(482)出口なしの中東紛争を終わらせるためには

 ブログを長く休んで『気候正義が創る核なき世界』を書いていたが、書き始めると書かなくてはならないことが次々と見えてきて、来年春までには、となってきている。

したがってブログも時に応じて始め、現在考えることを老骨に鞭打って綴ることにした。

 

イスラエルパレスチナの悲劇

 

 

 20年近く前アルベール・カーンの残した100年前のパレスチナの映像を見たことがあったが、そこではユダヤ人とパレスチナ人が共存して、助け合って生きていた。しかし近代化の波に呑み込まれ、イスラエルが力によって建国されてからは絶えず紛争が続き、憎しみの坩堝と化している。

 確かにハマスによる突然の5000発を超えるロケット弾の奇襲攻撃や、国境の厚い壁破壊での侵入による多数のイスラエル市民虐殺は許されてはならない犯罪である。しかし220万にものパレスチナ住民をゴザ地区という狭い空間に16年間も封鎖して閉じ込め、困窮する住民をドローンで監視してきたイスラエルという残忍な国民国家も許されてはならないだろう。

 もっともそのような非人道的状況が16年間も容認されてきたことは、アメリカの拒否権で国連が機能しなかったからに他ならない。

 そしてイスラエル軍によるガザ地区への大規模な侵攻が調えられるなかで、国連の停戦要請がアメリカなどの拒否と、ドイツや日本などの棄権で成立しなかった。しかし世界の殆どの国が停戦を望み、日増しに停戦への訴えが強まっている。それゆえアメリカも25日の国連でガザ侵攻先延しの一時的戦闘中断を要請し(中国とロシアの拒否権行使で否決)、26日EUもガザ戦闘中断要請で合意するなど、イスラエル軍の表立ったガザ侵攻にはブレーキがかかっている。

 しかし26日19時のZDFheuteが伝えるように、前夜から一時的戦車による侵攻が始まっており、翌日からは一時侵攻に加えて、ハマスの地下要塞破壊を目標に大規模な大量爆弾投下が為されている。これはイスラエル軍の大規模侵攻に替わるものであり、このような大量爆弾投下が長く継続されて行けば、恐るべき数の住民が殺されるだけでなく、ゴザ地区はイスラエルの狙い通りに殲滅浄化されるだろう。

 このような目には目の残忍な行為は、自爆テロを聖戦と位置付けるハマスだけでなく、世界の回教徒を立ち上がらせ、仕返しが連鎖して核戦争にも繋がって行きかねない。何故なら今回のハマスの奇襲は驚くほど計画的に練られており、イスラエルのロケット弾に対する防衛迎撃システムを麻痺させるものであり、その後ろ盾にはイランがおり、さらにその後ろには世界一の核保有国ロシアがいるからである。

 それは「核の限定使用も辞さない」と公言するロシアから、核兵器ハマスに渡ることもあり得る時代に突入してきたからである。

 まさに世界は、出口なしの時代に突入してきたことを認識しなくてはならないだろう。

 

 

禍を力とする互恵的利他主義

 

 「出口なし」はパレスチナイスラエルの中東紛争だけでなく、ウクライナ戦争も「出口なし」であり、人類を滅ぼしかねない地球温暖化が臨界点を越えようとしていることに対しても「出口なし」である。

 すべての氷河が融け出せば、十数メートルの海面上昇は必至であるだけでなく、それ以前に洪水や干ばつが激化し、頻繁に巨大台風の到来で海辺にある大都市崩壊は免れられない。

したがって我々の未来はたとえ核戦争で滅ぶことがないとしても、最早数えきれないほどの禍が押し寄せて来ることは必至である。そのような禍とは、洪水や干ばつの激化による食料危機、陸地水没や戦争による大量避難民の移動、温暖化と大量避難民移動による感染症激化など、化石燃料支配の国民国家では対処できなくなり、機能停止に導くものである。

