ドイツから学ぼう(366)ドイツから学ぶ未来(9)ワイマール共和国(官僚支配)からドイツ連邦共和国(官僚奉仕)への民主的革命(1)

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私にとって令和に突入した五月の一か月は、育てた苗の田植と畑の草取に追われるだけでなく、雪害の点検のため400キロも離れた妙高へ出かけたりで、大変な令和始まりの一か月だった。
それでも娘との手作業で田植も無事終わり、上の写真のように清々しく除草機を押せるのは有難い。
それにしても予想通りと言うべきか、前回ブログ「ドイツから学ぼう365」で載せた『私の見た動画59・令和が求めるもの』はユーチューブやグーグルから無視され、これまでの『私の見た動画1~58』が検索できるのに対し、検索不能である。
それは私の視点からすれば言論統制バロメーターであり、知らず知らずに日本のメディアが、積極的平和主義を掲げて戦争に向かおうとしている現行政府の意に、迎合させられていると言わざるを得ない。
もっとも現在の世界もファシズムへの傾斜が激しく、70年代の福祉を希求したゆとりとは異なり、競争が最優先され、全体として貧困へとなだれ落ちて行く。
ドイツにおいては、右派政党AfDが数年前難民問題で一時的に20%近くの支持を集めたが、それがクライマックスで、現在は今年5月のZDF世論調査で12%の支持しかなく、むしろ徐々に冷静になりつつある。
確かに大連立を組む二大政党のキリスト教民主同盟CDUと社会民主党SPDの支持は(今年5月ZDFの世論調査)で28%と17.5%と数年前に比べ減っているが、減った分は緑の党支持が18.5%と倍増しており、むしろより良い民主主義へと推し進めされている。
そのようにナチズムの過去を克服したドイツでは、今年ワイマール共和国誕生100年とドイツ連邦共和国誕生70年記念祭が祝われており、公共放送ZDFは『私たちドイツ人と民主主義』を制作し、4月30日に放映している。
このフィルムで強く感ずるのは、ドイツが絶えず過去の過ちを繰返さないために過去に学ぼうとする真摯な姿勢であり、ワイツゼッカー元大統領の「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在においても盲目です」という演説が蘇ってくる。
これに対して日本では過去の過ちに学ばないだけでなく、過去の過ちを自虐史観として目を背け、原発事故にしろ、バブルにしろ、そして侵略戦争であった太平洋戦争さえ無かったかのように、美しい歴史の国へと改ざんされて行く。
それ故私のブログでは、このフィルムを翻訳して字幕を付けて3回に分けて載せることにし、下記に3-1を載せて解説している。


過去に学ぶドイツ(私の見た動画60『私たちドイツ人と民主主義』)

