(189)地域分散型自給社会が創る理想世界への道6・・蘇るマルクスの理想(前篇)

マルクスは『資本論』で資本主義の不平等を批判し、必然的に起こる経済恐慌などの問題を通して、資本主義社会が最終的に成り立たないと述べている(注1)。
そしてマルクスの理想する社会は、所有欲だけでなく競争心や敵対心もなく、暴力や紛争のない平等世界でもある。
しかしベルリンの壁の崩壊と前後して、ソ連や欧州の社会主義国が崩壊すると、マルクスの理想はユートピアであるだけでなく、人々を恐怖に陥れる全体主義国家に変貌していたことが実証された。
そこでは、人々の自由が奪われただけでなく、無数の尊い命が奪われていた。
何故なら市場を無視した強制的平等には、強大な国家権力を持つ独裁体制が必要であり、シュタージやKGBなどの秘密警察による厳しい監視が不可欠であったからだ。
しかも平等を強制的に分配する赤の官僚たち(ノーメンクラトゥーラ)は、官僚独裁で私腹を肥やし、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のように、愛情省で拷問と処刑を絶えず遂行し、真理省で事実を隠蔽するだけでなく歴史を書き換え、平和省で世界支配を掲げて永久戦争に駆り立てていた。
それは共産社会の実現を目標とする社会主義国が強大な独裁中央集権で成立つからであり、ベルリンの壁のように崩れるべくして崩れると、社会主義の終焉と同時に、マルクスの理想も終焉したかのように言われていた。
しかし対立軸を失った資本主義世界が、ギャンブル資本主義と呼ばれる新自由主義を過激に推し進め、2008年の世界金融危機を顧みることなくボトム競争を激化させるなかで、マルクスの理想が蘇って来ている。
日本では、アベノミクスという空資本で戦争も厭わない新重商主義に舵を切る政治がまかり通り、まさにマルクス資本論が復活する時代でもある。
特に美化した言葉で語られる劣悪な労働の実態がそれを象徴しており、NHKクローズアップ現代「拡大する“ブラック企業” 〜過酷な長時間労働〜(動画)」、「深刻化する“若年女性”の貧困(動画)」などを観れば明らかだろう。

そしてここでは、ドイツのベルリンの壁崩壊後の新自由主義の興亡を通して、マルクスの理想を考えて見たい。

戦後“万民の幸せ”を社会的市場経済を追及してきたドイツでは、ベルリンの壁崩壊を契機にギャンブル資本主義と呼ばれる新自由主義が押し寄せてきた。
すなわちドイツ統一東ドイツ(DDR)の莫大な財産を求めて、アメリカ資本のコンサルタント企業マッキンジーや法律事務所ホワイトアンドケースなどの多くの弁護士を抱えた専門企業が雪崩れ込み、常套手段のやり方で信託公社の役人や政治家を買収し、タダ同然で強奪して行った。
例えば東ドイツの4万企業の全体の売値は、タダどころか2560億マルクの助成金が付けられた。
そして1994年には厳格に政治汚職を禁じた104e条項が改正され、議決に対する便宜のみ有罪に書き換えられ、大半の政治汚職が合法化された。
しかもコール政権では国益を最優先するという名目で、300人にも上る大企業社長が相談役として政府内への出入りを許されるだけでなく、影響力のある政治家自身も退任後に企業顧問に就任することが容認されて行った。
そのような経過を経て1996年には、実質的に労働者を自由に解雇できる「解雇制限法の緩和」を成立させ、これまで築いてきた労働者の権利が奪われて行った。
98年10月の連邦選挙では、こうした新自由主義の流れに反対する社会民主党緑の党が圧勝し、「赤と緑」のシューレダー連立政権を誕生させた。
シュレーダー連立政権ではすぐさま公約に従って、「解雇制限法の緩和」撤廃、「病欠手当・年金減額法」を廃止して労働者の権利を守った。
しかし一年後には公約の目標が180度転換され、コール政権を遥かに超えて新自由主義を推進させた。
それはコール政権が幕を引く頃には、ドイツ産業の3000人にも達するロビイストたちが連邦議会に自由に出入りし、ドイツ政治を支配していたからでもある。
日本では閣僚の答弁書は官僚によって公然の如く書かれているが、この頃のドイツでは法案作成や首相演説書はロビイストたちによって巧みに書かれており、1999年以降のシュレーダー演説は、新自由主義の常套文句の羅列であった。
 例えば2005年3月17日の連邦議会のシューレダー首相の政府宣言では、胸を貼って新自由主義を次のように謳歌している。(Die Bundesregierung BULLETIN NR. 22-1---10)

