(447)民主主義は世界を救えるか(7)土地投機と戦う人たち(2)・ 為替相場がなくなる日(2)

『万人の大地・土地投機と戦う人たち(2)』

 

 

 今回のフィルムは、養蜂家ミハエル・グロームの土地投機との戦いから始まっている。

ロームは本来農業を営みたかったが、農地が投機の対象となり高騰で手に入らなかったことから、蜂を飼う趣味を生業としたと述べている。

そして現在の農業は、僅か10センチの肥沃な土壌をつくり出すのに2000年の年月を要したのに、大地の価値を考えていないと説いている。

すなわち農業が産業化し、大規模化による効率化で目先の利益追求だけを優先し、地域から農民を追い出していることから、その現状を激しく批判している。

事実ナレーションが語るように、ドイツの農家は1990年には62万以上であったが、2020年には26万に激減しており、最早肥沃な大地をつくり出してきた小規模農家が生き残れない現状がある。

 それゆえグロームたち土地投機と戦う人びとは、農地売却する際、地域性の配慮、地域雇用の創出、動物福祉への配慮、自然の種保護を訴えており、新たな法律の制定を求めている。

すなわち戦う人びとは、未来志向の長期的視点で地域の人びとの公益性を求めるように変えていくことが、生態系に配慮した小規模農家を生き残らせ、新たな農家を創出する方法だと説いている。

 その後のフィルムでは、このような公益性を追求してきたザクセン州タウハの教会賃借の連帯農業とメクレンブルク・フォアポーメルン州ローテンクレぺノンの農場共同体の取組みが描かれている。

そこでは、生態系に配慮した有機農業が営まれており、農産物を例えばトウモロコシのトルティーヤに加工することで、地域の雇用を生み出し、地域の人びとの暮らしの潤いを創出する公益性が求められている。

このように地域の公益性を求める農業が求められる背景は、現在の世界がウクライナ戦争だけでなく、気候変動激化(ドイツでは7月20日現在、幾つかの場所で40度を超えており、恐るべき猛暑であり、南ヨーロッパでは壊滅的な森林火災が拡がり、スペインでは熱波で500人以上が亡くなっている)、終息の見えないコロナ感染症金融危機によるインフレなどから、世界の食料危機が迫っているからである。

それにもかかわらず、農地への投機は益々激化し、ドイツ農地の6割は金融投機に関与している人たちが所有するようになって来ており、危機感が高まっているからこそドイツ第二公共放送は執拗に訴えるのである。

 

 為替相場がなくなる日(2)

 

 前回は、2030年が気候変動保護、世界の貧困撲滅(SDGs)などの目標の期限を迎えることから、2030年には国連に集う非政府組織(NGO)が決起するだろうと述べた。

何故ならパリ協定は2020年を過ぎても結束した世界の動きは見られず、SDGsに至っては企業の利益追求の免罪符として利用されており、さらに終わりの見えないウクライナ戦争やコロナ感染症等々で、予測できない深刻さで世界の危機が深まっているからである。

 そのような事態に対して、利益を求めない国連に集うNGOは世界を救うために決起しない筈はなく、国連総会で核兵器禁止条約が決議され、2021年に発効されたように2030年には、国益を求めない、拒否権のない、もう一つ別な新たな国連とも言うべき国連地域政府連合創設が求められ、数年後の発足は必至と考えられる。

その頃には、世界で救済を求める地域が溢れるにもかかわらず、現在の一握りを益々富ませるグローバル資本主義では、気候正義と社会正義を実現できないだけでなく、気候変動激化と貧困を肥大させて行くことから、自己決定権を持つ5000ほどの地域政府からなる国連地域政府連合が発足すると書いたのである。

 もっとも自己決定権を持つ世界の地域政府が国連に結束するためには、少なくとも50カ国の批准が必要であり、批准は国連総会の主導権を握る世界のNGO主導により、各国が地域の自己決定権を巡り、国民投票を実施するように誘導されなくてはならない。

そのためには国民議論を高めて行く必要があり、国連のその戦略は利益を追求する国民国家が創り出す未来と、利益を外に求めず地域内での自給自足を追求する地域政府連合の創り出す未来を比較できるよう描き出すことである。

そしてあらゆる専門家を動員して検証議論を深めて行けば、民主主義が機能している国では結果は一目瞭然であり、国民投票実施によって地域政府の自己決定権承認は必至である。

すなわち民主主義が機能しているドイツやフランス、さらには北欧諸国などでいち早く国民投票の実施は確かである。

 その際激しい検証議論が独裁国家を除き世界に報道されることから、表向きの民主国家でさえ国民投票実施を拒むことができなくなり、ドミノ倒しのように批准国が急増して行くからである。

 ドイツが「人間の自由と平等を尊重する」民主主義が機能するのは、決して議会制民主主義よる多数決ではなく、ブログ(444)で既に詳しく述べたようにナチズムを合法的に誕生させた反省から、ドイツの戦後の基本法は国家が国民に絶対的に奉仕すべく、第一条「人間の尊厳は不可侵である」から第二十条「抵抗権」に至るまでの原則を多数決では変えられない絶対的不可侵とし、憲法裁判所が時代が逆行するなかでも国家の国民奉仕を厳格に守って来たからである。

 現在世界の民主主義が衰退し、機能しないと言われるのは、間接民主制の議会による多数決こそが民主主義であるとはき違え、日本で言えば憲法の違反さえ政治優先で、司法が機能していないからである。

しかしドイツなど、本来の民主主義が機能している国で国民投票が実施されれば、堰を切るが如く、激しい議論内容と選択理由が報道され、沖縄住民の意思決定を無視し続けて来た日本でも、国民投票実施によって地域政府の自己決定権を認めないわけには行かないからである。

しかも地域の自己決定権は、地域の住民投票による直接民主制の決定権であり(レファレンダム)、補完性原理を採る欧州民主主義の根幹であるからだ。