私が過去を克服したドイツと考えるのは、完全に司法を政府から独立させ過去の官僚支配を官僚奉仕に転換させたことであり、それはこのフィルムでも見るように70年を経た現在の世界の民主主義の危機においても、ドイツ人の90%以上の国民が民主主義を支持しているからである。
ドイツ人にとって1919年のワイマール共和国誕生は知っていること、あるいは学んでいることなので解説は不要であるが、一般の日本人に対しては鉄血宰相ビスマルクの率いたドイツ帝国が植民地化競争の末に第一次世界大戦を引き起し、戦争末期の敗戦ムードのなかで1918年に兵士や労働者の市民革命が起き、その結果翌年にワイマール共和国が誕生した経緯については若干の解説が必要であろう。
18世紀後半に英国で始まった産業革命は、19世紀にはヨーロッパ各地に拡がり、ブルジョアジー(市民階級)を生み出し、1848年のブルジョアジー革命は自由主義を掲げて憲法の制定求め、君主国家によるウィーン体制を終わらせた。
すなわちフランスでは2月革命、オーストリアプロイセン(ドイツ)では3月革命であり、ドイツではフィルムで語られているようにフランクフルト国民議会が開催された。
しかし翌年には革命は後退鎮圧され、君主国家を復活させている。
それは単なる復活ではなく、近代資本主義の発展で帝国主義へと向かい、ドイツでは1971年にプロイセンが全土を統一し、ドイツ帝国を誕生させた。
そのドイツ帝国の初代宰相が鉄血宰相として名高いビスマルクであり、1873年3月に日本の理想的近代国家を目指した岩倉具視使節団がビスマルクを訪ね、富国強兵と殖産興業で強国建設を諭され、大久保利通たちは帰国後それを実現するためにドイツを模倣して、日本の官僚制度を導入したと言われている。
すなわち大久保は、最初施設団が学んだアメリカでの近代国家の証ともいうべき国際秩序ルール「万国法」が建前(ザル法)に過ぎないとビスマルクから一笑され、強国建設には領土拡大、すなわち力による進出が不可欠であり、その実現を最優先する官僚支配を強いたのである。
話をドイツ帝国に戻せば、そうした力による領土拡大が求められるなかで誕生したドイツ帝国は、植民地獲得競争の勝組フランスや英国とぶつかるべくしてぶつかり、第一次世界大戦に突入して行った。
そして1918年に起きた兵士や労働者の市民革命は当初マルクス社会主義を求め、社会全体を根本から変えるものであったが、1919年1月社会民主党左派スパルクス団(ドイツ共産党)が武装蜂起で一掃されると、エーベルトを頂点とする社会民主党穏健派が支配し、帝国のこれまでのベルリン統治とは全く異なるワイマール統治の理想的民主主義国家を目指した。
しかしフィルムで語られているように、ドイツ共産党がベルリンだけでなくドイツ各地で勢いを増し、実質的に首都及び議会移転は実現できなかった。
しかも共和国大統領は、共産党暴動を鎮圧するために右派義勇軍に助けを求めたことから、理想的民主主義は既に最初から傾いていたと言えよう。
それはハインリッヒ・アウグスト・ヴィンクラー教授の「1918年の敗北以来民主主義は、帝国を欺いた古典的エリートの為にあり、敵対者の国家形態であり、ドイツらしからぬ制度であり、全く困難な重荷を抱えた、敗戦からの民主主義の誕生でした」という指摘からも窺い知れる。
そのような困難を抱えたワイマール共和国誕生は、共和国を維持するために大統領エーベルトに権限を集中させ、一時的には困難を解決したかに見えたが・・・。
今回のフィルムはここまでであるが、その後ヒトラー独裁国家を生み出して行ったのは歴史的事実である。

ワイマール共和国(官僚支配)からドイツ連邦共和国(官僚奉仕)への民主的革命(1)

今回のZDF(Zeit)のフィルム『私たちドイツ人と民主主義』を見て感じたことは、ワイマールの初代共和国大統領エーベルト社会民主党政権と日本の2008年に誕生した鳩山民主党政権が二重写に見えたことだ。
エーベルトは著名な歴史学者たちが述べているように、非の打ちどころのない民主主義者であり、大きな人間性価値と当時の軍国主義に対抗する思想の自由を掲げた理想主義者であり、鳩山由紀夫も大きな博愛主義を掲げるほど理想主義者である。
そして両者が誕生させた同じ流れを組む政党の政権は、官僚支配を克服することができず、逆に官僚支配を強化させたからである。
今回のフィルムでは、政権が不安定であることから権力をエーベルト大統領に集中させた状況が描かれているだけで、官僚支配に抗せれない有様など全く描かれていない。
しかしドイツ帝国を初代宰相ビスマルクから支えてきた官僚エリートたちが、ヴィンクラー教授が言うように帝国を見限り、結果的に労働者のための社会民主党政権を利用し、古典的エリートのための共和国を構築し、敗戦にも懲りずに富国強兵の帝国主義を東方領土拡大へと推し進めて行ったことは紛れのない事実である。

その証拠にワイマール共和国誕生の1919年には、エーベルト初代大統領が軍国主義に反対を公言しているにもかかわらず、第一次世界大戦敗戦の翌年「ドイツの歌」を制定し、下のように東方領土拡大を高らかに歌い上げている。

「この祖国を守るため 常に兄弟の団結があるならば マース川からメーメル川まで

エチュ川からベルト海峡まで ドイツ、ドイツ、すべての上に君臨するドイツ

世界のすべての上に君臨するドイツ」