 しかしそのような禍を力として、現在の化石燃料エネルギーの集中型支配から再生可能エネルギーの分散型市民参加にエネルギー転換して行くことができれば、究極的には利益追求の貪り取る競争社会から利益追求のない分かち合いの連帯社会に変えることも可能である。

何故なら太陽を原資とする太陽光発電風力発電バイオマス発電のためのエネルギーは、世界のすべての地域で必要量の数千倍が降り注いでおり、すべての地域が太陽でエネルギー自立し、余剰エネルギーを蓄えることができれば、食料や生活必需品だけでなくあらゆるものを原則的に地域で生産することは可能であるからだ。

そうできれば、世界は外に向かって貪り取る競争社会ではなく、ローカルに内に向かって創り出す連帯社会に変わり、戦争のない共存して助け合う社会を新たに創り出すこともできるだろう。

 現に欧米の学術書や研究学会では、化石燃料エネルギーから再生可能エネルギーへのエネルギー転換は喫緊の課題とされている。そしてエネルギー転換を推進するエネルギー民主主義(化⽯燃料⽀配のエネルギーアジェンダに抵抗し、エネルギー体制を取り戻し、⺠主的に再構築するイデオロギー)は、再⽣可能エネルギーへの移⾏を推進する創発的な社会運動と採られるだけでなく、欧州連合EUでは社会的に望ましい政策目標と見なされるようになって来ている。しかも既に欧米では2018年にはエネルギー民主主義の出版発表が頂点に達し、地域分散、市民参加、社会的所有権を持つエネルギー民主主義がルネッサンス開花している言っても過言ではない(注1)。

もっとも多くの文献では、エネルギー⺠主主義の⽬標や理想がテクノ政治的ユートピアのようなものとして理解されているので、すべてのエネルギー⽣成と供給が市⺠グループによって管理、所有されるようなエネルギーの到達ゴールの可能性は近い将来は困難であるとしている。

 そのような移行が難しいのは現在の化石燃料支配が余りに強く、利権構造が網の目のように張り巡らされているからであり、移行での政策では化石燃料支配側への配慮なしには成立しないからである。

しかし化石燃料側に配慮した巨大企業の洋上風力発電や砂漠での巨大太陽光発電は、製造された電力を高圧電力線建設で遠距離輸送するやり方が地域で小規模の分散型風力発電太陽光発電にコスト面で敵う筈がなく、巨大な中央集権的支配が滅ぶのも時間の問題と言えるだろう。もっともそれは現在の視点からすれば、50年先、100年先の遠い未来と考えられているが、温室効果ガス排出量の増大がどうにも止まらない状況からすれば、10年、20年の近い未来になりそうである。

何故なら、禍の到来の増加に対して化石燃料支配の国民国家が対処できない時代がそこまで来ており、国民国家が機能を失えば地域を投げ捨て、地域が必然的にエネルギー自立だけでなく、自給自足しなければならないからである。

 それこそは、禍を力とする互恵的利他主義の時代の到来である。すなわち禍を力として自立した地域はエネルギー民主主義に従って連合し、世界のすべての地域を互恵的利他主義で同じように変えて行くことで、「出口なし」の世界が切り拓かれる時代の到来である。

 切り拓かれた世界とは、ローカルに内に向かって創り出す連帯社会であり、戦争のない共存して助け合う社会からなる新しい一つの世界である。

 

 ブログを休んでいる期間、私にとっては本を書くだけでなく稲を収穫し、再びこの妙高を終の棲家と決め、残してきた荷物をすべて運んできた。その量は中途半端ではなく段ボール箱80箱を超え、ロングの4トントラックでも積み切れないほどだった。その整理に1週間近くを要したが、腰も患ずに元気であるのは、若い頃体を壊し、さらに中年期は糖尿や狭心症に見舞われ、食養生と絶えず朝、昼、夕方と歩いてきたからだと思っている。それゆえ76歳を過ぎても薬も飲まずに元気で暮らせるのは、私自身禍を力として生きているからだと思っている。

 

 

(注1)Energy democracy as a process, an outcome and a goal_ A conceptual review (sciencedirectassets.com)