„Solidarität in einer Gesellschaft - das Einstehen der Starken für die Schwachen, der Gesunden für die Kranken und der Jungen für die Alten - ist gewiss eine Tugend. Sie ist aber zugleich auch Voraussetzung des ökonomischen Erfolgs in den entwickelten Gesellschaften Europas.“
「弱者対して強者、病人に対する健常者、そして老人に対する若者の責任である社会の連帯は確かに美徳であるが、それを実現するには経済的成功が前提条件である」
(強者が経済的に成功すれば弱者へのおこぼれがあるというのは、新自由主義の常套句であるが、新自由主義社会での強者の成功は多くの弱者の犠牲によって成り立っている)。
„Der Gesetzesbeschluss - so begriffen bei der Gesundheitsreform, bei der Rentenreform, vor allen Dingen aber bei der Arbeitsmarktreform - ist die Voraussetzung für den Reformprozess; er ist der Anfang, aber keineswegs dessen Ende.“
「健康保険改革、年金保険改革、そして労働市場改革の法案成立はあくまでも改革過程の必要条件であり、始まりにすぎない」
新自由主義の教義であり、新自由主義政府は絶えず福祉予算や社会保障費の削減を求め、小さな政府を実現しようとする)。
„Lasst mich deutlich sagen: Wer nicht ausbildet, sägt sich ökonomisch den Ast ab, auf dem er morgen zu sitzen hat.“
「はっきり言えば、職業教育を受けないものは、経済的に自らの乗っかっている枝を鋸で切るようなものだ」
(これも自己責任を求める新自由主義の教義である)。

実際2002年の連邦選挙で辛くもシューレダー連立政権が再選されると、国民の信託を逆手に取って、2003年に足枷となっていた労働市場社会保障制度を見直し、競争原理を最優先する「アジェンダ2010」を実践した。
特に2003年1月から順次施行されたハルツ法では、手厚い失業保険の給付が労働意欲を削いでいるとして、32ヶ月の給付から12ヶ月の給付へと大幅に短縮された。
また全国にある雇用局は「ジョブセンター」に改編され、失業の届出を厳しくすると同時に、ジョブセンターで紹介された就労先を専門職でないという理由などで拒否することが難しくなった。
さらに2005年1月に最後に施行されたハルツ第4法によって、それまで失業保険期間を過ぎても専門職が見付からない場合、無制限に前の職場での総収入の57パーセント(保険期間中は子供世帯で67パーセント)が失業扶助されていたが、そのような手厚い扶助がなくなり、「失業扶助」と生活保護にあたる「社会扶助」を「失業給付2」として一本化した。
しかも「失業給付2」は資産査定によって預金などが当局によって自由に調べられるようになった上に、給付額も激減した(住宅手当などを除き旧西ドイツ州では月345ユーロ、旧東ドイツでは月331ユーロ)。
このような恐怖のハルツ第4法によって、ドイツの市民の暮らしは一気に質が低下しただけでなく、ドイツ市民の8人に1人が相対貧困者へと没落した。

東京都知事選を振り返って思うこと
都知事候補の一本化を求める市民グループの直前までの努力にもかかわらず、脱原発への力の結集ができなかった。一本化できなかったことに失望した選挙棄権者の多さや、一本化の接戦が創り出す活力からして、脱原発知事誕生の可能性が高かっただけに非常に残念である。
現在のように新自由主義が支配する世の中では、名護市の選挙のように力を結集できなければ、何も始まらないことを認識すべきである。
確かに小泉純一郎新自由主義の推進者であり、原発政策の推進者であったことは紛れもない事実である。
しかし脱原発に目覚めた小泉純一郎を問題視するようでは、力の結集は不可能である。大きな視点で見れば、小泉元首相は官僚支配丸投げの新自由主義構造改革政権の看板役者に過ぎず、むしろそうした中でハンセン病隔離政策の無謬神話を覆し、北朝鮮拉致被害者の人たちの一部を救出できたのは、人間小泉純一郎の功績と見るべきだろう。

(注1)マルクス資本論を概観するにはNHK「一週間de資本論」(動画)を観ればよいだろう。しかし本当に理解するには、この番組に出演されている的場教授の推奨するように第3篇8章労働日から読むのがよいだろう。