(353)鈴鹿山麓での農的創成(8)私の体再生(2)・ドイツの限界集落(2)・ともに生きる(4)治安維持法が適法とされる理由

私の体再生(2)


日差しのあるうちは夏の残照が感じられるが、朝夕は秋を通り越して寒く、再び冬の到来さえ間近に感じられる。
昨年の冬は余裕がなかったこともあり、広い古民家での暖房は石油ストーブに頼ったが、既に薪作りで書ているように燃料費がかからない、地球に優しい薪ストーブに刷新し、石油を断つことにした。
そのため居間を板張りし、壁に漆喰を自分たちで塗り、炉台もレンガで作った。
薪ストーブは古民家全体が暖まるように、燃焼容量の大きい作業場用の写真のような安価で実用的な薪ストーブを選んだ。
まだ煙突の屋根工事(依頼)が終わっていないが、遅くとも10月初旬には試運転ができそうである。
もっとも薪作りは500キロほど作った後はチェーンソーで切るのも大変で、停滞している。
近辺の製材所では殆ど無料で材木端切れを分けてくれるので、今年の不足分はそうしようとも思っている。
気持ちとしては全て自分でやりたいのであるが、薪作りだけでなく、外装や小屋のトタン屋根を塗った後は疲れが残り、南ドイツの小さな農民のように、何でも自分でやるのができなくなっている。
それでも前回書いたように糖尿や狭心症に悩まされていた頃に較べれば、天と地ほど異なり、それなりに体の再生ができているのも事実である。
事実毎年の検診血液検査では、下の表で見るように2014年までは、中性脂肪が300に近づいていたし、悪玉コレステロールが善玉コレステロールの4倍近くあり、体重も70キロを超えていた。

2014年の検査での血糖値は100を少し超える程度で、一か月の平均HbA1も6.1で、検査値で見る限り糖尿病予備軍であったが、毎日食後1時間半後の血糖値を自分で測って見ると200を屡々超え、医師にも最早予備軍ではなく糖尿病だとお墨付きをもらっていた。
それが徹底した食事の切り替えと食後の散歩、そして毎日少しづつ耕す農的暮らしで驚異的に改善し、この5年間狭心症や糖尿からくる口の渇きや不眠も殆どないことから、体の再生と言っても過言ではないだろう。
もっともそれは、上に述べたように若さの復活と言えるようなものではなく、年相応の健康であると思っている。

それに較べ半分野生であったうちの猫ヤーシャは、左写真で見るように柿木にいとも容易く登り、屋根へと飛び移り、溢れ出す若さで日々手こずらしている(最早屋根裏の“つし”に駆け上がるだけでは満足できず、度々外へ脱走を繰り返すなかで、朝5時から7時頃まで時間を限定して外に出してやるようになっている)。


ドイツの限界集落(2)

 

ドイツの限界集落は旧西ドイツでは殆ど聞かれず、ポストロウのような旧東ドイツの辺鄙な農村に見られる。
何故なら1990年の再統一後農業公社が民間に売却され、巨大機械農業に集約化が進み、村民の雇用を奪い、結果的にベルリンなどの大都市へ追い出して行ったからに他ならない。
しかし自由を希求して出て行った若者さえ、競争原理を最優先する新自由主義の洗礼を受ける中で(少なくとも2008年の世界金融危機までは、弱者に配慮したドイツの社会的市場主義は機能不全に陥っていたように思う)、単に少年時代のノスタルジーだけでなく、オリバーのように故郷で人間らしい暮らしを望む人たちは決して少なくない。
実際私がドイツで学んでいた頃もそのような声がオスタルジーとして聞かれ、秘密警察シュタージの恐怖などの悪しき社会が忘れさられ、生活が保証され、競争よりも連帯が優先され、女性が尊重されていた良き社会が見直されていた。
例えば映画では、新自由主義の競争社会に疲れ果てた西ドイツ市民が、現実とは反対に理想国家東ドイツ流入して、再統一が為されるという着想を生み出し、『グッバイレーニン』が制作されたといっても過言ではないだろう。

次回は動画『ドイツの限界集落』も終わりになることから、将来に対する生残りの指針を政府に依存せざるを得ない日本の地域の希望なき状況と、地域の将来は補完原理に基づいて一番身近なゲマインデ(村落もしくは地方自治体)が自ら決め、分散型技術のエネルギー転換に向けて邁進する希望溢れる状況について述べたい。

ともに生きる(4)治安維持法が適法とされる理由

上の私の見た動画52は、8月18日に午後11時から12時に「ETV特集」で放送された『自由はこうして奪われた〜10万人の記録でたどる治安維持法の軌跡』(60分)を、私の脳裏に残るシーンで、17分ほどにまとめたものであるが、実に見事に治安維持法を膨大なデータで検証しており、完全版もデーリーモーションに載っているので是非見てもらいたい。
この動画では長くなるため割愛したが、治安維持法検挙者を擁護した弁護士たちの有罪判決も、現在の中国独裁支配体制における人権弁護士たちの一斉逮捕を裏付けるものであった。
すなわちドイツから学んだ大本営独裁支配体制では、司法が機能していないだけでなく、司法が独裁支配体制を維持する道具となっていた。
それは、戦後も裁判官の人事権が政府に握られ、毎年100人を超える裁判官たちが法務省を中心に各省庁へ出向される事実、さらに全員政府選出の裁判官による最高裁違憲裁判では、政治に関与しないことが踏襲されて来た事実からも、大きく変化していないように思える。
実際動画ラストの昨年当時法相金田勝年の「治安維持法は当時適法に制定されたものでありますので、同法違反の罪に係ります拘留拘禁は適法でありまして、謝罪及び実態調査の必要もないものと思料をいたしております」という官僚丸投げの棒読み発言は、膨大な資料検証から治安維持法が戦争に導いて行った手段であったことは明白であるにもかかわらず、戦後も本質的に戦争を引き起こした反省が全くなされていないことを物語っていた。
戦後のドイツでは、官僚を含めて国民全体が戦争及びホロコーストを引き起こした犯罪を深く反省し、ナチズム独裁支配体制の道具と化していた司法を政府から完全に独立させ、日本の最高裁にあたる連邦裁判所の16名の裁判官も党派比例的選出方法がなされ、政治的に偏らない公正な司法が為されている。
すなわち党派別選出とは国民の選挙に基づく党派比例的選出方法で、連邦議会で8名、連邦参議院8名の任期12年の各党推薦裁判官が選出されることから(2018年現在の連邦議会選出裁判官はキリスト教民主同盟3名、社会民主党3名、緑の党1名、自由民主党1名、連邦参議院キリスト教民主同盟4名、社会民主党4名)、国民にガラス張りに開かれた公正な裁判が維持されている。
さらに連邦や州の審議会、各専門委員会の委員は基本的にこのような党派比例的選出方法で選ばれることから、日本のように官僚が選出する余地は全くなく、行政行使の官僚の責任が厳しく問われるシステムに大転換したことから、新自由主義の紆余曲折はあっても、官僚さえも市民と「ともに生きる」社会が築かれたと言えよう。