行く生き方を感じている。
そうした私の体の再生も、追々書いていきたいと思っている。

ドイツの限界集落での闘い(1)

上に載せた動画は、8月13日に放送されたZDF37度の『ここはまだ終わりではない・限界集落での闘い3−1』であり、私の暮らす山麓の村が店、学校、医者、働く場所が全くないように、現在のドイツにおいても限界集落に追い込まれている村が多々あることは、私にとっても驚きであった。
しかしここでは居残っている年寄りも、そして戻って来た若者も意欲的であり、村を去って行った若者が戻って来たくなるくらい魅力的な村にしようと、希望をもって自ら闘っている。
これに対して日本の限界集落では、私の住む山麓集落では5キロほど離れた役場まかせであり、最早稲作さえ生業とならず、兼業では機械代で赤字となるなかで将来的には諦めている。
役場は様々な生残る努力をしていが、グローバル化が益々進行する中で最終的には国に依存するしかない。
そして国はグローバル化規制緩和推進のアベノミクスに従い、日本創生会議で「自治体消滅論」打ち出し、平成の大合併のように地域を広域化させ、交付金優遇措置で中心となる都市(コンパクトシティ)に機能を集中することを想定している。
しかし平成の大合併に見るように、一時的にはインフラ整備で財源がばら撒かれることから活気が戻ったとしても、それ以降の生業のない地域が益々さびれて行ったように、コンパクトシティの周辺だけが生き残り、殆どの地域で人が住めなくなるだろう。

ともに生きる3(ノモンハンに見る責任なき大本営システム)

前回述べたように日本では本質的に戦争の反省がなされず、国益を国民益(国民の幸せ)よりも優先されるシステムがそのまま継続され、再び坂を上り詰めた70年以降行き詰まり加速し、森友学園加計学園問題での公文書改ざんに見るように暴走して来ているように見える。
改ざん問題を受けての昨年末の刷新した公文書記録管理ガイドラインでも、外部との打ち合わせ記録に対して個別発言を不要と指示しており、益々隠ぺい体質の大本営システムが聳え立つて来ている。
そうした大本営の悪しきシステムを、8月15日放送されたNHKスペシャルノモンハン事件責任なき戦い』は膨大な軍事官僚の証言を通して、見事に検証していた。
明治の日露戦争へと上り詰めて行く日本を『坂の上の雲』として描いた司馬遼太郎は、大正、昭和へと坂を転げ落ちていくなかで、ノモンハン事件を悪しきシステムの集大成と考え、「一体こういう馬鹿なことをやる国は何なのだろう」と述べている。
ノモンハン事件でのロシア軍との戦いは、圧倒的な軍備の差によって負けるべくして負けたと言えようが、敢えて正確な情報を無視して精神主義(寄らば切るぞの武士道)で猛進したこと、そして敗北を謙虚に受け取ることなしに死守を強いた現場に責任を押し付けたこと、そして一端行き詰まると自己保身的に暴走して行ったことに、大本営の悪しきシステムを感じないではいられない。
実際ロシア軍との圧倒的装備の差からして、正確な情報取集がなされなかったと言うより、何もできなくなることを恐れて収集された情報を無視し、しゃにむに突き進んだと言えよう。
また戦いの現場の北部陣地フィ高地では10倍近い兵士と、100倍近い戦車の圧倒的軍事力の差のなかで、部隊は物資の補給もなく、孤立し兵士は火炎瓶で肉弾で防衛していた。
その有様はフィ高地兵士の日記が語るように壮絶なものであり(8月20日、フイ高地は優勢なる敵砲兵群に滅多打ちされた。我が陣地は蜂の巣のような状態である。8月23日、食うに食うなく、飲むに水なく、昼は戦闘、夜は陣地の補強、壕内にうめく重傷者の声、漂う死臭。8月24日、ほとんど全滅の惨状、壕の一隅にて天命を待つ)、井置部隊長の「陣地を徹し師団主力に合せんとす」の決断は思慮ある勇断として讃えられるべきである。
しかし現実は自決を強いられたのである。
それは戦後も現在も同じであり、戦後の公団汚職では現場で職務として関与を強いられた担当職員が自殺に追い込まれ、そして森友学園問題でも担当職員が自殺に追い込まれている。
そしてこのフィルムがラストで語りかけるように、ノモンハン事件から2年後アメリカとの戦争に突入して行き、敵の能力を軽視し、十分な見通しもないまま始めた戦争は、すぐに行きづまり、その現実も直視せず無謀な作戦を繰り返し、破滅へと追い込まれて行ったのである。
もし司馬遼太郎が現在の行き詰る日本を見るなら、再び破滅へと突き進んでいると憂い、「一体こういう馬鹿なことをやる国は何なのだろう」と再度強調するだろう。
実際この国は、核兵器禁止条約による世界の核廃絶の流れにブレーキをかけ、CO2ぜロ目標の気候変動阻止の世界の流れに石炭火力推進を掲げ、しかも新重商主義による更なる世界進出のため憲法改正で軍隊を再び持とうとしている。
それを舵取るのが、戦前のドイツから学んだ大本営システムであり、世界が希求する「ともに生きる」流れに逆行していると言えよう。
そうした悪しき大本営システムは、戦後のドイツのように官僚支配から官僚奉仕へと変えて行けば、日本の官僚たちも相模原障害者施設殺傷事件後の職員のように、国民に奉仕することが喜びとなるだけでなく生きがいとなり、「ともに生きる」世界を創り出すことも可能だと切に思う。