(327)時代の終わりに(11) 直近のドイツニュースに見る予兆(3ドイツ自動車産業不正・ベネズエラ独裁・)・沖縄からの叫びと希望(11沖縄は我が念仏)

何故ドイツは自動車産業を厳しく正すのか?
ドイツ報道メディアはドイツの誇る自動車産業の名声を、事実上はカルテル疑惑の段階にも関わらず(企業は慣習的会合と主張している)、このZDF子供ニュースに見るように厳しく問い正している(最初にカルテル疑惑をスクープしたのはシュピーゲルであるが、ドイツの報道メディアは一斉に問い正している)。
ドイツ自動車産業の不正は2015年に明るみに出たフォルクス・ワーゲンの排気ガス不正に発しているが、その後既に1990年代から不正が慣習化されていたことが明らかになってきたからである。
そこでは、人に害を及ぼす窒素酸化物を含む排ガス減少する装置(尿素水タンク)を共同で偽装しており、絶対在ってはならないことが企業ぐるみで慣習化されていたからだ。
そのような絶対に在ってはならないことが慣習化される背景は、グローバル競争の激化で利益が最優先されるからに他ならない。
しかもそうした利益最優先は報道メディアにとって身近な問題であり、産業全体に不利益な報道に対しては、絶えず巨大な圧力がかかり、自由で公正な報道が脅かされている現実がある。
それ故昨年のパナマ文章でも、最初にスクープした南ドイツ新聞はそれを恐れて、時間をかけて世界の報道機関と連帯して一斉に問い正している。
それを一斉に問い正さなくては、益々自由で公正な報道が脅かされ、過去の過ちを繰り返すことにもならないからだ。

ベネズエラの独裁
前回載せたトルコやポーランドの独裁は新自由主義(新重商主義、あるいは新植民地主義)の激化で右によるものであったが、ベネズエラの場合は左による独裁である。
21世紀初めのチャベス革命は、埋蔵量世界1の石油資源を国有化でその富を国民に配分し、教育や医療を無償化するだけでなく、食料などの生活必需品補助によって安くすることで殆どの国民を一時的に潤わしたことは確かである。
従ってチャベス反対勢力がクーデターを起こした際も、殆どの国民が立上がって数日でチャベスを復活させており、そのドキュメンタリー映像を見ると感動的である(注1)。
しかし富の蓄積する社会で富を平等に力によって配分することは、配分する組織(官僚、公務員)の腐敗で秘密警察による独裁国家へと変身させて行くことが常であった。
ベネズエラも例外ではなく(注2)、石油価格下落を通して民主的社会主義では制御不可能になり、民主的に選ばれた議会を掌握する(野党連合)政治家たちを罷免状態に追い込み、今回の制憲議会選挙で独裁化へ踏み切ったと言えよう(野党連合は今回制憲議会選挙を違法と唱えボイコットしたが、12月の23州の地方選挙では対決姿勢を鮮明にしているが、大勝利したとしても前途多難である)。
東ドイツというシュタージの独裁国家を体験したドイツの子供ニュースは、それゆえ闘いは益々悪化し、暴力化していくと悲観的に結んでいる。
もっともそれは公正な世界の将来を、子供たちに託する願望でもある。
この他私の心に残る直近ニュースは『パレスチナ問題』や『子供たち独りの避難』であるが、余りにも問題が大き過ぎて今回は載せるだけにしておくが、事態は益々悪化しており、北朝鮮大陸間弾道ミサイルの広島上空ルート予告の脅威同様に、終末を迎えたと称される資本主義世界が制御不可能になりつつあることを認めざるを得ない。

沖縄からの叫びと希望(11沖縄は我が念仏)

私の見た動画25『沖縄は叫ぶ』で紹介した彫刻家金城実は、8月5日のEテレ『沖縄は我が念仏』で再度描かれ、彼の誇る「我が念仏」を自ら語っていた。
「悲劇を語るよりも、人間の誇りを拝みたい」という彼の言葉は、彼の反抗への浄土であり、生きている限り反抗を誓う誇りに聞こえた。
実際そうあるために、私より一桁上にもかかわらず、日々古びた重いズック履き、砂の入ったリュックを担ぎ精進しており、ラストでの彼の力漲る舞はそれを物語っていた。

今回のブログを閉じるにあたって今の思いを書けば、人類は重い重い技術発展の歴史を犯して、ようやく人類は富の蓄積を必要としない社会を創り出す入口にたどり着いた。
すなわち太陽から地球に降り注ぐエネルギーは、世界で消費するエネルギーの何千倍、何万倍という途方もない巨大なエネルギーであり、人類は太陽光、風力、バイオを通して太陽からのエネルギーだけで賄うことは可能であり、世界が一丸となって取り組めば少なくとも21世紀末までには実現する。
何故なら1基1万キロワットの風力発電基建設で少なくとも1万人の消費電力を賄うことが可能であり、私が21世紀初めに訪れた北ドイツの貧しい農村では村の消費電力の7倍を超える電力を製造する村が続出している。
しかも風の吹かない時は電解による貯蔵水素の燃焼で発電する技術も、経済的に見合う実証例で完成されているからだ。
風力発電基の耐用年数は一般的に20年と言われているが(太陽光25年)、ドイツのように検査義務を課することで、古くなった部品を交換して行けば原発の40年を超える使用も可能である。
しかも万一事故が起きたとしても、ドイツの風力発電農場は民家から1キロ近く離れており、牛が放牧され、人が通常近づくことがないことから、自動車に乗るよりも格段に安全である。
確かに太陽光発電にしても、風力発電にしても、世界全体を賄う装置を製造するには莫大なエネルギーを必要とすることも事実である。
しかし一旦装置が世界に出来上がれば、欲張らない暮らし、地球生物を含めて環境に優しい暮らしを求めて行けば、富の蓄積を必要としない平和で豊かな暮らしも可能である。

(注1)アイルランドのジャーナリストによるドキュメンタリー(2003年NHK・BS1放映「チャベス政権〜クーデタの裏側」)
https://www.youtube.com/watch?v=aZXAzhm2zJ8&t=288s

(注2)ドイツでは右寄りと称されるヴェルト紙から左寄りと称される南ドイツ新聞まで、ベネズエラの腐敗を詳しく指摘し、厳しく批判している。
https://www.welt.de/finanzen/article163416308/Der-Welt-droht-der-groesste-Staatsbankrott-aller-Zeiten.html
http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/wirtschaftskrise-venezuela-ein-land-vor-dem-zusammenbruch-1.3485312
またNewsweek(日本語)もわかりやすく腐敗を指摘している。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/post-5123_1.php