(455)民主主義は世界を救えるか(15最終回)・何故今、世界の未来シナリオを書くか(3最終回)

民主主義は世界を救えるか?4-4最終回

 

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 今回の議論では、プレヒトはヴェックの楽観主義を評価し、彼の主張する「より社会的なエコロジーな民主主義」を支持すると明言している。

しかしそのような民主主義をどのように達成するか、プレヒト自身憂慮しているとも述べている。

彼の最新の著作『トクヴィルのジレンマ』を持ち出して、現在のグローバル資本主義では達成できないと主張している。

トクヴィルのジレンマ』は、フランスの貴族アレクシス・ド・トクヴィル

アメリカの民主主義を見た後、何がうまく機能し、何がうまくいかないか指摘する本であり、「世界で最も自由な国では、人々が個人的な利益を追求することに非常に熱心である」と嘲笑的に批判している。

そしてプレヒトは、「人は自由であればあるほど、富を持てば持つほど、

個人の成功にのめり込んでいく」という現在の姿勢では、エコロジー転換もできないと述べている。

そしてプレヒトのヴェックへの最後の質問は、「私たちは、気候変動に関して非常に差し迫った問題を抱えており、喫緊の再考、世界規模での急速な変化が必要です。私たちの意図的に遅い民主主義国が、非常に重要なこれらの問題に迅速な決定を下し、対応する行動を開始するためにどのように備えていると思いますか? 」には、ヴェックは具体的には答えず、それができるのは民主主義だけであると述べるだけで対談を終えている。

ヴェックは、引用したジャンポール・サルトルの「私たちは世界をより良い場所にしている」、あるいはアルベール・カミュの「私たちは悪いことを避ける実存主義者である」から推察すれば、喫緊の問題への具体な青写真はなくとも民主主義が解決していくと、あくまでも楽観主義である。

それに対してプレヒトは楽観主義を前向きと評価しながらも、現在のグローバル資本主義の枠組では達成できないと憂慮しており、現代の時代の苦悩を問い続けているように思えた。

 

 何故今、世界の未来シナリオを書くか(最終回)

 

 前回はグローバル資本主義の枠組に固執すれば、地球の未来はないと述べたが、上のプレヒトの対談に見られるように、現在の資本主義の枠組のなかでは、どのように変えて行けば良いかを求めても、具体的な解決方法は見つからないと言えるだろう。

それが現在の世界の趨勢であり、絶えず成長を追求する資本主義を本質的に変えることは、資本主義の否定に繋がると考えられているからだ。

しかしドイツを見ると、戦後のドイツは様々な危機を基本法を正すことで、憲法裁判所と連邦議会を通して民主主義を絶えず進化させ、寧ろ危機をバネとして未来を切り拓いて来たことも確かである。

事実現在のドイツでは、ロシアの天然ガス輸送がウクライナ戦争で制限、もしくは停止されたことから、エネルギー危機が叫ばれているが、その禍をバネとして未来を希望に変えようとしている。

具体的には4月6日政府閣議決定緑の党の経済大臣ロバート・ハベックは、再生可能エネルギーへの3倍加速化によって、2030年までに総電力消費量に占める再生可能エネルギーの割合は少なくとも80%に上昇させることを宣言した。

そのため再生可能エネルギー法(EEG)の抜本的改正が実施され、7月7日に連邦議会で承認された、開始以来最も包括的と称せられる改正では、洋上風力発電と電力網の強化を打ち出しているが、真髄は市民が直接エネルギー転換に参加できるように作り変えられたことにある。

すなわち2014年のEEG改悪を受けて、市民エネルギー協同組合や地方自治体は自らの風力発電太陽光発電プロジェクトさえ入札制が求められ、巨大企業に太刀打できないことから、事実上市民のエネルギー転換が足踏みされていたが、これらの地域のプロジェクトには入札が除外されたことから、またEEG負担金が全面的に廃止されたことから(個人の自家発電にさえ、EEG負担金という税金を払う制度)、市民のエネルギー転換が飛躍的に加速される。

何故なら政府支援で巨大電力企業が洋上風力発電や電力網を増設することはできても、コスト面で地域で市民エネルギー協同組合や自治体が製造する電力に対し競争にならないほど高くなるからである。

また巨大電力の広域支配では、絶えず製造電力と消費電力が等しく調整することは難しく、たとえ洋上風力発電で莫大な電力が得られても捨てることになりかねないからである。

その点地域で製造される電力は、地域で消費されることから、圧倒的に規模が小さいことから調整しやすく、既に余剰電力による水の電解で水素として蓄える技術が確立され、一部で開始されているからである。

そのような現在の状況から2030年の未来を予想して覗けば、これまで貧しい地域ほど必死に挑戦することからエネルギー転換が進み、殆どの地域ではエネルギー自立を達成するだけでなく、余剰エネルギーを水素として蓄える、快適で豊かな暮らしが見えてくるだろう。

しかしそれは、欲しいものが何でも充たされる暮らしではない。

現在の緑の党が政策の軸となる新しい政府では、エコロジー転換を大きく掲げており、その頃までには環境に負荷を与える暮らしが徐々に問われ、現在のように化石燃料を燃やすことで、年中トマトやイチゴから熱帯のマンゴやパパイヤが温室で栽培され、それを享受する暮らしはなくなる筈である。

その反面、世界各地から輸送されてくる農産物を含めた商品は、生活必需品から地域で余剰エネルギーを使って地産地消が推し進められていくだろう。

何故なら地域は水素として蓄える余剰エネルギーさえあれば、3D技術などを駆使して、地域で必要なものを必要なだけ生産することを可能にするからである。

それは地域の環境負荷をなくすだけでなく、人間の労働を軽減していくだろう。

また、そのような地域で自給自足が達成される社会は(自助経済の実現)、世界をどのように変えるだろうか?

自助経済の実現される社会では、他から奪うことを必要としないことから、当然その成功の方法を世界に知らせ、世界が同様に豊かに変わり、利益追求だけでなく、戦争のない平和な世界を築くことを使命とするだろう。

それはまさに、資本主義の枠組を打ち破るだけでなく、すべての人が自然環境と調和して豊かに暮らせる新しい文明世界の始まりでもある。

しかし現在の日本社会、そして行き詰まったグローバル資本主義が激しく浸食する世界は、出口なし的ペシミズムに覆われ、戦前のような翼賛的ファシズムの足音が聞こえて来ている。

だからこそ、禍をバネとする近未来の希望の光を書くのである。

それは、既に今年4月に出した『2044年大転換・ドイツの絶えず進化する民主主義に学ぶ文明救済論』を読んでくれれば理解できるだろう。

もっとも現在のように弱者を益々困窮に追い込んでいく末期的競争社会では、私の叫びは戯言としてしか映らないのも確かである。

それ故私の叫びを、もっと論理的に未来の羅針盤となるように磨き上げ、英語やドイツ語で書き、世界に呼びかけて行きたいと思っている。

ブログで書いてきた「民主主義は世界を救えるか」は十分内容を伝えたし、「為替相場がなくなる日」も、既に憲章の第9条(救済戦略の方法)で為替相場の破綻する日について書いているので一旦終了することにした。

尚次回からは、ドイツの今起きている市民のエネルギー転換やエコロジー転換に絞って紹介程度の記事を載せて行きたい。

 

尚私事ではあるが、この10月初めに75歳を迎え、10月3日に妙高笹ヶ峰から高野池まで登り、まだまだ挑戦できると思い、決意したことである。