(246)カントの理想を早急に実現しなくてはならない世界(4)・実現の鍵をメルケルの脱原発転換に見る

メルケル首相は上の議会演説に見るように、福島原発事故後自らの原発運転期間延長の間違いを語ることで見事にドイツの脱原発を成功させ、ドイツ国民の大きな信頼を勝ち得た。
確かに福島原発事故がその180度転換の引金となったことは事実であるが、本質的転換の要因は原発運転期間延長決議の後ドイツの州選挙で惨敗し続け、このままでは政権だけでなく与党キリスト教民主同盟自体が維持できない危機感からであった。
ドイツ国民の圧倒的多数が福島原発事故の前から原発運転期間延長を望まず脱原発を求めた理由は、2000年の再生可能エネルギー法施行以降ドイツの地域で風力発電太陽光発電、バイオガス発電が急速に発展して、地域経済に不可欠になって来たからに他ならない。
もちろん経済的だけでなく、ドイツではチェルノブイリ原発事故以降原発が人類に如何に危険であるか、メディアを通して絶えず国民の間で議論されることで認識されて来たからである。
しかし日本は、今なお悲惨な福島原発事故終結せず、国民の6割が原発再稼働に反対にもかかわらず、今年夏以降再稼働を始め、2030年においても原発の電力割合を20%以上確保しようとしている。。
まさにその対照的違いは、益々グローバル化を目論む大企業中心の日本の化石燃料エネルギー産業と地域の分散型中小企業中心にシフトするドイツの再生可能エネルギー産業の違いに他ならない。
したがって今回は、カントの理想実現の鍵をそのような視点から考えて見たい。

カントの理想(4)・カントの理想は再生可能エネルギー産業社会で実現できる
カントの『永遠平和のために』の第二章では、まず平和状態は創り出すものだと説き、永遠平和を創り出す必要不可欠な体制として共和的であることを、第1確定条項で強調している。
カントの説く共和的体制とは、人間としての自由、臣民として共同の立法に従い、国家市民としての平等が確保される体制である。
そしてカントはそのような共和的体制では、戦争に対して国民の同意が必要であると説き、国民は戦争の悲惨さから、命を懸けて戦争を始めるといった愚かなことはしなくなるだろうと述べている。
しかし現在の化石燃料エネルギーの産業社会では、グローバル化を通して弱肉強食の競争が求められ、最終的には世界支配が目標に掲げられている。
そのうような産業社会でも建前として共和的体制の根幹をなす国民の幸福を掲げているが、実際は産業利益、すなわち国益を最優先することから国民の意思が無視され、必然的に戦争に導かれると言っても過言ではない。
しかし現在ドイツで始まっているエネルギー転換による再生可能エネルギーの産業社会では、絶えず外に向かって発展を求める化石燃料エネルギーの産業社会とは異なり、地域分散型に内に発展を求めることから、地域住民、さらには国民の意思が本質的に優先される。
しかも太陽光発電風力発電、バイオガス発電だけでなく全ての資源はソラーによって製造されることから、将来的には供給が需要を上回り、従来の最終的に戦争へ導く競争さえ必要としなくなるだろう。
まさにそのような社会こそが、カントの理想を実現する社会である。
そのような社会へ2000年の再生可能エネルギー法によって歩み出したドイツでは、シュレーダー政権の競争原理を最優先する「アジェンダ2010」を国民を幸せにするものではないと見ぬき、別の選択が採られていたと言えよう。
それゆえメルケル政権が原発運転期間延長を時代の流れに逆らって押し通した際ドイツの州選挙で惨敗するだけでなく、競争原理を最優先する新自由主義の看板でもある導入された大学授業料が全ての州で否定され、国民の幸福を求めて動き始めたといえる。
事実そのように動きだしたからこそ、ドイツでは徴兵制が廃止されるだけでなく、軍縮が加速して来ている。 
しかも紛争が起きると、直ちにメルケル首相や外相が紛争地で平和解決を求めるだけでなく、ワシントンにもモスクワにも専用電話を持ち、根気強く平和への説得を働きかけている(日本では迷惑がられたが)。
また今年2015年からは弱者への配慮と豊かさを取り戻すために、8,5ユーロの法定最低時間給賃金を実施している。
さらに日本のように財政均衡が口先だけで絶えず先送りされてきたのと異なり、ドイツでは今年2015年から新規国債発行ゼロの財政均衡を実現させている。
そしてEUの牽引国として、金融投機によって財政弱者の国々が危機に瀕するなかでドイツは金融取引税導入を決議し、EU11ヵ国で2016から実施を予定している。
まさにドイツが、依然として化石燃料支配の新自由主義推進国と一線を画してそのように歩みだしたことは、エネルギー転換を通してカントの説く共和的体制へと移行し始めたからに他ならない。


Zweiter Abschnitt,welcher die Definitivartikel zum ewigen Frieden unter Staaten enthält
第二章、国家間の永遠平和のためにどのような確定条項が含まれのか

Der Friedenszustand unter Menschen, die neben einander leben, ist kein Naturstand (status naturalis), der vielmehr ein Zustand des Krieges ist, d.i. wenn gleich nicht immer ein Ausbruch der Feindseligkeiten, doch immerwährende Bedrohung mit denselben. Er muß also gestiftet werden; denn die Unterlassung der letzteren ist noch nicht Sicherheit dafür, und, ohne daß sie einem Nachbar von dem andern geleistet wird (welches aber nur in einem gesetzlichen Zustande geschehen kann), kann jener diesen, welchen er dazu aufgefordert hat, als einen Feind behandeln.
相互に暮らしている人々の平和状態は、決して自然状態ではなく、むしろ戦争状態である。すなわち絶えず敵対行為の起きている状態でないとしても、敵対行為に絶えず脅えた状態にある。それゆえ平和状態は創り出さなければならない。なぜならそれを怠れば、平和状態のための保障にまだないからである。保障が他方からの隣人に履行される(それは法的状態においてのみ生じる)ことがないなら、誰もがこの隣人をそのことで求められるように敵として扱い得る。

Erster Definitivartikel zum ewigen Frieden
永久平和ための第一確定条項

Die bürgerliche Verfassung in jedem Staate soll republikanisch sein.
どの国家も市民体制は共和的であるべきである。
Die erstlich nach Prinzipien der Freiheit der Glieder einer Gesellschaft (als Menschen); zweitens nach Grundsätzen der Abhängigkeit aller von einer einzigen gemeinsamen Gesetzgebung(als Untertanen); und drittens, die nach dem Gesetz der Gleichheit derselben (als Staatsbürger) gestiftete Verfassung – die einzige, welche aus der Idee des ursprünglichen Vertrags hervorgeht, auf der alle rechtliche Gesetzgebung eines Volks gegründet sein muß – ist die republikanische.
共和的とは第一に(人間として)社会の構成員の自由の原理に従い、第二に(臣民として)すべての構成員が唯一の共同の立法に従属する原則に従い、第三に(国家市民として)同一に創り出される体制の平等法則に従うことである。しかも創り出される唯一の体制は、自然のままの契約の理念から生ずるものであり、国民の全ての正しい立法に基づくものでなければならない。